対談・鼎談

2024年2月号掲載

大楽必易(たいがくひつい)――わたくしの伊福部昭伝 刊行記念対談

ゼロ地点の音楽

片山杜秀 × 岡田暁生

《ゴジラ GODZILLA》のテーマで怪獣に命を与えた大作曲家。
全世界の子供すら魅了してきた不思議な音楽の魅力を、『ごまかさないクラシック音楽』(新潮選書)の名コンビが解き明かす!

対象書籍名:『大楽必易―わたくしの伊福部昭伝―』
対象著者:片山杜秀
対象書籍ISBN:978-4-10-339712-0

反近代主義のルーツ

岡田 本の中で自身もおっしゃっていますが、片山さんは作曲家・伊福部昭の長年の「信者」です(笑)。

片山 はい。マイノリティの極みで。

岡田 われわれの近刊『ごまかさないクラシック音楽』は、いわば「主流音楽史」への批判だった。だからというべきか、既成音楽史では「傍流」にいる伊福部はまったく議論にのぼらなかった。仮想敵は、例えば小林秀雄のモーツァルト論や丸山眞男のベートーヴェン像に代表される教養主義的クラシック受容でした。つまり伊福部を傍流へ追いやってきた「主流」が標的だった。

片山 うーん、そうですね。

岡田 それに対して「今回こそ片山音楽史の総本山である伊福部を主人公にしよう」という企画がこれです(笑)。この圧倒的な本を読ませていただいて何より印象に残ったのは、明治以来の教養主義的洋楽崇拝への伊福部の沸々たる怨念です。当然ながら著者の片山さんもそれは共有しているでしょうし、実は私も深く共感するところです。ただ正直いえば私はこれまで、伊福部の音楽は避けてきました。その理由がこの本を読んでわかった気がした。つまり私と片山さん(あるいは伊福部)では、舶来教養崇拝に反感をもつに至るルートがかなり違っているのではないかということです。端的にいって伊福部=片山の「反近代」は北方から来ている。片山さんの生まれは仙台、伊福部の故郷は北海道。しかし私は徹頭徹尾「西」の人間なんです。

片山 父方は紀州なのですが、どうも母方の血が強いようで。祖父母は岩手出身。祖父は一関で、祖母は津波で流された大槌(おおつち)。祖父は逓信省の電気関係の役人で東京住まいでしたが、戦後の電力分割で東北電力へ行き、仙台で白洲次郎の鞄持ちになりまして。

岡田 『大楽必易(たいがくひつい)』には蝦夷の匂いが充満していますね。そして片山さんが住んでおられるのは茨城だけど、水戸はもともと常陸(ひたち)だから、源氏の武士の「東国」。

片山 書庫の都合で他に行きようがなく。常陸とはもともと、縁はないんですよ。

岡田 この本の舞台になる伊福部の音楽の故郷は、私のような「西」の人間にとって、もっとも縁遠い世界です。私の父は伊丹の出身なんですが、ここはもともと近衛家領。ほとんど天皇領みたいなものでしょう。伊福部は古代の因幡(いなば)に遡る自分のルーツに強い自尊心をもっていたということですが、それでいえば伊丹は、伊福部の先祖を滅ぼし、あるいは北海道に落ち延びさせた仇敵の領地みたいなものです。しかも父の実家は造り酒屋だったから、どうしても私は江戸町人文化的なものと相性がいい。伊福部はスサノオノミコトを自分の先祖とすら考えていたようですが、そういう猛々(たけだけ)しい古日本みたいなものに反射的に恐怖を覚える(笑)。ついでに言えば、私の母方は長州のこれまた造り酒屋でした。幕末の動乱で会津をはじめ東北の人々をひどい目にあわせ、北方へ追いやり、「近代以前」を徹底的に踏みつけて明治維新を敢行したのが長州。私の出自がことごとく伊福部のルーツと否定的に交差している。どうりで片山さんにいくら言われても、なぜか伊福部だけは聴いてみようとまったく思わなかったわけだ。きっと怖かったんでしょう(笑)。

片山 伊福部の敵が勢揃いしたようなご出自ですね(笑)。

「雑居(ハイブリッド)」としての日本

岡田 これは音楽ファンだけでなく、何より、近代日本思想に興味のある人が手に取るべき本です。戦前の北一輝や石原莞爾から戦後の丸山眞男まで、彼らが生涯をかけて格闘した「日本にとって近代とは何だったのか?」というアポリア。音楽を通して、それに答えを出そうとしたのが伊福部だった。

