対談・鼎談

2023年12月号掲載

南沢奈央『今日も寄席に行きたくなって』刊行記念対談

ゴールのないこの世界で 後編

南沢奈央 × 蝶花楼桃花

落語、芝居、そして書くこと。
定められたゴールがない世界でそれぞれ邁進する二人が、芸を極める楽しさ、苦しさについて語り合います。
前編はこちら

対象書籍名:『今日も寄席に行きたくなって』
対象著者:南沢奈央/漫画・黒田硫黄
対象書籍ISBN:978-4-10-355331-1

南沢 『今日も寄席に行きたくなって』の連載中、真打に昇進される直前の桃花(ももか)師匠、当時の春風亭ぴっかり☆さんに取材して、「真打はスタートライン」という章にまとめました。あの時は、しきりに「こわい」と仰っていました。

桃花 相当「こわい」と言っていたようですが、実は自覚がないんです。それくらいこわかったのでしょう(笑)。去年の春に真打昇進しましたが、今でも「こわい」ですよ。この先もずっとそうなんでしょうね。

南沢 でも、その「こわい」は以前と種類が違いませんか?

桃花 昇進前は未知の世界への「こわい」でした。今は例えば、寄席で真打としてトリも取らせてもらうようになって、寄席への思いがより強くなったし、落語への愛情も深まったことでの「こわい」のようです。私、本来は積極的に自分を出していきたいほうなんですけど――芸人はみんなそうですが(笑)――、そんな私でもこんなふうになるんだと驚いています。

南沢 もっと寄席のこと、落語界全体のことを考えるようになった?

桃花 私なんかが言うのもおこがましいことですが、「できることはなんだろう?」って考えるようになりました。コロナ禍の休業や入場制限で寄席の経営が苦しくなって、「寄席がなくなることって、あり得るんだ」と実感した時、どうやって寄席を残していくかを本気で考えました。辿り着いた答えの一つが「桃組」(先月号の前編参照)でしたし、これからもお客さんに寄席に来て頂くためにできることは何でもやっていきたい。そんな考えを持つようになったのは、真打になってからの大きな変化ですね。

名前が変わって、気持ちが進む

南沢 真打昇進と同時に改名もされました。新しいお名前、素敵です!

桃花 ありがとうございます。亭号まで変わるんじゃないかとは薄々予想していたんですけど、まさか蝶花楼(ちょうかろう)が飛んでくるとは(笑)。

南沢 これは師匠である(春風亭)小朝師匠がお付けになったんですか? 桃花師匠のご希望もあったんですか?

桃花 私の希望ではなく、完全に小朝が考えてくれた名前です。一門で集まって、師匠が名前を書いた紙を隠しながら、「これからぴっかり☆の新しい名前を発表します! ドゥルルルル……蝶!」って一文字ずつ見せていったんです。「蝶」が見えた瞬間、「えええ! 蝶花楼!?」って、みんな大騒ぎ。

南沢 すごい発表の仕方(笑)。

桃花 蝶花楼の亭号は由緒があって憧れでしたし、桃花の字面もきれいだし、見た瞬間に気に入りましたね。

南沢 字面も響きもとても素敵な名前ですよ。二つ目になった時の、ぴっかり☆さんの命名はどういう発表の仕方だったんですか?

桃花 わりと軽く「きみ、『ぴっかり☆』ってどう?」って言われたので、「これは困ったな」と思って、「師匠のお名前から一字、小か朝をいただきたいです」とお願いしたんです。そしたらもっとおかしな名前をどんどん挙げてくるんですよ。「じゃあ『お尻』」とか「『岩田康子』はどう?」みたいな。誰なんですかね、イワタヤスコって。

南沢 もう亭号ですらない(笑)。

桃花 最後にはもう、「すみません、ぴっかり☆でお願いします!」って私からお願いする形になりました。師匠にうまいことやられましたね(笑)。南沢さんも本名ではなくて芸名ですよね?

南沢 私の場合は、当時の事務所の社長から「今日から南沢奈央ね」と言われて、紙を渡されたんです。私も選択権はなかった(笑)。

桃花 すんなり受け入れられましたか?

