書評

2023年11月号掲載

池波正太郎 生誕100年企画 SHOTARO IKENAMI 100TH ANNIVERSARY

84冊! 新潮文庫の池波正太郎を全部読む 中編

南陀楼綾繁

「日本一の一気読みライター」(!?)は疲れた目と腰を癒すべく秋風さわやかな信州上田へ!
『真田太平記』の聖地を巡りながら、この九千枚の大作と関連作品の魅力に迫ります。

対象著者:池波正太郎

[前編]はこちら

 新潮文庫の池波正太郎全作品を一気読みするこの企画。前号が校了した後、編集担当のHさんから「やっぱり二回だと収まりませんよね?」と云われて、三回掲載となった。先に云ってよ……と思いつつ、少しだけ余裕ができたので、未読の作品を持って、長野県上田市に出かけた。
 上田は池波の最長の長編である『真田太平記』(以下『太平記』)の舞台だ。10月に入り、しつこい残暑もさすがに去った。町歩きにちょうどいい陽気だ。
 駅の広場でシェアサイクルを借りる。各地に導入されているレンタサイクルのシステムで、スマホで電動自転車を借りられる。30分110円だが、借りっぱなしだと案外金額がかさむので、町なかに複数あるサイクルポートでこまめに返してはまた借りることをオススメする。
 駅前通りを北に向かうと、〔池波正太郎真田太平記館〕がある。1998年に開館。池波の仕事や『太平記』の世界を展示している。
 それでは、『太平記』とはどんな作品なのか。
〈『真田太平記』は戦国末期、武田家の家臣から信濃の独立大名としての道を歩み出した真田氏を描く。地方の小大名でありながら、上杉氏、北条氏、徳川氏ら大勢力の圧力を跳ね返し、過酷な戦国乱世を生き抜いた真田昌幸と、その子信之・幸村の父子・兄弟それぞれが進む道を縦糸とすれば、真田忍び(草の者)と甲賀忍びとの戦いを横糸にして織り上げた壮大な小説である〉(『真田太平記読本』)
 二階の常設展示室には『太平記』が連載された『週刊朝日』や単行本(朝日新聞社)とともに、池波の創作ノートが展示されている。自筆の年表には歴史的事実と物語での出来事が書き込まれている。
 また、「「恩田木工」ノオト」と題されたノートは、1956年に発表した初めての時代小説「恩田木工(もく)」のためのものだろう。同作はのちに「真田騒動―恩田木工―」と改題された(同題の新潮文庫に収録)。
 江戸時代、信州の松代藩で藩主の真田信安の信任をいいことに悪政にはしる家老・原八郎五郎に対峙し、藩の財政改革に尽力した恩田木工を描く。
 池波は作家の長谷川伸に師事し、新国劇の戯曲を書いていたが、師のすすめで小説を書きはじめる。第一作「厨房(キッチン)にて」は現代小説だった。
「真田騒動」は「亡師・長谷川伸の書庫で、何気なく手に取った〔松代町史〕二巻の目次を見ているとおもしろそうなので、それを拝借した」ことから生まれた(「信州蕎麦 上田市〔刀屋〕」『真田太平記読本』)。少年の頃から信州が好きで、山登りに出かけていたことも関係しているという。同作のために多くの資料を調べ、松代に取材をしたことから、真田家に関わる素材をいくつも得た。それが「真田もの」として書き継がれることになった。
 池波は「真田騒動」が直木賞候補となって以降、何度も候補にあがる。そのうち、1957年の「信濃大名記」(『真田騒動』)は真田信幸と弟・幸村が、徳川方と大坂方に分かれた、最後の時間を描いたもの。そして、1960年に直木賞を受賞した「錯乱」(同前)もまた「真田もの」だった。
「錯乱」は、九十三歳の真田信之(信幸)が、真田家を潰そうとする幕府の陰謀に立ち向かう。家臣の堀平五郎は、その父の代から幕府が潜入させた隠密。スパイ映画などで登場するいわゆる「スリーパー」である。普段は忠実な藩士として生きているが、蝸牛(かたつむり)が彫られた矢立てを合図に任務を遂行する。
 父が息子に告げる「そういう人間になることは、切なくて、それは淋しいものだぞ。覚悟しておけいよ」という言葉に、スパイの悲哀がこもる。
 あとで触れるが、池波はその後も多くの「真田もの」を発表。それらの集大成が『太平記』だったのだ。