片山 今日も畳に炬燵で対談していますが、伊福部という人は、日本人はいくら西洋化しても家に入れば靴を脱ぐではないかと言う。岡潔の台詞を借りて、民族の美意識は千年単位でないと変わらぬと言う。でも、やっているのはあくまで西洋音楽。『管絃楽法』という本を書き、オーケストラに執着する。日本の伝統に根ざしていると主張するのだけれども、北海道を媒介にして本土よりも北アジアとつながってしまう。

岡田 偏狭な日本主義ではなく、いわばユーラシア主義としての日本主義ですね。

片山 田んぼの芸能とは違うんですね。日本的淡白さとは縁遠い。灰汁(あく)が強い。ロシアのオーケストラは馬力があっていい、というのが口癖で。肉が大好きだし。表では日本だ、日本だと言いますが、裏では、青少年時代の僕はヴァイオリンでベートーヴェンを一番練習したと言う。日本人が西洋音楽をやる矛盾に正面からぶつかっていた人です。

岡田 伊福部の「日本」は、反動右翼が口にする抽象化された「純粋な日本」ではない。そこには様々な歴史の古層がある。スサノオノミコトの日本、物部(もののべ)氏の日本まで透けて見えてくる。隣接諸国からもロシアや中国やギリヤークといった様々な文化が入り込んでいる。北海道にはアイヌもいる。そんな古代以来の人々の往来を通して形成された文化の古地図を見るような本です。

片山 伊福部らしさとは、北の「雑居(ハイブリッド)」なんですよね。

「体液」から世界を見る人

岡田 ところで伊福部は昆虫採集が趣味だったそうですね。

片山 岡田さんと同好の士ですね。

岡田 ところがびっくりなのが、昆虫の中でも「アオムシ」の標本を作るのが趣味だったということ。ふつう昆虫採集といえばチョウとかクワガタです。ところがアオムシ、つまりチョウや蛾の幼虫の標本を作る、と。これは相当珍しいですよ。幼虫は薄皮一枚剥がせば体液で、特別な刃物を使ってお尻を切り、中身を出して藁を突っ込み、口でフウッと吹いて膨らませて標本にしていたそうですね。ぞっとするような気持ちの悪い作業です。

片山 やっぱり、そうですか(笑)。

岡田 しかもこのエピソードは本書の核にかかわる気がしてなりません。文化にも体液がある。体液とはそもそも生々しく気持ちの悪いものかもしれない。こういうものを近代日本の清潔主義は隠そうとしてきた。しかし体液とはすごく儚(はかな)いものでもある。すぐ乾いてしまう。伊福部が若い頃に経験したというアイヌの村祭りなども、まさに文化の体液だったでしょう。しかし伊福部は決してアイヌの伝統芸能保存といった方向へは行かない。作曲家として楽譜を書く商売になる。「五線譜」って西洋近代合理主義システムの極致ですよね。それに則って曲を作る。僕にはこのことが、アオムシの体液を絞り取って標本にする感覚と重なって仕方がないんです。

片山 いつも「血」の話をする人でしたね。風土や文化でなく、体液で語らないと気が済まない。ロシア音楽に親近感を持つ理由も、モンゴルがキエフ大公国を征服して、ロシア人は相当程度モンゴロイドと混血しているから一緒になれる。いつもそういう言い方をするのです。幾分なりとも同じ血液がないと分かり合えないと。

岡田 それにしても「血」と「土」とは思想的にちょっとヤバくないですか?

片山 そこは音楽家だから微妙にすり抜けられるわけで。政治思想家だったら大変ですよ。

岡田 他方で、伊福部はプロコフィエフに代表される未来派的というかマシーン的なものに激しく反応しますね。ますますヤバい(笑)。「血と土と鉄」とくれば、当初ナチス・シンパだった小説家エルンスト・ユンガーの『鋼鉄の嵐の中で』や『火と血』がいやでも思い出される。あ、そういえばユンガーも昆虫採集が趣味でしたが。それはともかく、こういう文脈の中での伊福部の歴史観ってどういうものだったんでしょうか?

