書評

2023年5月号掲載

記念エッセイ

授賞式 IN ローマ

森下典子

『日日是好日』が第1回日伊ことばの架け橋賞を受賞!

対象書籍名:『日日是好日』
対象著者:森下典子
対象書籍ISBN:978-4-10-136351-6

 目が覚めたのは、天井の高い、大きな部屋の中だった。ベッドから滑り降り、窓を覆う緞帳のような深紅のカーテンを押し開けた。その途端、眼下に青い水をたたえたプール。そして、ボルゲーゼ公園の緑の彼方に、ヴァチカンのサンピエトロ寺院のドームが霞んで見えた。
 二十年ぶりのローマだ。それが授賞式のためだなんて、夢のような気がする。南周りの直行便で十五時間。ローマは12月とは思えない暖かさだった。伊日財団が用意してくれたこのホテルに着いたのは昨夜遅く。今回の旅は、親友の倉ちゃんが一緒だ。彼女は隣の部屋にいる。起きているらしく、物音が聞こえる。
 ドアをノックし、一緒に朝食を食べに一階へ降りた。壁には肖像画。廊下には大理石の彫刻。猫脚付きの家具に、布張りの寝椅子の並ぶ部屋を、足が沈み込むような絨毯を踏みしめて歩く。まるでイタリア映画の中にいる気分だ。白いクロスの掛かったテーブルで、朝食を食べながらの私たちの会話。
「ところで、ベッド、どうだった?」
「いや~、どうしようかと思ったわよ」
 実は、ベッドが高くて上がれなかったのだ。助走をつけて跳んだり、いろいろやった。
「結局、しがみついてよじ登った」
「私も」
 ベッドに上がろうと必死な自分たちの姿を想像すると、我ながら可笑しかった。
 朝食の後、テラスを散歩していたら、教会の鐘が鳴り始めた。重く湿って余韻の続く日本の梵鐘と違い、乾いた音が鳴り渡る。今日12月8日はカトリックの祝日で、この日から本格的なクリスマスシーズンが始まるという。
 授賞式関係のイベントは明日の夜から始まる。それまで町を歩き、ヴァチカンを見学して過ごす。フォロ・ロマーノもトレヴィの泉も人で溢れ、スペイン階段は、どこが階段なのか見えないほどだ。イタリアにいる友人から「コロナはもう噂にも出ない」と聞いてはいたが、確かにマスクの人を見ない。私たちもこんな密な場所にいるのに、なぜか感染(うつ)る気がしない。
 それにしても、二十年ぶりのヴァチカン美術館は強烈だった。ラファエロの壁画を眺め、ミケランジェロの天井画を振り仰ぐと、隙間も余白もない濃密で濃厚な芸術が息苦しいほどに迫って来る。長年、障子越しの白い光がさす茶室の空間で、床の間の掛け軸や、一輪の椿の美しさを見つめてきた私は、あまりの違いに、なぜこの国で『日日是好日』が受け入れられたのか、不思議な気がする。
 12月9日の夜は、伊日財団のディナーに招かれていた。出席者は、ウンベルト・ヴァッターニ会長ご夫妻を始め、理事ご夫妻、日本大使館の公使ご夫妻、ローマ日本文化会館の館長ご夫妻……。私はこういう正式な場に不慣れである。しかも、ここは言葉の違う国。緊張する。倉ちゃんも同様だ。
 けれど、私には強い味方があった。着物である。着物は力をくれる。どこへ行っても気後れしない。何より、着物をまとうことは相手への敬意を表することである。だから大きなトランクに着物、帯、小物、草履など衣装一式を詰めこみ、倉ちゃんにイタリアまで同行を願った。実は、彼女の仕事は美容師。場所柄を考慮したヘアメイクや着付けをしてくれる心強い味方なのだ。
 この夜、私は亀甲柄の刺繍の淡緑の訪問着。倉ちゃんは白の御召。迎えに来てくれた通訳の中島元子さんに案内され、タクシーでディナー会場の外務省クラブへ向かった。建物の入り口に着いた時、ちょうど、ラウラ・テスタヴェルデさんも到着したところだった。ラウラさんはイタリア語版『日日是好日』(『OGNI GIORNO È UN BUON GIORNO』)の翻訳者で、一ヶ月前に新潮社で顔合わせをしていた。私たちは明日、共に「日伊ことばの架け橋賞」を受賞する。
 ラウラさんは美しい深緑色のベルベットのパンツスーツで、隣にスーツの男性が立っていた。「私の夫です」と、紹介されたその人は「パオロです」と、お辞儀した。ハッとなった。何と見事なお辞儀だろう……。
 玄関に入ると、集まっていた出席者のご夫妻方が近寄ってきてくれて、たちまち好意と親しみで迎えられた。「お会いできて嬉しいです」「楽しみにしていました」と、声をかけてくれる。その中に、暖かく包み込むような笑顔を浮かべる年配の紳士がいた。受賞が決まった時、「ローマでお会いしましょう」とメッセージをくれたヴァッターニ会長だった。大袈裟でも派手でもなく、そっと両手を広げて「Elegante!」(優雅です)と、微笑んだ表情が素敵だった。
 キャンドルを灯した楕円形の大きなテーブルを囲んで全員が着席した。ヴァッターニ会長は、財団の歴史や、賞の創設、そして作品について語ってくれた。
「私は、茶道の細かな所作は、お茶を正確に点(た)てるための練習だと思っていました。でも、この本を読んで、決まりごとの中に深い意味が潜んでいて、人生の浮き沈みを乗り越える道になることがわかりました」
 そして、ラウラさんの翻訳について、
「優れた文体によって、極めて質の高い翻訳作品になっています」と讃えた。ラウラさんは、日本の伝統文化を説明するために、特別な工夫をしていた。たとえばchawan(茶碗)、tsukubai(つくばい)、ro(炉)など、日本語をそのまま生かし、巻末に、それを説明する用語集を作ったのだ。十数ページにわたる用語集には、茶道具から日本の食べ物、風習に至るまで多岐にわたる説明があって、日本文化への知識を深めながら、作品に浸れるよう導いてくれた。
 ディナーのテーブルを囲んで、茶道、昨今の世相、禅など、様々な話をやりとりしながら、席順に入念な心配りがあることにハタと気づいた。イタリア語、日本語のどちらか一方しか話せない人の近くには、両方話せて橋渡しできる人が座っている。私の後ろには、通訳の中島さんが影のように付き添って、イタリア語を日本語へ、まさに立板に水のごとく変換し、私がしゃべれば、それを息もつかずにイタリア語にする。その間、中島さんは、まるで自分を消し「自動翻訳機」と化したかのようで、プロの凄さを間近に感じた。
「日本の伝統文化には、『間と余白』という美意識があります」と、私が話すと、テーブルの向こうから「『間合い』というものもあります」と、パオロさんが言った。合気道をしていると聞いて、あのお辞儀に得心がいった。そして昔、母がある人のお辞儀を見て「あの人は、ただ者じゃない」と言ったことを思い出した。
 それが、私がお茶を習うことになる武田先生だった。
 授賞式当日は、ホテルでのランチの立食パーティーから始まった。前夜のディナーの参加者に加えて、賞の選考委員の大学教授、ジャーナリスト、作家、映画監督などが集まり、あちこちで会話が弾んでいた。私は、青緑の色無地に刺繍の袋帯を締めて会場に入った。こちらを振り返った人が「Ah!」と、花が咲いたような笑顔になった。まるで懐かしい友人を見つけたように人が集まってくる。そうだ、この人たちは、私を知っているのだ。ラウラさんの翻訳を通して、私の若い頃の迷いや、挫折や、心の気づきを……。流暢な日本語を話す人は熱く、片言の人はさらに熱かった。イタリア語で話す人が来ると、いつの間にか中島さんが私の背後に寄り添って、二重音声のように日本語をささやく。何人かが本を持っていて、サインを求められた。縦書きの漢字の名前と、「令和」の元号の日付を書いたら、イタリア人の大学教授が「イイネー、トテモイイ!」と、喜んでくれた。何だろう、この雰囲気は……。なんだか、すごくモテてる。愛されている。私が、というより日本が、日本文化が……。それが誇らしくて、たまらなく嬉しいのだ。
 授賞式は、ラ・ヌーヴォラ・ディ・フクサスという大きな展示場に移動して行われた。「PIÙ LIBRI PIÙ LIBERI」(もっと本を読み、もっと自由になろう)と題する出版社の見本市の一画が授賞式会場だった。ラウラさんと私を真ん中にして主催者が壇上に並び、会場の座席には選考委員や関係者が数十人並んでこちらを見ている。倉ちゃんの顔も見える。