連載八年、九千枚の大作

 真田太平記館を出てすぐ南に、〔斎藤書店〕という古本屋の看板がある。落合恵子のエッセイ「旅のフロッタージュ」によれば、池波はここで郷土史の本を求めた(『真田太平記読本』)。六年前、私がこの店を訪れた時には閉店が決まっていた。
 その向かいには新刊書店〔平林堂書店〕があったが移転。広大な更地になっていた。もっとも、この通りには〔西沢書店〕と〔清水書店〕が健在だ。昔ながらの町の本屋が健在だと嬉しい。後者で上田小県近現代史研究会ブックレット『上田市100年のあゆみ』を買う。
 海野町の商店街へ。中ほどにある〔富士アイス〕はあんこやカスタードクリームが入った〔じまんやき〕が有名な店。買っていきたいが、先を急ごう。
 南へ進み、〔刀屋〕へ。気づかずに通り過ぎてしまうような地味な構えだが、開店前にすでに何組か並んでいる。ここは池波が上田に来るたびに立ち寄った蕎麦屋なのだ。
〈たとえば、鶏とネギを煮合わせた鉢や、チラシとよぶ天麩羅などで先ず酒をのむ。信濃独特の漬物もたっぷりと出してもらう。(略)そして、大根オロシとネギが、たっぷりとそえられた名物の大もり蕎麦〉(「信州蕎麦」)
 池波は他のエッセイでも繰り返し、この店について書いている。
 それにならって私もかも煮(鶏肉とたまねぎの煮物)と漬物で日本酒を飲み、普通サイズのもり蕎麦を食べたが、あまりの量にギブアップ寸前だった。池波はこれをペロリとたいらげたのか。

刀屋

池波が通った刀屋

 池波が『太平記』の構想を告げたのも、食べながら、飲みながらだった。
『週刊朝日』の編集者だった重金敦之は、連載エッセイ『食卓の情景』の取材で訪れた小田原の食堂〔だるま〕(私小説作家の川崎長太郎が愛した店として知られる)で、池波に連載小説を依頼する。
「江戸の市井をテーマにした人情話なら一年、真田一族を取り上げるとなれば三年ぐらいはかかるかもしれないね」というのが、池波の返事だった(『太平記』第一巻解説)。
『太平記』は、1974年1月から連載が始まり、1982年12月まで八年間続いた。九千枚の大作となった。
 完結後、1985年にNHKの連続ドラマとして放映。真田信之を渡瀬恒彦が、幸村を草刈正雄が演じた。真田太平記館では同作のパネルを展示していた。私も観た記憶があるが、当時、大河ドラマが近代もので、『太平記』が大河ではなかったことは忘れていた。
 その後、2016年に大河ドラマで『真田丸』を放映。現在放映中の『どうする家康』でも真田父子が登場する。