片山 日本、モンゴル、ロシアの血のベルトを考えているわけでしょう。モンゴルを軸に、ウラル・アルタイ語族がユーラシア大陸でベルトになっているという司馬遼太郎と似ているかもしれない。

岡田 それにしても、先祖についての伊福部自身の語りもすごい。自分は天皇より前の日本人の末裔なのだ、ってことですよね。『ウルトラセブン』の「ノンマルトの使者」の回みたいな話です。今の日本人は実は原日本人を滅ぼした侵略者だった、みたいな。

片山 北海道育ちだから水田で蛙が鳴いている日本的原風景に馴染めないと言いながら、伊福部家は天皇より前に日本に住んでいる古代豪族であったとの自負が強い。祖父は、代々務めていた因幡国の一宮・宇倍(うべ)神社の神主の座を、神社の人事に介入してくる明治国家の政策のせいで追われ、神奈川に一家で逃げた。父は警官になり、神奈川県から北海道に移って、あちこち転勤した末に、十勝の音更(おとふけ)村の村長になってアイヌ行政に携わる。その音更に三男の昭少年も札幌から連れて行かれて、アイヌコタンに出入りを許される特別な大和民族になる。ユーラシア的な根を音楽で主張してやまない伊福部昭は画に描いたような貴種流離譚の人なんです。

合わせ鏡としての吉田秀和

岡田 これまで伊福部をなんとはなしに忌避してきた私ですが、今回はさすがにいろいろな録音を聴いてみました。今の日本の中堅指揮者たちの動画もいろいろ見ましたが、正直彼らはオーケストラをがんがん鳴らしすぎる。民俗音楽をそのままオーケストラで模倣したようにしか響かない。そのなかでちょっと別格の印象を受けたのが山田一雄さんの録音です。熱烈な音楽ファンというのは教祖=大作曲家の教えを使徒=演奏家が正しく伝道しているかどうかにとてもこだわるものですが(笑)、伊福部の「信者」としての片山さんの意見はどうです?

片山 仰せの通りです。山田一雄の伊福部は、フルトヴェングラーのベートーヴェンのようなもので。

岡田 山田は伊福部の音楽の「体液」を共有できる世代だったんでしょうね。ただし伊福部の音楽は「体液」に依存する部分がすごく大きくて、それを共有できる音楽家でなければ正しく再現できない脆(もろ)さも感じたな。これを「普遍性の欠落」などというと言い過ぎでしょうが……。

片山 そこは言い方次第でしょうか。シベリウス、ブルックナー、ムソルグスキーのようなタイプの音楽なんです。「体液」がないと駄目でしょう。

岡田 近代日本が洋楽導入の手本にしたドイツ音楽を、伊福部は「日本人は自分たちから最も遠いものを手本にしてしまった」と喝破します。バッハのフーガやベートーヴェンのソナタ形式のことですよね。実はそれは日本人の「体液」に最も異質なものなのだと。日本人が行けるのはせいぜいシベリア経由でロシア=ストラヴィンスキーまで、イスラム圏経由でせいぜいスペイン=ファリャまで。意地悪く言えば、民族主義モダニズムという超近代にいきなり接続してしまう方が、バッハやベートーヴェン経由で近代を段階的に克服していくより簡単だ、と聞こえないことはありませんか……?

片山 伊福部が価値観を形成したのは、世界大恐慌後の「西洋の没落」が前提になった時代であり、恩師アレクサンドル・チェレプニンと同じく、近代はもう見限って、前近代から超近代へ行っていい、というノリはありますね。同時代の「近代の超克」と同じ思考パターンと言えるでしょう。

岡田 伊福部は何年生まれですか?

