インタビュー
2023年6月号掲載
フェア新刊 インタビュー
大日本帝国「戦争の八十年」を俯瞰する
波多野澄雄 戸部良一編著
『日本の戦争はいかに始まったか―連続講義 日清日露から対米戦まで―』
対象書籍名:『日本の戦争はいかに始まったか―連続講義 日清日露から対米戦まで―』
対象著者:波多野澄雄/戸部良一編著
対象書籍ISBN:978-4-10-603897-6
佐藤さんは本書の元となった連続講座を企画した「現代文化會議」の主宰を務めておられますが、その沿革について教えてください。
設立は昭和45(1970)年5月、所謂「七〇年安保」の年です。「左翼にとって論争しても勝てない随一の保守知識人」と称された福田恆存氏を顧問として発足した五〇余年の歴史を持つ研究啓蒙団体です。日本学生文化會議として旗揚げしましたが、昭和55(1980)年に福田氏の提案により、「現代文化會議」と改称し、現在に至ります。
個々の戦争を扱った本はこれまでもありましたが、大日本帝国の戦争をまとめて取り上げたものは珍しいですね。
対米開戦八〇周年にあたる一昨年の令和3年12月を皮切りに、日清戦争から大東亜戦争までを振り返る連続講座を企画しました。日本が国際社会においてなぜ最終的に孤立していったかを検証するため、毎月一回全八回に亘って開催されましたが、本書はそれを文字に起こして読みやすくまとめたものです。明治維新後、初の本格的戦争である日清戦争に始まり、ロシア帝国を破った日露戦争、大陸を舞台にした満洲事変、支那事変、そして第二次大戦まで、一読するだけで日本の戦争全体を見渡すことができる内容になっています。
各分野を代表する研究者が講師として並んでいます。
編著者である波多野澄雄、戸部良一両氏を初めとして、八人の講師はいずれも実証研究において定評があり、先生方のお話はいずれも興味深い内容になっています。一連の流れを理解するだけでなく、主戦場は欧州でしたが、日本も参戦した第一次大戦の開戦原因、真珠湾攻撃前までの英米関係、昭和天皇が戦争にどれほど関与していたのか、日本軍部が意図していなかったアジア諸国の独立が戦後もたらされた「遺産」についてなど、多方面から日本の戦争を取り扱っています。とはいえ、読者にとって一番関心が高いのは、先の戦争です。その捉え方には様々な歴史的変遷があったようです。
明解にそれを整理したのが、昭和36(1961)年に上山春平氏による中央公論誌上の「大東亜戦争の思想史的意義」で、本講座が開かれた一昨年はこの論文が発表されてから六〇年目に当たります。上山氏によれば、まず、戦中の大東亜戦争史観、戦後の太平洋戦争史観、ソ連の帝国主義戦争史観、中国の抗日戦争史観の四つに分けられるといいます。大日本帝国によるアジア解放というパラダイムから、連合国側の公式的見解、マルクス・レーニン主義の帝国主義論に則(のっと)った見方、最後は中国共産党によるものというように、各々の時代的背景を反映しています。同じ戦争も違う立場からは異なって見えるのです。上山氏はそれらをいずれも国家的エゴイズムから主張された手前味噌な戦争史観として相対化してみせたのです。
戦争の原因を明らかにするため、今までにどのような実証研究がありましたか。
日本国際政治学会において神川彦松理事長の提唱により、角田順氏を委員長として「太平洋戦争原因研究部」が組織され、当時の防衛庁戦史室長で旧軍のエリートだった西浦進氏等の協力で原資料の閲読を行い、また、存命中の関係者へのヒアリングと専門研究者の共同討議を重ね、四年かけて昭和38(1963)年に日米開戦研究の金字塔とも言える『太平洋戦争への道』全八巻(別巻資料編を含む)が完成しました。これが昭和62(1987)年に再刊されたのですが、その折に全巻資料を再確認されたのが当時防衛研究所戦史室に籍を置いていらした波多野澄雄先生です。本連続講座の企画も先生に御相談して進められ、書籍化に際して、編著者にもなって頂きました。
団体の発足にかかわった福田恆存氏は戦争をどう捉えていたのでしょうか。
福田先生の見方は「戦争に善悪はない」、「戦争に加害、被害はない」、そして「戦争には勝ち負けしかない」というものです。ところが、日本は戦争に負けたことによって、それまでの過去を自ら否定してしまった。これは人間に例えれば、記憶喪失者と同じで、自分が何者であったか、どういう生き方をしていたか、そういう過去の記憶を喪失した人間は、同時に未来も失うことになります。それが戦後の日本だと述べています。
占領軍に押しつけられた歴史観を自分のものと誤解しているということですか。
押しつけられたのは事実ですが、「押しつける」の受け身は「押しつけられる」というのはあくまでも形式文法上の考え方で、心理学的には「押しつける」の受け身が「押し戴く」になる場合がしばしば起こると福田先生は書いていました。アメリカ占領軍を解放軍と呼んだり、マッカーサーが更迭され、帰米する時に日本国民は土下座して送り出した事実を考えれば、日本人自らが占領政策を「押し戴いた」面もかなりあったのではないでしょうか。また、新潮社から昭和40(1965)年に刊行された『平和の理念』では、平和だったら何をなし得るのか、それが本来目指すべき価値なのですが、戦後の日本では、手段にすぎぬ平和それ自体が最高価値になってしまっていると指摘しています。そこで、まずは冷静に戦争が起こった理由を検証しようというのが本書のスタンスなのです。
最終章には、対米戦争に至った主な原因を、専門分野の異なる各先生方に質問しています。
主催者から講師への共通の質問は「対米開戦における引き返し不能点」に絞りました。日独伊三国同盟の締結が対米戦に至った主因であるという人が少なくないのですが、本当にそうなのか。そう単純に結論を出せるのかというのがこれまで主催者が抱いてきた疑問だったからです。韓国併合が日米戦争への道の一里塚という視点から、外交交渉の不首尾、南部仏印進駐、日独同盟、日本の国策決定システム、ハル・ノート、陸軍と海軍の確執など、結果的に先生方の回答がいい具合にばらけて、戦争の多面的な性格が浮き彫りになったのではないかと思います。
(さとう・まつお 「現代文化會議」主宰)