書評
2023年6月号掲載
フェア既刊 書評
ダーウィンだって間違えていた?
更科功『進化論はいかに進化したか』
対象書籍名:『進化論はいかに進化したか』
対象著者:更科功
対象書籍ISBN:978-4-10-603836-5
ダーウィンがこの本を読めば、自ら蒔いた種がここまで育ったことを喜ぶはずだ。同時に、もしかしたら、時代的に難しかったとはいえ、どうして論をもう一歩進められなかったかと悔やむかもしれない。いずれであっても、『種の起源』出版以来160年あまりにわたる「進化論の進化」に驚嘆するであろうことは間違いない。
「進歩」という意味で「進化」という言葉が使われることがよくある。テレビニュースなどで耳にすると、「それは進化じゃなくて進歩やろ」とツッコミをいれたくなってしまう。今は隠居の身だが、現役時代は生命科学者だった。我ながら小うるさいおっさんだとは思うが、そこだけは譲れない。進化は必ずしも望ましい方向へ一直線に進むわけではない。ダーウィンが意味した「進化」にも「進歩」といった方向性はまったく含まれておらず、生物の「変化」を意味するにすぎない。
1859年に出版された『種の起源』での主張は、(1)多くの証拠を挙げて、生物が進化することを示したこと、(2)進化のメカニズムとして自然選択を提唱したこと、(3)進化のプロセスとして分岐進化を提唱したことの三つにまとめることができるという。なんとわかりやすいんだ。なかでも最重要視されるのは自然選択説、「ランダムに生じた変異の中から、生存力や繁殖力を高める変異が、自然選択によって残る」という考えである。
だが、この考えは20世紀の初めまで受け入れられなかった。ダーウィンの進化論とほぼ同時期に発表されたメンデルの遺伝学説では説明が困難であったことも理由のひとつだ。しかし、現在では言うまでもなく自然選択説が広く受け入れられている。これは科学の進歩――進化ではなくて進歩――によるものである。かといって、自然選択だけで進化は説明しきれない。日本の遺伝学者・木村資生が提唱した「分子進化の中立説」も必要なのだ。
昔は、動物や植物の形といった「形質」でしか進化を調べられなかったが、そこへ、蛋白質のアミノ酸配列やDNAの塩基配列といった新しい「道具」が入り込んできた。そのような微視的なレベルで解析すると、自然選択では説明できない猛烈な速度で進化がおきていたことがわかったのである。科学・技術の進歩――進化ではなくて進歩だ――は、かくも素晴らしい。これを説明する独創的アイデアが木村の中立説で、理解するには「遺伝的浮動」という考えが必要なのだが、この本ではそういった概念も非常にわかりやすく説明されている。
日本での進化論といえば、ある年齢以上の人は、自然選択説を否定し続けた今西錦司の名を思い浮かべるかもしれない。生物は、自然選択のような競争よりも「棲み分け」を好むもので、種は変わるべき時が来たら変わる、という説だった。誤った考えなのだが、「競争の原理」ではなく「共存の原理」であることなどから、日本人に受け入れられやすかったのではないかと読み解かれている。さらには、今西進化論は学説というよりはむしろ思想であったと喝破する。確かにその通りだろう。今西進化論は、生物の進化において絶滅する種があるのと同じように、進化論の進化において絶滅した思想に喩えることができそうだ。
他にも、ダーウィンが考えていたような漸進説と、今は亡き人気古生物学者スティーブン・ジェイ・グールドでおなじみだった断続平衡説との違いや、発生と獲得形質の遺伝など、進化論における面白いテーマがさまざまに論じられていて飽きさせない。なによりも、その説明のわかりやすさには舌を巻く。ここまでが第1部『ダーウィンと進化学』と題された「進化論の進化」についての理論的解説だ。第2部『生物の歩んできた道』は分岐進化のプロセスについての具体例を挙げながらの説明である。
「死ぬ生物と死なない生物」、「恐竜の絶滅について」、「車輪のある生物」、「なぜ直立二足歩行が進化したか」など、そそられるトピックスがとりあげられている。どうしてそのようなことがおきたのか、あるいは、おきなかったのかが、進化の観点から解説されていく。第1部での学びを活かすことができて、読みながらうれしくなってくることうけあいだ。
進化論についてある程度は理解していると考えている人にはぜひ読んでもらいたい。おそらく、私がそうであったように、知らないことがいくつも書かれているはずだ。進化論ってよう知らんわという人にはもっと読んでもらいたい。このコンパクトな一冊で、現代の進化論とそこへいたる“進化”を楽しく理解できるのだから。
(なかの・とおる 生命科学研究者)