インタビュー
2024年8月号掲載
ガブリエル・ガルシア=マルケス、鼓 直 訳『百年の孤独』文庫化特別企画
世界を滅亡から一度は救った女性
聞き手:『百年の孤独』新潮文庫版担当編集者&「波」編集長
長年、「文庫化したら世界が滅びる」と噂されてきたG・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』――昨年末の文庫化発表以来、ひとつ情報解禁するたびにSNSでトレンド入りし続け、ついに6月末、新潮文庫版が書店に並びました。発売後半月にして忽ち七刷、累計二十六万部に達しています。日本国内のみならず、スペインやラテンアメリカ諸国のテレビや新聞でもニュースとして報じられたほどの爆発的売れ行き。
原著がアルゼンチンの出版社から刊行されたのは1967年、邦訳の刊行は1972年(1999年に改訳版刊行)のことです。スペイン語圏では刊行当初から「ソーセージのように売れた」そうですが、日本語版は初版四千部で、重版がかかるまでに五年かかり、その二刷もわずか千部(アルゼンチンでは初版八千部が二週間で売り切れた)。世界中で四十六の言語に翻訳され、発行部数が累計五千万部に及びいまや神話になろうとしているこの作品、日本語版担当編集者である新潮社OB、塙陽子さんに当時の思い出を伺いました。
対象書籍名:『百年の孤独』
対象著者:ガブリエル・ガルシア=マルケス、鼓 直 訳
対象書籍ISBN:978-4-10-205212-9
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――『百年の孤独』の翻訳を出してみよう、と思ったきっかけは何でしたか?
塙 オリオンプレス(翻訳エージェント)の方から「こんな本があるよ」と紹介してもらったんです。私は大学で専攻したスペイン語圏の本を出したいと思って、いろいろ物色していたんですね。さっそく原著を覗いてみたら、いかにも面白そうでしょう? 欧米でも既に話題になっていたと言っても、そんなに売れているわけでもなくて版権が安かったから、社内の企画も通しやすかったんです。私が入社して四年目、1969年あたりのことだったと思います。
――訳者に鼓直さんを選ばれたのも、もちろん塙さんですよね?
塙 ええ。ラテンアメリカ文学の紹介がほとんどされていない頃ですから、翻訳者もあまりいらっしゃらなかったの。私は文化人類学などにも興味があって、東大の泉靖一さんや増田義郎さんのところへ通っていたので、増田さんから神戸にいらした鼓直さんを紹介してもらいました。私が二十代で、鼓さんは三十代、一緒に組んで仕事ができる若い方を探していたんです。
――鼓さんご自身、「『百年の孤独』が最初の大仕事だった」と回想されています(「酒と鉛筆の日々」、「波」1999年8月号)。鼓さんが亡くなられた時には、野谷文昭さんが追悼文に「冒頭を果てしなく書き直したとその時(注、『百年の孤独』翻訳の時)の担当編集者から教えられた」と書かれていました。これは塙さんのことですよね。
塙 そう、鼓さんはとりわけ冒頭には強いこだわりがありましたね。
――旧訳版では冒頭の一文の後に改行があったのですが、改訳版は原文通りに改行なしになりました。一方、『族長の秋』の冒頭は、最初の集英社の単行本では原文通りの長い一文だったのが、集英社文庫版及び新潮社『ガルシア=マルケス全小説』版では二つの文章に分けています。声に出して読んでも気持ちいいし、イメージも鮮やかに浮ぶし、作品に引き込まれる神経の行き届いた日本語ですよね。
塙 原題の「CIEN ANOS DE SOLEDAD」を「孤独の百年」ではなくて「百年の孤独」とされたのも鼓さんの名訳ですよね。
――初版刊行直後の反響はいかがでしたか?
塙 あまり反響はなかったの(笑)。編集者って、書評や紹介が出ると、作家や訳者にコピーなんかをお送りするでしょう? あの本の場合、ほとんどお送りした記憶がないんですよ。
――詳細きわまる『ガルシア・マルケスひとつ話』(書肆マコンド著、エディマン刊)によると、刊行直後には丸谷才一さんと中川敏さんのもの、二つしか書評が出なかったようです。
塙 そうそう、丸谷さんは最初からいろいろ話題にしてくださいましたね。作家の方々の反応はとても良くて、大江健三郎さん、安部公房さん、のちには筒井康隆さんや池澤夏樹さん。ちょうど南米へ取材旅行に行かれる頃だったかしら、開高健さんも読んで褒めてくれました。
――丸谷さんに『百年の孤独』を薦めたのは植草甚一さんで、丸谷さんは林達夫さんに薦め、ドナルド・キーンさんは安部公房さんに薦めて、安部さんは辻井喬さんに薦めたそうです。確かに、読むと誰かに薦めたくなる本ですよね、あれは。
塙 いろんな方が言及してくださったおかげで作品の知名度があがって、だんだん売れるようにもなってきたから、『百年の孤独』より前の作品、『短編集 落葉』(翻訳は1980年刊。以後、カッコ内の数字は翻訳刊行年を表す)や『悪い時』(1982年)も出せたんです。
――『悪い時』の翻訳が出た直後の1982年10月に、ガルシア=マルケスがノーベル文学賞を受賞します。日本でも認知度が決定的に上がりました。
塙 受賞直後に、野谷さんが翻訳を進めていた『予告された殺人の記録』(1983年)を「新潮」(1983年2月号)に急遽掲載したら、これがたいへん売れたんですよ。同じ号に石原慎太郎さんの長篇も一挙掲載されていたから、石原さんから「売れたのはおれの小説のおかげ? それともマルケス?」って訊かれました(笑)。
――答えにくい(笑)。受賞の少し前から、ラテンアメリカ文学のブームが日本にも徐々に来ていましたよね。
塙 私はバルガス=リョサも好きでしたから、あのブームのおかげで、『緑の家』(1981年)から始まって何作も出せましたし、カルペンティエールやフェンテスの翻訳も出すことができました。
――ちなみに、鼓直さんが『百年の孤独』以降、他の作品を新潮社では翻訳されていないのはどうしてですか?
