インタビュー

2023年6月号掲載

『ひむろ飛脚』刊行記念インタビュー

人力と知恵で困難に立ち向かう

山本一力

金沢~江戸間を走って往復した加賀藩〈三度飛脚〉を知っていますか?
お家安泰のため、文字通り奔走した彼らの活躍を描く三部作が、18年の歳月をかけて完結。
作者の山本さんに熱き創作の道のりを伺います。

対象書籍名:『ひむろ飛脚』
対象著者:山本一力
対象書籍ISBN:978-4-10-460609-2

――2005年『かんじき飛脚』、2014年『べんけい飛脚』と刊行してきた「加賀三度飛脚」シリーズが、ついに本作『ひむろ飛脚』でフィナーレを迎えます。裕福な大藩であるがゆえに幕府に疎(うと)まれ、たびたび存亡の危機に直面する加賀藩を、飛脚たちが命がけの走りで救う痛快な展開は多くの読者を虜にしてきましたが、そもそもこのシリーズはどうやって生まれたのでしょうか。

 面白いご縁で、加賀ではなしに高知から生まれてきた話だったんですよ。2004年、高知新聞社から創刊百周年を記念して宮尾登美子さんと公開対談をしてほしいという依頼があり、その打ち合せ場所としてたまたま指定されたのが赤坂の料亭「浅田」さんでした。
 そこで、「浅田」の本家筋は加賀にある旅館「浅田屋」さんで、江戸時代は金沢と江戸を月に三度往復する加賀藩の〈三度飛脚〉を抱えていたんだと教えられてね。そんなとてつもない飛脚たちが本当にいたのかと仰天したし、藩の重要書類や藩主の身の回り品を背負った彼らは、夏は五日、冬は七日で走り通したという。ちょうど週刊新潮で始める連載の題材を考えていた時で、「これだ、これを書こう」と夢中になった。宮尾さんからも「ぜひおやりなさい」と背中を押されて、『かんじき飛脚』が走り出したというわけなんだ。

――偶然の出会いだったのですね。しかもそこに宮尾さんが立ち会っていらしたとは!

 宮尾さんとはこの日が初対面だったのに、会うなり「あんたは、私の舎弟やき!」と言ってくれてね(笑)。「じゃあ、こちらも宮尾さんを姉御とお呼びします」と応えて、いいお付き合いをさせてもらいました。
 連載が始まると、今度は平岩弓枝さんがわざわざ電話を下さって、「面白くて毎号最初に読んでいます。『かんじき飛脚』というタイトルもいいですね」と褒めていただき、本当に嬉しかった。大先輩お二人の厳しくも温かい目を感じて、ますます気合が入ったよね。

――『かんじき飛脚』は、加賀藩主の内室が病の床にあることを察知した老中・松平定信が、藩の弱体化を狙って、前例のない内室同伴の宴を企てるところから始まります。浅田屋の三度飛脚たちは内室の命を救うため、「密丸(みつがん)」(特効薬)の運搬を任されることに。幕府との息詰まる攻防と、彼らが走る金沢から江戸への厳しい道中の描写は圧巻でした。

 かれこれ五回以上は取材に行きましたからね。「浅田」さんで三度飛脚の話を知った二日後にはもう加賀に向けて車を走らせていたし(笑)。金沢での取材や資料集めはもちろん、三度飛脚のルートを辿ったり、一番の難所だった親不知(おやしらず)を調べたり、飛脚が走る山中のイメージを掴みたくて作品には登場しない黒部や中山道の妻籠(つまご)まで足を延ばしたこともあった。そうして現地に触れたことで連載の早い段階から、クライマックスは雪の中での飛脚と公儀御庭番の直接対決へ持っていこうと定めることができた。想定通りに気持ちよく書き終えることができて満足だったけれど、まさか続編を書くことになるとは予想もしていなかった。

――そのまさかの二作目『べんけい飛脚』は、飛脚たちが密丸運搬を成し遂げた一年後が舞台です。浅田屋当主・伊兵衛は、前田家の幕府に対する忠心を示すため、かつて名君と呼ばれた五代藩主・綱紀(つなのり)と将軍・吉宗が互いに敬愛の念を抱いていた様子を極上の読物に仕立て、吉宗の孫である松平定信に献上しようと考えつく。作中作「綱紀道中記」がまるまる収められた、とてもユニークな構成でした。

 綱紀公に注目したきっかけは、前田家御用達の老舗和菓子店「諸江(もろえ)屋」のご主人から聞いた話でした。八十年近く藩政に向き合い、六人の将軍に仕えた綱紀公は、文化や学問を重んじる教養人だった一方、参勤交代で国元に戻る際に公儀の許可なく多数の鉄砲を持ち帰り、関所で止められるという騒動を起こしていた。当然、幕府転覆の意志ありだと厳しく問われる状況だけれど、最後は吉宗が自ら通過許可を与え、事なきを得ている。俺はこの一件を、綱紀公と吉宗の信頼関係を表す出来事だと解釈し、人と人との関係が大きな物事を動かしていく物語として書こうと思ったんだ。
 また綱紀公の人物造形には郷土史家の忠田敏男さんの話が大いに役立ったね。窮屈極まりない参勤交代の駕籠の中で、綱紀公は退屈しのぎに木を削って茶さじなんかを作っていたというんだよ。こうした人間くさいエピソードが一つあるだけで、その人物の性格、考え方、表情などのイメージが、ワッと膨らむ。大変ありがたかった。

