書評
2023年3月号掲載
記念エッセイ
岐阜かローマか ローマか岐阜か
『日日是好日』が「第1回 日伊ことばの架け橋賞」を受賞!
対象書籍名:『日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ―』(新潮文庫)
対象著者:森下典子
対象書籍ISBN:978-4-10-136351-6
思いがけない出来事の始まりは、昨年8月末。蒸し暑い夜更けに、メールが一通着信した。新潮文庫編集部のK氏からだ。1時間前にもメールが来たばかりだったので、何か追加の連絡だろうと、文面に目を走らせた。
「イタリア語版『日日是好日』が、『第1回 日伊ことばの架け橋賞』の最終候補に選ばれました。9月半ばの最終選考で受賞作が決まります。授賞式は12月4日、ローマで行われるそうです」
尾っぽの付け根から背骨沿いに、電流が駆け抜けた。物書きになって40数年。私は賞というものをいただいたことがない。どうせ、縁がないのだと思っていた。このメールは、行ったことのない場所へのとば口だろうか?
『日日是好日』は、ヨーロッパ圏を中心に、現在8か国語に翻訳されている。茶道の稽古を続けることによって感じた内的な気づきを描いたエッセイなので、果たして、文化の違う外国の読者にどのように受け止められるだろうかと思っていたが、ある翻訳版が出版から1か月で増刷になった。
イタリア語版の『OGNI GIORNO È UN BUON GIORNO』。その表紙はアニメ風で、茶室に続く廊下に、着物姿の高齢の先生と、若い女性が並んで座り、庭の満開の桜を眺めている後ろ姿を描いたものだ。出版されたのは2020年。当時、イタリアはコロナ禍のまっ只中だった。
メールを読み返した。胸が高鳴った。それは、賞の候補に挙げてくれたのが、他のどの国でもない、イタリアだったからだ。
イタリアは私にとって特別な国だ。ヴィットリオ・デ・シーカ、フェデリコ・フェリーニ、ジュゼッペ・トルナトーレ。愛する映画は、みんなイタリア人監督の映画だ。イタリア映画は抑えようもないほど心の琴線をかき鳴らす。そこに人生のすべてがあるような気がするのだ。そして、ニーノ・ロータやエンニオ・モリコーネの美しく切ない音楽は、いつも心をかっさらった。
ある時、夏のイタリアへ行った。石畳の道にも、教会の鐘の乾いた音色にも、旅人が行きかう駅のホームにも、デ・シーカやフェリーニの映画そのままの空気が漂っていた。その空間に入ると、まるで自分が映画の中で生きているような気持ちになる。イタリアへ行きたくて行きたくて、イタリア語を習い、原稿料を貯めては、何度かイタリアへ旅した。
取材で出会った人から不思議なことを言われたことがあった。
「あなたは15世紀のフィレンツェにいたわ。デジデリオという彫刻家だった」
そんなこと、作り話に決まっている。そう言いながらも胸騒ぎに似た興奮を感じた。図書館へ通って資料を調べ、イタリアルネッサンス美術に関連する本を買い集めた。ついには仕事を休んでフィレンツェに行き、取材してルポを1冊書いた。前世があるかどうかは無論わからない。けれど、今の私の何分の一かは、イタリアでできている気がする。そのイタリアが、私の本を賞の候補にしているのだ……。
「授賞式は12月4日、ローマで」
スケジュール帳を開き、12月4日のページをめくって、アッと手が止まった。
「岐阜、講演」
そうだった! 12月4日は、岐阜で講演をする約束になっていたのだ。
『日日是好日』が映画化されて以後、私の仕事には大きな変化があった。それまで人前に立ってお話しした経験のない私に、突如、講演の依頼がたくさん来るようになった。中でも全国に支部のある茶道関係の会からの依頼が圧倒的に多かった。会場は何百人ものお客様でぎっしり埋まり、舞台に上がると、ワーッという声と拍手で迎えてくださった。お茶席が用意され、サイン会にはお客様が長い列を作って待っていてくださった。
しかし、2020年に入ってコロナ禍が始まると、講演は次々に中止や延期になった。当初の予定が半年後に延び、さらに「来年こそは」というお約束も流れて、ようやく実現するのが、12月4日の岐阜の講演なのだ。写真入りのポスターも刷りあがり、会の担当の方からは、「みんな、とっても楽しみにしています」と、何度もお電話があった。
賞をとれなければ、もちろん予定通り岐阜へ行く。でも、もし、受賞が決まったら……。
楽しみにしてくださっているずっと以前からのお約束を、直前になって、後から来た話のためにキャンセルすることはできない。この約束は守りたかった。……けれど、人生初の賞だ。イタリアでは、受賞者本人に直接、賞を手渡したいと言っているという。