地味だが聡明な長男

 私が最初に『太平記』を読んだのは、高校生の頃だった。ストーリーは忘れてしまったが、無類に面白かった印象だけが残っている。
 それから四十年近くが経ち、真田家をめぐる小説や映像を多く通っている。それだけに、この長大な物語を最後まで飽きずに読めるだろうか? という不安があった。
 だが、それはまったくの杞憂だった。
 歴史的に次はこうなると判っていても、そこに関わる人物の去就や胸の裡が的確に描かれていて、感情移入できるのだ。
 まず、真田父子について。父・昌幸は登場時に、こう描かれる。
〈躰は小さいが、顔は大きい。(略)その下に、大きなくろぐろとした双眸が、いつも煌めいてい、ふとやかな鼻と、これも決して小さいとはいわれぬ口が一文字に引きむすばれている〉(第一巻)
 昌幸は小さな勢力しか持たない真田家の生き延びる道を、さまざまな謀略を駆使して探る。
 武田家滅亡後、昌幸は上田に城を築くことを決意する。
 1585年(天正13)に完成した上田城は、千曲川を眼下に見下ろす断崖の上にあった。守るだけでなく、打って出るための工夫がなされており、同年に始まった徳川家康による上田攻めでは、敵を城内に誘い込んで撃滅した。
 昌幸はまた、城は敵と戦うためだけのものでなく、その周りに町をひらき、商工業を盛んにすることが必須だと考えていた。時代の先を見る知将だった。
 なお、現在本丸跡に残る櫓は、江戸初期、真田家に代わって上田藩主となった仙石忠政が築いたものだ。敷地内にある上田市立博物館の別館には、真田家に関する資料を展示している。ここで上映している、江戸時代の上田城と城下町をCGで再現した映像は臨場感がある。
 豊臣秀吉が天下を統一した後、いったん戦火は途絶える。しかし、昌幸はいずれまた国内に戦が始まり、「恐ろしい世の中になるぞよ」と予言する(第四巻)。
 そして、長男・信幸を家康の養女と結婚させ、自らは秀吉に付くことで、真田家の血を絶やさないように画策する。
 次男・幸村は開けっぴろげな性格で、勇猛果敢に戦う。関ヶ原の戦いの際には、徳川秀忠軍を足止めし、父とともに紀州九度山に流される。昌幸はそこで無念のうちに亡くなるが、幸村は大坂城に駆け付け、真田丸を築いて大坂冬の陣を戦う。
 真田一族を描く物語では、昌幸や幸村に焦点があてられることが多いが、『太平記』では長男・信幸の存在が光っている。
 目端の利く父に比べると、信幸は動きが遅く見えるが、思慮深く聡明な人物だ。ただ、昌幸は自分にタイプの似た次男・幸村を愛し、信幸には冷たい態度をとる。その根底には二人の息子の出生の秘密があったことが匂わされる。
 関ヶ原の前夜、父子三人は最後の対面を果たす。
〈真田父子は、雷雨をはさんだ長い長い沈黙がすぎてしまうと、
「もはや、語ることもない……」
 ようなおもいになっていたらしい〉(第六巻)
 関ヶ原の後、徳川の臣として生きることを選んだ信幸は「信之」と改名する。そして、幸村に五年の間、徳川に隙を見せるなと忠言する。しかし、昌幸と幸村を助けることはできなかった。
 本来の自分を押し殺してまで、真田の家を守るという長男の責を果たした信之に、同じく若くして一家を背負った池波は共感するところが大きかったのではないか。

夢幻のように美しい死に際

 真田父子をめぐる人々も魅力的だ。
 物語の冒頭に登場する向井佐平次は、滅亡した武田家の足軽で、真田幸村と出会って、幸村に「おれと、お前とは、いつの日か、いっしょに死ぬるような気がしてきたぞ」(第一巻)と云われる。
 佐平次は無欲で出世を望まない。そこには「天下人であろうが、小者であろうが、人の世のいとなみは、みな、同じことなのだ」という悟りがある。そして、大坂冬の陣で幸村のもとに駆け付け、夏の陣でもともに戦う。
 幸村が死んだ佐平次を見つける場面は、夢幻のように美しい。
〈佐平次の死に顔は、何やら、うっとりと良い夢でも見ているかのように、おだやかなものであった。(略)(佐平次。死ぬる場所も、一つになったのう)〉(第十一巻)
 幸村と佐平次の関係に似ているのが、信之と鈴木右近だ。右近の父・鈴木主水(もんど)は真田家の沼田城の支城である名胡桃(なぐるみ)城の城主だった。この右近を描いたのが、短編「男の城」(『あばれ狼』)だ。
 信之は右近を信頼し、京の伏見屋敷の留守居役を任せる。信之が、徳川と大坂のパイプ役となった才女・小野お通に魅了された際には、恋のキューピッド役を果たそうとする。
 昌幸の隠し子と噂される樋口角兵衛は、物語を引っかきまわす「異物」だ。敵との戦いでは、六角棒で馬の脚を叩き折る活躍を見せながら、信之や幸村を逆恨みして、しばしば迷惑をかける。
〈狂暴な血と、生いたちの暗さが、角兵衛を得体の知れぬ生きものにしてしまったのであろうか……〉(第十一巻)
 池波は、短編「角兵衛狂乱図」(『あばれ狼』)も書いている。
 角兵衛と対照的に、終始さわやかな印象を残すのが、滝川三九郎だ。
 織田信長麾下の滝川一益の孫で、ふとしたことから真田昌幸の娘・於菊を妻にする。伯耆米子藩を経て、徳川の旗本となる。「わしは何処にいても、わしの為すことを為すのみ」と、運命に逆らわずに生きる(第八巻)。
 滝川三九郎が池波にとって大事な登場人物だったことは、第十二巻の「後書」で、この人物のその後を描いていることからも明らかだ。