片山 1914年です。

岡田 13年生まれの吉田秀和とほとんど同い年か……。しかも吉田も10代のころ北海道(小樽)で過ごしているから、伊福部と結構ルーツも似ている。でも、吉田さんはそんなことつゆほどにも見せなかったなあ(笑)。

片山 吉田さんは、伊福部昭の名前を口にしようとしませんでした。ほら、片山さんが好きなあの人、とか(笑)。

岡田 よく覚えてる。話題になっても名前を口にしないんですよね。黙殺(笑)。

片山 吉田さんは東京生まれですけど、関東大震災で焼け出されて北海道に移り、東京に戻り成城高校に行った。

岡田 東京私鉄沿線大正教養主義の牙城(笑)。

片山 伊福部と同じように吉田さんも本当にはどこにも根差せていなかったのではないか。伊福部はそこで先祖の国津神系古代豪族へと血を辿ってワープしておのれを安定させるけれども、吉田さんはまさかそんな荒技は使えない。そこで日本古代でなく、西洋近代へ同化しようと、ドイツ語もフランス語も懸命に勉強する。トルストイの『戦争と平和』は北海道で読むとよく分かるとは仰るけれど、ロシア音楽には行かなかった。

岡田 国民楽派に対する吉田さんの蔑視はすごかった(笑)。「体液」の臭いがするものは忌避していたんでしょう。

「憧れ」は何も生まない

岡田 伊福部はショートカットでいきなりドイツ(あるいはフランス)の文化を直輸入するというより、ユーラシアの地べたを歩きながらヨーロッパに接近しようとした人ですよね。樺太からシベリア、モンゴル、カザフスタンを横切って……。

片山 シルクロード経由でイスラムを通ってスペインのファリャまで行き、ロシア経由でストラヴィンスキーへ。

岡田 ファリャが好きだった理由がふるっている。ファリャはあれだけフランス音楽が好きだったのに、真似しようとしなかったのが偉大だ、と。

片山 遠いものへの「憧れ」は何も生まない、といつも戒められました。「憧れ」を過剰に意識するのはデラシネの問題があるからです。開拓地の役人の子で高等教育を受けた経歴を持つ伊福部昭ほど故郷(ハイマート)に阻害されている荒野の流れ者はいませんから。

岡田 洋楽に憧れる都会のぼんぼんインテリと対極にいた人ですね。彼が森林官をやっていた厚岸(あっけし)って、最近もヒグマが次々牛を襲う事件があったあたりだ(笑)。そんなところで山奥の小屋で寝泊まりする暮らしをしていた人が作曲家になった……。

片山 実際、厚岸の山小屋で熊に襲われそうになったことがあるそうです。ところで伊福部は北海道帝国大学でも農学部の林学実科の出であって、本科ではない。西田幾多郎が東京帝国大学の文科大学の本科でなく選科であったことを思い出してよいでしょう。当時としては選良に違いないけれど、はみだしている。そこにもうひとつ屈折があり疎外感があって、西田哲学か伊福部音楽か、構造と言うか結構と言うか、フォルムがおかしくなるわけです。きちんとした近代から遠く離れてしまう。

岡田 明治以来の東京的近代に対しても違和感がないはずはないですよね。急ごしらえで薄っぺらな舶来近代への反感。この薄っぺら感は残念ながら百年の間にますます加速され、そして黄昏を迎えているようにも見えますが、どうでしょう、そんな時代の日本にあって伊福部の音楽が何か指針を与えてくれるとすれば何でしょうか?

片山 司馬遷の「大楽必易」。伊福部の好んだ言葉です。本物の音楽はシンプルだということです。それからゲーテの「真の教養とは取り戻された純真さに他ならない」。これが伊福部の殺し文句でして。近代の教養を「真の教養」で撃つ。近代の教養の真打とは西洋近代音楽で言えばやはり対位法と和声学でしょう。それが「真の教養」への回帰を阻害する。

岡田 そういえば確かガルシア・ロルカがロマのことを「血の中に教養をもつ人」といっていた記憶がありますが、その意味での教養ですね。

片山 そして「真の教養」すなわち本当の音楽とは、純真さ、童心、単純さであって、それはたとえば『ゴジラ』のドシラみたいなものだ。展開なき反復だ。西田哲学の純粋経験も童心ではないですか。対位法や和声学をよく勉強して忘れられなくなり、ついにはシェーンベルクのように単純な反復を稚拙で恥ずかしいと感じるようになると、もう童心には帰れない。では誰が帰れるのか。北海道で独学で「近代の教養」をすっ飛ばした伊福部がそこに浮上するわけです。その意味で、もし近代が破綻してゼロ地点に還れば、どうしても伊福部が還ってきてしまう。今がそのとき。そんな気がしてならないのですが。


 (おかだ・あけお 音楽学者)
 (かたやま・もりひで 政治思想史研究者/音楽評論家)

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