筆者、ラウラさんと選考殷の方々

筆者、ラウラさんと選考委員の方々

 式典の長い長い挨拶が続く間も、私の後ろには中島さんがずっと付き添い、息もつかずにイタリア語に訳してくれる。私とラウラさんは、ヴァッターニ会長からそれぞれ受賞の楯と、青と緑に透けるヴェネチアングラスの花瓶を贈呈された。花瓶の底には「PREMIO TOKYO-ROMA PAROLE IN TRANSITO 2022」(第1回 東京-ローマ 言葉の架け橋賞)と彫られていた。
 日本を出発する前に「授賞式で、短いスピーチを」という連絡を受けていた。スピーチの原稿は用意していたが、私は話を補足した。『日日是好日』を書く時、ある映画がインスピレーションを与えてくれたこと。「フェデリコ・フェリーニ監督の『道』です」と言った時、それまで淡々と通訳に徹していた中島さんが急に「うふっ」と笑った。彼女も「道」に思い入れがあるのだろうか。
 授賞式が終わった会場で、私に向かって三人の男女が歩いて来た。グレーのセーター。背広の胸ポケットのペン。黒縁の眼鏡。跳ねた前髪。その目の知的な微笑みには、馴染みがあった。日本でも同じ匂いの人たちを知っている。彼らは編集者だ。イタリア語版『日日是好日』を出版したエイナウディ社の人たちが挨拶に来てくれたのだった。
 ローマの凸凹した石畳の上を、ホテルへと戻るワゴン車は激しくバウンドした。舌を噛みそうなほど揺れる車中で、ヴァッターニ会長は、伊達政宗の命で海を渡り、ローマで法王に謁見した武将、支倉常長について熱く語り、それを中島さんが訳していた。
 翌朝、ホテルの朝食のブッフェで、ラウラさんご夫妻に会った。ご夫妻はこれからヴェネチアの自宅へ帰る。「いつかヴェネチアに来たら寄ってくださいね」とラウラさん。そしてパオロさんは「古い家ですが、それなりの良さがあります」と言った。イタリア人から、こんなゆかしい日本の言葉を聞くなんて!
 私たちが日本に戻ったのは12月半ば。あっという間に年が明け、例年より早く咲いた桜が風に散っていった。日々の忙しさに押し流されるようにローマは遠くなっていく……。
 けれど私は時々、本棚の『OGNI GIORNO È UN BUON GIORNO』を手に取ってページを繰る。イタリア語になった『日日是好日』の紙の手触りに、ローマで出会った人たちの、親しみと愛のこもったまなざしを思い出す。


 (もりした・のりこ エッセイスト)

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