暗躍する忍びたち

『太平記』は、「真田忍び(草の者)と甲賀忍びとの戦いを横糸」としている。
 池波はすでに「錯乱」で、隠密を登場させた。菊池仁によれば、同作が発表された1960年には村山知義『忍びの者』、柴田錬三郎『赤い影法師』が、その二年前には山田風太郎『甲賀忍法帖』、司馬遼太郎『梟の城』が発表されている。この忍者もののブームと無縁ではないと指摘している(「池波正太郎 忍者小説の系譜」『池波正太郎読本』新人物往来社)。
 池波の忍者ものは、新潮文庫では『忍者丹波大介』『忍びの旗』などがある。作品としては、丹波大介ものの続編にあたる『火の国の城』上下(文春文庫)が優れていると思う。
『忍者丹波大介』の後記で池波は、〔忍び〕は歴史の裏側で密かな活動を行なう存在で、「彼らへの愛着をおぼえる」と書いている。
 これを受けて、菊池仁は「忍者を主人公として設定することにより、従来の戦国武将物とはまったく違う時代のとらえ方が可能である」と指摘している(「池波正太郎 忍者小説の系譜」)。
 つまり、『太平記』では忍者という存在によって、戦国末期から幕府成立期までの状況を別の視点で見ることができたわけだ。
 それとともに、秀吉の天下統一の頃や、関ヶ原の戦いから大坂冬の陣までの間のように、歴史の動きがあまり大きくない時期は、忍者の活動を描くことで物語がダレないようにしたのではないか。
 多くの忍者のなかで最も印象的なのは、女忍者のお江(こう)だ。体力と知力を兼ね備えるいくさ忍びで、「何気もない百姓女の風体をしているのだが、怪鳥(けちょう)のごとく樹の枝にとまり、この寒気と雪の中で身じろぎもせぬ」(第四巻)というすさまじい力を見せる。
 その一方で、男に対しては情が深く、傷ついた向井佐平次を介抱し、真田幸村と抱き合う。
 関ヶ原の戦いで、お江は単独で徳川家康の命を狙う。この場面の原型は、『忍者丹波大介』にすでにあるが、どちらも息詰まる緊迫感だ。
〈宙に躍ったお江は、ゆれうごく輿の上から、こちらへ振り向いた徳川家康の両眼が張り裂けるばかりに見ひらかれているのを見た〉(第七巻)
 大坂の陣で仲間の草の者が次々と死んでいくなか、お江はしぶとく生き残る。信之のもとで働くことになった彼女は、信之に従って松代に移る。
〈お江より年下の信之の髪には、白いものがまじりはじめているが、お江の髪は黒ぐろとしているし、皺も目立たぬ〉(第十二巻)
 お江は『太平記』の登場人物中、最も生命力の強いキャラクターだと云えよう。
 また、加藤清正の料理人である片山梅春は、潜入した甲賀の忍びであり、蝸牛の銅板を所持している。「錯乱」にも登場するスリーパーの印だ。
 真田信之の家臣・馬場彦四郎もまた、徳川方が送り込んだ隠密だ。それを見抜いた信之は、彦四郎の友人・小川治郎右衛門に密命を与える。姿を消した彦四郎は、碁がたきである治郎右衛門のもとを訪れる。これも短編「碁盤の首」(『真田騒動』)に原型がある。
 他にも、草の者を束ねる頭領・壺谷又五郎、熟練の忍びである奥村弥五兵衛、向井佐平次の息子・向井佐助、お江を付け狙う甲賀忍びの猫田与助ら、多くの忍びが暗躍し、物語を盛り上げる。