――『べんけい』では、飛脚たちは遥か先を行く参勤交代行列が関所に到着する前に追いつかなくてはならないという使命を負う。時間との闘いもシリーズのテーマですね。

 刻々と過ぎゆく時間に人力で対抗する。この面白さを描けるのは江戸時代が舞台の小説ならではだよね。車や飛行機が生まれると技術と技術の闘いになってしまうから。
 俺が人力の物語の魅力を学んだのは『遙かなるセントラルパーク』(トム・マクナブ著)というアメリカの小説からでした。ロサンゼルスからニューヨークのセントラルパークに至る大陸横断マラソンに参加したランナーたちの群像劇で、ただ走るだけの物語なんだけれど、これがめちゃくちゃ面白い。走ることがドラマツルギーになることをこの本が教えてくれたよね。

――そして、いよいよ『ひむろ飛脚』です。こちらは溶けていく氷と人力が対決する物語と言えるでしょう。加賀藩が冬場に作って貯(たくわ)えた雪氷を、旧暦六月一日(現在の六月下旬から七月)に取り出して運び江戸の将軍家に献上した実在の行事「氷献上」を題材にしています。冷凍庫のない時代の夏にそんなことが可能だったとはちょっと信じられませんが、毎年行われていたと知って驚きました。

「まさか」と思うよね。金沢では今でも七月一日前後に氷室開きの再現行事を行い、和菓子屋に「氷室饅頭」が並ぶくらい、みんなが誇りに思っている史実です。
『ひむろ飛脚』を書こうと思ったきっかけは、諸江屋のご主人と浅田屋の会長さんから本郷・前田家上屋敷に氷室があったと教えてもらったこと。加賀藩が氷を献上していたことは知っていたし、『かんじき』にも少し書いたけれど、じゃあもし加賀でまったく氷が作れない状況が出来(しゅったい)したらどうなるのか。そこを考え抜いて、「異常な暖冬で氷が作れない年の氷献上」という物語の骨格が生まれたんです。

――加賀藩は信濃追分宿の氷室に氷があることを突き止めますが、その氷を賞味する八十人もの先約があり、しかも難題はその先も続出。ラストまで息もつかせぬ展開の連続です。中でも圧巻は、御三家の水戸藩からなんとしても協力を取り付けなくてはならない場面。山本さんの小説にはしばしばピンチをチャンスに変える劇的なアイデアが登場しますが、今作では加賀藩嫌いの水戸藩も思わず耳を傾けてしまう妙案が示され、大きな読みどころになっています。

 作家になる前、長らく企業向けに販売促進案を売込む仕事をしていたので、こうしたアイデアは常に考えてストックしています。売込みで大事なのは、自分の利益を出すのはもちろんだけれど、いかに相手にプラスを与えることができるか考えること。相手も自分もウィン・ウィンになるアイデアは必ず伝わって相手の心を動かす。それは時代小説の中でも同じです。人力と知恵で困難に向き合う世界を書いているときが、作者として一番興奮するね。

――「人力と知恵で困難に向き合う」はまさにシリーズを貫く大テーマですね。特に今作は、人と人との繋がりが連鎖して不可能を可能にしていくことを通じて「人の力ってもっと信用できるんだよ」と言われている気がします。

 そう言ってもらえるのは嬉しいな。

――ところで、今回は書籍化に際して連載時の原稿から大幅に改稿なさいましたね。特に改稿時に浅田屋伊兵衛に対して、より多くの筆を割いていらした点が印象的でしたが、山本さんの中でどんな考えが巡っていたのか、この機会にぜひ聞いてみたいと思っていました。

 全体を読み返したときに、決断する人間の孤独というものを改めて考えたんですよ。命がけで走り回るのは飛脚たちだけれど、彼らに走れと命じ、命じた責任を背負うのは当主の伊兵衛。トップに立つ人間は決断することから逃げられない。シリーズの最後を締めくくる『ひむろ飛脚』では、そこをもっときちんと書くべきだと気づいた。自分では分かっているつもりで書いていたんだけれど、それがうまくできていなかったんだね。手直しを経て、二十代の若き当主が未曾有の困難に直面し、成長する姿をきちんと描けたと自負しています。

――そして『ひむろ飛脚』が嘉永六年(1853年)の物語だということも重要ですね。登場人物たちは、間もなくペリーが来航し、長きにわたった幕藩体制が崩れていくことも知らず、忠義を尽くそうと懸命に駆け回る。その姿は私たちの胸を強く揺さぶります。

 彼らの姿は、今まさに歴史の中を生きている俺たちの姿でもあるよね。明日死ぬかもしれないし、何が起きるのかは分からない。けれど、どうせ分からないなら目の前のやるべきことを思い切りやる方が幸せに決まっている。作者が言うのも野暮だけど、そんなことも伝わったら嬉しいね。


 (やまもと・いちりき 作家)

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