南沢 当時15、16歳で、しばらくは全然自分のことと思えなかったです。でも、今になると芸名があって良かったですね。プライベートと仕事を分けられるし、自然と仕事のスイッチも入るし。でも、落語家さんみたいに、キャリアと共に名前が変わっていくのとはまた全然違う話ですけど。

桃花 南沢さんがやがて二代目杉村春子とか襲名することもないですしね(笑)。落語界は確かに不思議な世界で、名前が変わった瞬間から、一門に限らず、楽屋のみんなが次に会うと「桃花さあ」って普通に呼んでくれるんです。ためらいとか照れとか全然なし。

南沢 ナチュラルなんですね。

桃花 この自然な変化は面白いなあと改めて感じます。周りに呼んでもらって「そうか、私は桃花だ」と慣れていく感じでした。

南沢 昔から知ってると、慣れや親しみもあって、つい前の名前で呼んでしまいそうなものですよね。それが礼儀でもあるんでしょうね。

桃花 「師匠」と呼ばれるのもそう。落語協会に電話した時、「師匠が、師匠が」と言われて、どの師匠のこと言っているのかなと思ったら、私のことだった。

南沢 ちゃんと「桃花師匠」と言ってくれないと気づかない(笑)。前座、二つ目時代は名前だけで呼ばれてたのが、初めて「師匠」と呼ばれるわけですもんね。俳優にその変化はないなあ。

桃花 「座長!」くらい?(笑)

南沢 昇進していって、呼び方、名前が変わっていくことで、気持ちなり意識なりもちゃんと前に進んでいくんでしょうね。

桃花 それはあります。同時に自分で二つ目の頃を「ぴっかり☆時代」と思えるようになったのは大きいかも。別物になるというか。

南沢 自分の中できちんと節目になりますね。羨ましいな(笑)。

南沢奈央

寄席はみんなで「繋ぐ」もの

桃花 そう言えば、つい先日、出番を間違えちゃって。

南沢 時間を勘違いしたんですか?

桃花 (春風亭)柳枝(りゅうし)兄さんに「×日は俺、仕事あるから、すまないけど上がりを代わってくれる?」って頼まれてOKしたんです。私の出番は15時だったのを、兄さんと代わって12時上がりになった。それを寄席には伝えたのに、自分のメモに書くのを完全に忘れてしまって! 当日、家で落語のCDを聴きながらボーッとしてたら、前座さんから電話があって、「姉さん、どこですか? もう15分後ですよ」「ええええっ、待って待って、ウソーッ!」。もちろん間に合わない(笑)。落語家って、あまり早くに楽屋へ入らないから、「あれ来ないな」と思って電話をくれるのが割と直前なんですよ。

南沢 それはアワアワしますよね。高座はどうなりました?

桃花 どうにか辿り着いたんですけど、私の到着前に、他の演者さんたちが何人も高座に上がるたびに、「桃花が来ておりませんで代わりにわたくしが」「えー、まだ来ません」「いま電話がありました」とかネタにして、いじり倒してくれてたみたいで(笑)。だから私が上がって「申し訳ございません」って頭を下げただけで客席はドッと笑ってくれたからホッとしました(笑)。

南沢 お客さん側からすると、寄席ってハプニングも楽しみですもんね。

桃花 私が息も絶え絶えに楽屋へやっと辿り着いたら、(柳亭)市馬(いちば)師匠が「わかってるなお前、短く降りてくるんじゃないよ」(笑)。

南沢 落語協会会長からプレッシャーが(笑)。

桃花 こっちは長く演(や)る余裕もないけど、「すみませんでした、10分ぐらいは」って与太郎の小噺をいくつか演ってそそくさと降りてきたんです。そしたら次が市馬師匠で、高座に上がるなり「われわれの世界にもあんな粗忽者(そこつもの)がおりますが」と言った次の瞬間、マクラも振らずに「ちょいとお前さん。まあ呑気だねえ、この人は」って、「粗忽の釘」にスッと入ったんです!

南沢 うわあ、かっこいい!