挿画家・池波正太郎

 真田太平記館の中庭には〔ギャラリー《蔵》〕があり、連載時に風間完が描いた挿絵の原画を展示している。
 風間の描く女性は優美でありながら、強さもある。先に挙げたお江の家康襲撃の瞬間をとらえた一枚には見入ってしまった(『真田太平記読本』134ページに掲載)。連載の挿絵の宿命とはいえ、文庫版に風間の絵が使われていないのが惜しまれる。
 なお、『太平記』連載中、一度だけ池波が風間に代わって挿絵を描いたことがある。
 松本清張が『昭和史発掘』で風間完に代わって挿画を描いたことを聞いた池波が、「僕にもやらせてくれ」と風間に頼んだのだという(「池波さんとの二十五年 担当編集者・重金敦之氏ロングインタビュー」『真田太平記読本』)。松本清張は池波の先輩だが、社会で苦労を重ねたことや、時代小説を書いたことなど共通点がある。
 それがきっかけとなって、池波は自作の挿画を担当するだけでなく、黒岩重吾や杉本苑子の本の表紙画まで手掛けるようになった。『太平記』文庫版の装画も池波が描いたものだ。重金氏は「子どもにおもちゃを与えてしまったようなものかなあ」と反省している。

池波が描いた挿絵

池波が描いた挿絵

 もう一点、風間の挿画で印象深いのが、最終回だ。幕府から松代への国替えを申し渡された真田信之が、上田城を出発する場面である。
 松代に移った信之を描いた長編が『獅子』で、「錯乱」や「獅子の眠り」(『黒幕』)を原型としている。
「大名のつとめと申すは、領民と家来の幸せを願うこと、これ一つよりほかにはないのじゃ。そのために、おのれが進んで背負う苦労に堪え得られぬものは、大名ではないのじゃ」
 という信念を持つ信之が、家督相続の問題に乗じた幕府の陰謀に立ち向かう。
 信之の死後、五代目・信安時代の騒動を描いたのが、前出の「真田騒動」。池波は、悪政の元凶とされる原八郎五郎に思い入れがあったのか、「刺客」(『賊将』)、「運の矢」(『あほうがらす』)、「」(『谷中・首ふり坂』)、「この父その子」(『真田騒動』)などに、この人物を登場させている。
「真田騒動」で、木工は失脚した原が罪人として引かれていく姿を見る。
〈原のしてきたことが、それほど悪いことでもなかったようにおもえ、長い間、原を倒すことに精力と神経をつかってきた自分自身が厭らしい小心者のようにおもわれてきた〉
「刺客」でも、敵対する側に原を「好きな男だ」と云わせているあたりに、世の中は白と黒で割り切れないという池波の信念がうかがえる。
 なお、「運の矢」は、小心者の主人公が死を覚悟して父の敵に向かったところ、見事に打ち取ることができる。すべてがうまくいったように見えたが……という皮肉な話。池波は、ある人から聞いた話を時代小説の世界におきかえ、敵討ちの主題として書いたと述べる(「敵討ち」『新年の二つの別れ』朝日文庫)。
 そのうえで、現代のエピソードを時代小説として書くのは、「はっきり史実にあるのを小説にするより」難しい。それは主人公に「作者としての私が同化してしまわなくてはペンをとれぬ」と書いている(同前)。
 このほか、「真田もの」としては、のちに真田が領することとなる沼田城の主・沼田万鬼斎の運命を描く長編『まぼろしの城』とその原型「幻影の城」(『あばれ狼』)や、真田家が舞台となる「槍の大蔵」(『黒幕』)、「へそ五郎騒動」(『谷中・首ふり坂』)などがある。
 以前は他社文庫に入っていた作品も、いまは新潮文庫にまとまっており、「真田もの」の全体像が見えるようになったのはありがたい。

