書評
2024年4月号掲載
奄美で生きる、そうなんだからそうなんだ
服部正策『奄美でハブを40年研究してきました。』
対象書籍名:『奄美でハブを40年研究してきました。』
対象著者:服部正策
対象書籍ISBN:978-4-10-355571-1
奄美の人々にとってハブの話は欠かせない。長年過ごした東京から奄美大島に移り住んでもうすぐ5年、私の集落では、LINEグループで情報が共有されている。ハブが出たらすぐにお知らせが来る。気をつけて、という意味ももちろんあるが、出没情報や金、銀などの色、大きさも事細かに話すのが大好きだ。最近では気軽に携帯で動画が撮れることもあり、捕獲しようと必死に格闘する様子まで送られてくる。それを見るたびに、噛まれたらどれだけ痛いか散々聞かされていたので、震え上がる。もちろんポイズンリムーバーも常備している。
だが、この本を読み、ハブを必要以上に恐れることはないと安心した。ただ、40年間研究した結果の答えが、「注意するしかない」というのには笑ってしまった。
確かにハブを避ける有益な情報があれば、とっくの昔にみんなに知れ渡っているはずである。私には、意識している時はハブに出会わない、という持論があり、「ハブ、ハブ、ハブ」と呟きながら注意して歩いてきた。あながち間違いではなかったようである。「正しく無駄なく」という言葉に激しく頷いた。
奄美の人々は自然の動きを感じ取る能力が高い。例えば天気がわかる人も多い。島は複雑な形をしているので、一日の天気予報でも一律ではない。だから天気予報を見ても参考程度で、自分の感覚を信用している。冬には大根を大量に干す家も多く、私も真似をして干したら、カビが出てしまった。隣のおじいちゃんに言うと、「晴れる日があるからその時に干さないと」と言われたので、「晴れの予報でもにわか雨が降ることもあるからわからない」と私が言うと、「なんでわからんのかわからん」という顔で呆れられた。「なんでわかるの?」と聞いても「そうなんだからそうなんだ」と言う。そう、説明がものすごく苦手なのだ。
この本に登場する奄美の人々もそうだ。「鶏飯は奄美と言われているけど、薩摩本土が起源だよ」と言われたので、著者の服部さんがなんで薩摩なのかと聞いても「いや、薩摩だから薩摩だよ」と答えられたという。服部さんが色々な情報を集めて、「鶏飯は薩摩の料理がベースにあったのではないか」と結論づけたように、感覚でそう思うことがかなり正しい場合が多い。
服部さんのようにガンガン山に入っていくことはないが、それでもどうしても見たいものや好奇心で、私も森の中に足を踏み入れることがある。それを知った近所の別のおじいちゃんから、「あそこは妖怪が出るから行っちゃいかんよ」と言われたことがある。島の人々は危険な場所や異変を感じると妖怪の存在を話す。「集落以外の人に教えると教えた人は不幸になる」、「そこのものを持ち出したら家族の誰かが死ぬ」などの話は、きっと危険なことから身を守るために伝わってきたのだろう。
「ハブがいたから奄美の自然は守られた」と服部さんが言うように、島の人たちは危険な場所にはむやみに入らない。それは自然の圧倒的な強さを知っているから。台風が多い島だが、家々の作りが簡素で驚く。自然には敵うものではないと知っていて、耐える頑丈な家を作るよりも、壊れてもまた簡単に直せるようにしようという考えからである。
人間の営みも自然の一部と捉え、ルールで縛りすぎず、ずっと模索し続ける姿勢が大切なのだろう。
「奄美はまだ折り合いの付け方を知り、折り合える状況にある」
奄美に40年暮らし、島の人々と酒を酌み交わし、行事をたくさん共にしてきた服部さんだからこその言葉だと思う。
そんな奄美で、私もなるべく生き物の一部として生きていきたいと、強く思った。
(みろこまちこ 画家)