桃花 本当にかっこよかった。見事に私の遅刻が仕込みになってるんです。「やられた!」と思ったんですが、同時に、こういう連携があるから、やっぱり寄席ってすごいなあ、いいなあと。

南沢 落語は一人芸で、孤独な芸だと思っていましたが、意外とそんなことないですよね。寄席に行くと、演者さん同士のトリまで繋いでいこうという連帯感を感じます。団体芸ではないにせよ、みんなで一つの完成された流れを提供しようという意識がありますよね。高座に上がる時は一人でも、芸人同士の絆があるというか。

桃花 私もそのミスを犯してさらにそう感じました。

南沢 実感がこもってる(笑)。

桃花 高座の後、寄席の社長に謝りに行ったんですが、「めちゃくちゃ高座で謝ってましたねえ」って笑ってくれました。遅刻しても、それが笑いになれば許していただけるんですよ。お客さんからのクレームも「金返せ」も一切ない。そんな暖かい空気がこの時代に実在するんです。この暖かさ、すごくないですか?

南沢 本当にいい世界ですね。芝居の途中で「まだ南沢が来てなくて」となったら、絶対クレームが入る(笑)。

落語と芝居は全くの別物

南沢 落語の最中にお客さんの携帯が鳴った時って、正直どうなんですか?

桃花 鳴るタイミングによりますが、まず笑いにすることを考えますね。救急車のサイレン音なんかも、「ほらお迎えが来たよ」とか入れて上手くハマると、ドカッと笑ってくれたりもします。そんな対応ができるようになるのも寄席の修業のうちだと思います。

南沢 あえて取り入れるんですね。

桃花 こればっかりはもう、ネタにするしかないですよね。その日3回目ぐらいになると、さすがに無視しますけど(笑)。

南沢 噺の途中で客席に入ってきた人をいじったりするじゃないですか。

桃花 しますね。帰る人の場合も(笑)。

南沢 芝居だと「客席は客席、演者は演者」とわりと明確に分かれているので、たとえ途中入場のお客さんがいても、いかに惑わされず、演技に集中できるかが重要なんです。落語はハプニングも取り入れて、その日の客席の状況に合わせて変化させているのが面白い。むろん芝居も、その日の客席の雰囲気で変わりはしますが――。

桃花 「落語はお芝居の要素がある」とは我々もよく言われますが、職種が違いますよね。

南沢 ぜんっぜん違いますね。

桃花 長距離走と短距離走の関係みたいなもので、芸として使う筋肉もトレーニングの仕方も別だなあと感じます。

南沢 自分が落語を演ることになって、稽古してみて「感情移入しすぎるのはダメなんだ」と気づいたときは驚きました。どれだけ感情移入できるかが肝心な芝居とはまるで違うんです。

桃花 落語は人物を演じる部分があっても、あくまで「噺を提供する」話芸であって、落語家の演技を見せるものではないんですね。

南沢 寄席の客席にいる側として言うと、落語は「その落語家」を見に来ているのであって、演じている役を見たいわけじゃない。お芝居の時は演じている役を見せるものだと思って、できるだけ自分を消すんですが、落語だとむしろ演者の個性がバンバン出ていた方が見る側の満足度は高い気がします。

桃花 落語を演っている時、登場人物にあまりにも感情が入り込みすぎると、地の語りにうまく戻れなかったりもします。でも感情移入しないわけではない。お芝居との違いは本当に面白いですね。

蝶花楼桃花

「師匠からの課題」に鍛えられた

南沢 前に伺った「小朝師匠に直接稽古をつけてもらったことがない」というお話は衝撃的でしたが、いまだにないままですか?

桃花 もちろん私が演るのを見てはくれるんです。でも、マンツーマンでこの噺の稽古をつけてもらう、という形ではないですね。うちの一門はみんなそうです。でも、師匠は普段から弟子のことを細かく見てくれていて、ひとりひとり違う課題を出してくれます。

南沢 例えば桃花さんだったら、どんな課題ですか?

桃花 師匠の独演会に呼んでもらったとします。本来は前座の役割だから何を演ってもいいはずなんですが、私の場合は直前に師匠から「この噺を演って」と指示が来ます。それも本当に高座へ上がるギリギリまで何の噺か教えてくれない。

南沢 あらかじめ準備がなくても対応できるように、ということなんでしょうか。

桃花 そうなんだと思います。ある日の兄弟子はまた違う指示を受けて、いきなり「5分ぐらい漫談を振ってから降りてきてね」と言われていました。弟子それぞれに合わせた育て方や課題が師匠の中にあるんだと思います。

南沢 直接的な指導ではなくて、何かを考えさせるアドバイスなんですね。以前、小朝師匠から「語尾を全部変えてやってみて」って言われたそうですが。

桃花 「悋気(りんき)の独楽(こま)」という噺を、当時は一字一句かっちり覚えて演っていたんです。それが、ある日突然「全部語尾変えてみて」って。一度覚えた形を変えるのって、そりゃあもう大変なんです。

南沢 俳優はいきなり演出家に「今日は語尾を全部変えてみよう」なんて言われないですよ!