受賞できるかどうかまだ決まっていないのに、私は12月4日をどうしようかと、オロオロした。ともあれ今は、9月半ばの最終審査の結果を待つしかなかった。
悩ましい日々だった。一日に何度も、頭の中を同じ言葉がエンドレスで巡った。
「岐阜かローマか、ローマか岐阜か」
9月に入っても、まだ油蝉が鳴いていた。蒸し暑さがようやく凪いで、秋めいて来た9月16日の午後、仕事机のパソコンに、メールが一通届いた。開くなり、
「おめでとうございます。受賞が決まりました!」
という文字が目に飛び込んだ。添付されていた海外出版室からのメールもはしゃいでいて、
「グラッチェ!! ビバ!!」
とカタカナが躍っていた。関係者が一緒に喜んでくれていることが嬉しかった。
ああ、賞をもらうってこういうものなのか……。胸がじーんとした。
そして、次のメールに目をやった私は、驚いて椅子から跳びあがった。主催する伊日財団からのメールにこう書いてあったからだ。
「授賞式は12月10日に行われます。ローマでお待ちしています!」
なんと、授賞式の日程が変わっている! これは奇跡ではあるまいか。「岐阜かローマか」ではなく、「岐阜もローマも」になったのだ。
それから連日、たくさんのメールが来て、授賞式に行く準備が始まった。
翌週の水曜日、いつものようにお茶の稽古に行った。90歳の武田先生は、このごろ少しお耳が遠くなった。
「センセー!」
と、大きな声で話しかけた。
「ん?」
「実は、『日日是好日』が、イタリアで賞をいただくことになりました!」
そう報告すると、先生はしばし、きょとんとした表情だったが、やがてパーッと花が咲くように満面に笑みが広がった。そして、はっきりした声で「森下さん……」と言うと、私に向けて「おめでとう!」と、手のひらを広げた。私も同時に、手のひらを広げ、空中でハイタッチした。久しぶりに昔のような、先生の晴れ晴れとした笑顔を見て、鼻の奥がツンとした。
「日伊ことばの架け橋賞」は、今回が1回目である。この賞には、日本の現代文学をイタリアの読者に広める目的があるが、もう一つ、大きな特徴がある。それは「ことばの架け橋」という名前が示す通り、優れた翻訳者を讃える賞だということ。つまり、原作者と翻訳者の二人に授与されるのだ。
私たちが海外の作家の本を読む時、翻訳者が誰であるかに注目することはあまりない。原作者が注目されても、翻訳者は脚光を浴びることがほとんどない。いわば黒子のようなものだ。けれど、私たちは翻訳者がいなければ日本語で海外の本を読むことができないし、原作のきめ細やかな表現に心ゆくまで浸り、主人公の感情をわがことのように味わうには、どうしても優れた翻訳者が必要なのだ。
そして、原作者の私から見ても、殊に『日日是好日』のような本を翻訳するには、厄介で、想像を絶する困難があったに違いなかった。……実は、『日日是好日』を書いた時、私自身、日本語で書いているにもかかわらず、ある種、翻訳をしているかのようなハードルを感じた。一つは、茶道を知らない読者に向けて、特別な世界という高い垣根を感じさせないように書くにはどうしたらいいのか。そして、もう一つは、広大無辺の宇宙のような内的世界の発見を、文章という一本の線で表現する難しさだ。
ましてや、この本を、茶道など見たことも聞いたこともない国の読者に異なる言語で伝えた人は、一体どれほどの忍耐と努力を重ねに重ね、言葉と格闘したことだろう。
挨拶して、互いの受賞を喜び合い、日本式に名刺を交換した。日本に留学し、結婚後はイタリア文化会館に勤める夫と日本で4年暮らしていたというラウラさんの日本語は、水の流れのように自然だった。話を聞く時も、こちらの目を見て、静かに相槌を打つ。日本人と話しているような気がした。
「この本を書きながら、いつも思っていました。私の言葉は読者の心に届くだろうかって」
と、話すと、ラウラさんは即座に、
「届きましたよ!」
と、応えた。その声に、響くような確かな自信と手応えがあった。東洋と西洋、たとえ国が違い文化が違っても、普遍のものは変わらない。人間同士、伝わるのだと……。
「では、12月にローマで会いましょう」
と、言い合って別れた。
そして、12月4日。私は岐阜で無事に、数年越しの約束を果たすことができた。会場で受賞したことを報告すると、大きな拍手が起こった。会の担当者は、こう言った。
「森下さん、岐阜市もイタリアなんですよ」
「え?」
「岐阜市とフィレンツェは姉妹都市なんです」
戦国武将を輩出した岐阜は繊維産業の町で、同時代にルネッサンスの都として栄えた毛織物の都市フィレンツェと姉妹都市だったのだ。
数日後、私は羽田から直行便でローマへ向かった。そこで私は「ことば」に関わる、たくさんの人と出会うことになったのである。
「授賞式 IN ローマ」へつづく
(もりした・のりこ エッセイスト)