塙 鼓さんには、もちろん新潮社で『族長の秋』の翻訳もしてもらうつもりだったんですよ。それは鼓さんもご承知だったのですが、なかなかエージェントから版権の返事が来ないなあと思っていたら、鼓さんから「集英社から翻訳を頼まれたんだけど」って連絡が(笑)。
――あっ。集英社の『ラテンアメリカの文学』(全十八巻、1983~1984年。『族長の秋』が第一回配本だった)に奪われたんですね(笑)。あれはドノソやプイグなどの代表作も入った、面白い叢書でしたけど。
塙 ああいう企画が実現したのもブームの余波ですよね。でも、そのせいで版権が高くなっちゃった(笑)。鼓さんには、その後もドノソの『別荘』の翻訳をお願いしましたが、筆が遅い方なんですよ。版権を延長して、また延長してを繰り返して、とうとう私が新潮社にいる間には間に合いませんでした。
――『別荘』は2014年になって、寺尾隆吉さんの訳で現代企画室から刊行されましたが、そんな秘話が……。
塙 もうひとつ、私はラテンアメリカ文学をやる翻訳者の数を増やしたかったんですね。だから、同じ作家でもわりと作品ごとに翻訳の方を変えていきました。バルガス=リョサの大作『世界終末戦争』(1988年)を翻訳して頂いた旦敬介さんも増田義郎さんのご紹介です。
――そう言えば、ガルシア=マルケスは1990年秋に来日しています。
塙 大江さんや安部さん、辻井さんたちと会われたそうです。私も鼓さんと一緒にお会いしたのですが、「今回の来日の趣旨は別にあるんだ。翻訳者にあまり興味はないんだよ」って、ちょっと素っ気ない対応でした。確か、ラテンアメリカ映画祭みたいな催しのための来日じゃなかったかしら。ただ、川端康成の『眠れる美女』の話をしたのはおぼえています。
――あれは「わたしにも書けたらなあと羨ましく思った」(エッセイ「眠れる美女の飛行機」高見英一訳、「波」1983年1月号)というガルシア=マルケス偏愛の小説で、のちには『眠れる美女』の一節をエピグラフにした『わが悲しき娼婦たちの思い出』(2006年)まで書いていますね。さて今回、『百年の孤独』日本語版刊行から五十二年一ヶ月と二十一日たって、ついに文庫化されたわけですが……。
塙 実は『百年の孤独』の文庫化の話って、ずいぶん以前にも一度あったんですよ。私の知らないところで進んだ話で、ゲラにまでなっていたのですが、文庫にしてしまうと単行本は絶版にしてしまいがちだし、文庫だって売れなかったら絶版になるかもしれないから、必死で止めたんです。あれはやっぱり特別な作品ですものね。
――それは初耳です! 既に一度、世界は滅亡しかけていたんですね(笑)。確かに、例えば『緑の家』は文庫化されましたが(1995年)、単行本も文庫ももう絶版になっています(現在は岩波文庫で読めます)。
塙 その幻になった『百年の孤独』文庫化のために、鼓さんが全面的に改訳をされていたんですよ。
――そうか、それで単行本の改訳新装版を作られた、と。
塙 ええ。その後、各社からガルシア=マルケスの作品は翻訳されていたけれど、入手しにくくなった本も出てきたから、ちゃんと読めるようにしておこうと『ガルシア=マルケス全小説』(2006年~)を作ったんです。
――単行本版としては『全小説』、つまり個人全集という形を作ってくださったので、絶版にならずに済みそうです。なぜ新潮社にラテンアメリカ文学の系譜があるんだろうと思っていましたが、そもそもは塙さんの「大学で専攻したスペイン語圏の作品を」という思いから始まっていたんですね。
塙 正確には自分が何を考えていたかなんて、昔のことすぎて、もう忘れちゃいましたけどね(笑)。
(はなわ・ようこ 『百年の孤独』日本語版初代担当編集者)