桃花 「~です」を「~ですよ」とか、「およこし」を「ちょっと貸しなさい」とか、そんなレベルの変更しかできませんでしたが、語数が少しでも変わるとリズムも全部変わるんですね。新しく覚えるよりもずっと難しかった。

南沢 それは何のためのアドバイスだったと思いますか?

桃花 一回、覚えた型を崩してみなさい、ということだと思います。

南沢 小朝師匠の指示は素晴らしく柔軟ですね(笑)。でも、頭の中や口調が凝り固まっていたものをほぐして、より自由に演じられるようになりそう。

桃花 そうなんです! 師匠のそんな指示や課題のおかげで、私は絶句癖がずいぶん治りました。無茶苦茶でも何でも、言葉を繋げる勇気を与えてくれたんだと思います。例えば桂宮治、みやちゃんは絶句したことがないんです。そんな落語家は実は珍しいのですが、要するに彼は一個もセリフを決め込んで喋っていないからですよ。

南沢 自分の言葉だけで繋いでいるから絶句しないんですね。

桃花 だから彼の落語には勢いがあるのかもしれませんね。ただもちろん、一字一句しっかりと用意した言葉を重ねていくタイプの語り口にも、古典の名作を今に伝える魅力があふれます。お芝居の演出家もいろんなタイプの方がいらっしゃるでしょう? 抽象的な指示をされる方と、セリフの言い方や動きを具体的に言われる方、どっちがいいですか。

南沢 私は演出家の言うことに従うタイプなので、どっちでもいいです(笑)。具体的な動きを指示されて、型から入るのも面白いですし、逆に「もっと感情をこういうふうに作ってください」とか抽象的な言葉から身体表現を探っていくのも面白いんですよ。

桃花 「とにかく自由にやって」という演出家もいますか?

南沢 います。「じゃあ、次は全然違うパターンで」とか千本ノックみたいになる場合もあります。語尾を全部変えて、は言われたことないですが(笑)。でも舞台は割と稽古期間があるので、失敗してもいいから色々試してみるのも結構楽しいんですよね。

桃花 失敗してもいいから楽しめる、というのは才能ですよ。

次に挑むのはあの大きな噺!

南沢 真打になられてからも、小朝師匠からは「あの師匠にあの噺を習いに行ってきて」みたいな指示はあるんですか?

桃花 あります。提案、みたいな感じで言われますが。

南沢 次に取り組む噺は、どなたに教わりに行かれたのでしょう?

桃花 実はこのあいだ、大阪の(桂)米團治(よねだんじ)師匠のところに行って、(桂)米朝(べいちょう)師匠仕込みの「地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)」を教わってきました。

南沢 えーっ、すごい! 1時間越す大作だし、東京で演る方は少ないんじゃないですか。

桃花 あんまり、いないですね。鳴り物も入るし、所作も多いし、現代に合ったギャグも作らないといけない。上方ふうに見台を置いて小拍子を入れたりする場面転換などは、見台を置かず、江戸風に変えるつもりです。米團治師匠に教わったけど、基本的には作り変えるくらいの作業になりますね。来年実現できればと思っています。

南沢 桃花師匠の挑戦は続きますね。

桃花 本当に「真打はスタートライン」で、ここからさらに新しいことを積み重ねていかないと、と思いますね。南沢さんも、俳優業はもちろんですが、書く仕事もずいぶんやって来られて、『今日も寄席に行きたくなって』が初のご著書ですね。これもやがて2冊目、3冊目と積み重なっていきますよね。

南沢 本が出せたから真打、というわけでは全然ありませんが……日常エッセイや小説にもいつか挑戦してみたいですね。

桃花 早く読ませてください! ちなみに、南沢さんには「文章の師匠」っているんですか?

南沢 ひそかに目標にしている方はいるのですが、内緒です(笑)。道は遠いというか……落語も、演じることも、書くことも、ゴールがない仕事だと思います。でも、それはきっと素敵なことですよね。


 (みなみさわ・なお 俳優)
 (ちょうかろう・ももか 落語家)

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