真田太平記一

 真田一族が出てこない戦国ものとしては、直木賞候補となった「応仁の乱」(『賊将』)、武田家が舞台の「鳥居強右衛門」(『あほうがらす』)、多くの武将のもとを渡り歩いた渡辺勘兵衛が主人公の「勘兵衛奉公記」(『黒幕』)などがある。
剣の天地』上下は、上州・大胡(おおご)の城主である上泉伊勢守がその立場を捨てて、一人の剣士として生きる物語。諸国をめぐる旅に出た伊勢守は「このような境界(きょうがい)に入って、世の中がひろく見ゆるようになったのう」と語る。
 伊勢守が達した境地は「新陰流」として、柳生家に受け継がれることになる。関連する短編として「夫婦の城」(『黒幕』)がある。
 これらの長編・短編には、共通する人物やエピソードが多く、関連性を意識しながら読むと、より楽しめるだろう。
 短編で描かれたエピソードが支流となって、大きな流れに合流して生まれたのが『太平記』という大河小説である。だから『太平記』を読むことは、池波の作家としての過程をたどることでもあるのだ。

ゆかりの地で仏映画

『太平記』ゆかりの地をひとめぐりすると、午後になっていた。真田家発祥の地と云われる真田の庄や、幸村が居住した砥石城、幸村と佐平次が出会う別所の湯などにも行ってみたかったが、日帰りではとても無理だ。
 上田の町で、〔刀屋〕と同様、池波がひいきにした〔べんがる〕のカレーも食べてみたかったが、この日は定休日だった。
 上田の中心部はほとんどが平地なので、電動自転車だと結構遠くまで足を延ばせる。上田図書館の二階で郷土資料を眺めたり、たまたま見つけたカフェ〔kadokko〕で休憩したりする。
 池波は、上田城の北方に太郎山があることで、
〈上田は冬も暖かく、現代も、他国の人びとの、
「上田へ住みついたら、もう、他の土地へは住めなくなる」
 という声を聞くことが、めずらしくない〉(第二巻)
 と書いている。
 短い滞在だったが、私も上田という町が好きになった。
 ふらふらと歩きまわるうちに、古い町並みの残る柳町に出た。通りにある古本屋〔コトバヤ〕を覗いてみたら、池波の『その男』全三巻(文春文庫)が並んでいたので、記念に買う。
 最後に向かったのは、〔上田映劇〕だ。
 戦前から続く映画館だが、休館を経て、NPO法人による運営に代わる。1917年(大正6年)の開館当時の木造二階建てで、ミニシアター系の作品を上映している。以前からここで映画を観たかった。
 ロビーに入ると、奥に本棚があり、長野県大町市に店舗を持つ〔書麓アルプ〕が選んだ古本を並べている。棚の一番上に池波正太郎のエッセイ集『フランス映画旅行』(文藝春秋)が面出しされていた。
 この日観たのは、アリス・ディオップ監督の〔サントメール ある被告〕。フランスに留学したセネガル人女性が犯したとされる殺人事件の裁判を描く。フランス映画を愛した池波が観たら、「ここまで進化したか」と驚いたかもしれない。
 上田駅まで戻り、『真田太平記』と池波正太郎をめぐる小さな旅行は終わった。帰りの新幹線では、読みかけの池波作品のページをめくった。
 次号の最終回では、アウトローを描いた作品や、幕末ものと現代小説、そしてエッセイを取り上げます。


 (なんだろう・あやしげ 編集者/ライター)

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