書評

2024年10月号掲載

失われた日本を求めて

水村美苗『大使とその妻 上・下』

尾崎真理子

対象書籍名:『大使とその妻 上』『大使とその妻 下』
対象著者:水村美苗
対象書籍ISBN:978-4-10-407704-5/978-4-10-407705-2

 十二年ぶりとなる待望の長編小説が、ついに完成した。
『私小説 from left to right』『本格小説』『母の遺産 新聞小説』と題した著作を生み出してきた作者ならば、本作を「大河小説」と銘打っても不思議はなかった。目次にも〈大きな歴史の流れと小さな人間の悲しみや夢〉という、その定義にあたる節がある。
 物語の語り手はシカゴ育ちのアメリカ人。祖父の遺産で働かずとも暮らせる「トラスト・ファンド・ベイビー」の彼は、壮年になるまで四半世紀も、京都や東京に住み続けてきた。卓越した日本語の能力、古来の美への知識と感受性を活かし、「In Search of Lost Japan」=「失われた日本を求めて」と題したサイトを私財で開設しているが、いずれは何かを書きたいという願望も持つ。
 この御仁ケヴィン・シーアンが夏を過ごす軽井沢・追分の侘び住まい「方丈庵」の隣に、南米での任務が長かった元大使、篠田周一と年の離れた妻、貴子が越して来たのは、三年半前のことだった。修復した風雅な山荘の月見台で、白い衣をまとって能を舞う貴子を月夜に垣間見たケヴィンは、彼女の精神に兆す異状に気づきながらも、夫妻の比類ないゆかしさに触れ、互いの氏素性を包み隠さず語り合うまでにうちとける。異性の貴子にも、初めて心を開け放ち始めるほど。
 ところが、夫妻はその年のうちに突然、海外へ旅立ったまま音信を絶ち、折りしも蔓延したコロナ禍がすべてを遮断してしまう。喪失感に沈みつつ、貴子こそ「失われた日本」だと思い定めたケヴィンが、庵にこもって書き上げた詳細な記録――それが本作の核となる作中の物語であり、すなわち夫妻の明かした、貴子というまれびとを作りあげた数奇な来歴である。古き良き日本そのもの、それでいて同時になぜ、彼女はかくもコスモポリタンな印象を与えるのか……。
 ここから先の意表を突く展開を明かすことはできないが、南半球で月はどう満ち欠けするかという少年の日の興味から南アメリカとの関わりが始まった、篤実な人柄の元大使は、現地に渡った労働者の歴史を著そうとしていた。「さあ、行かう、一家をあげて南米へ」と国策の掛け声に乗ってブラジルなどへ渡った日本人は、黒人奴隷同様の過酷な農作業に組み込まれ、戦争が始まると迫害され、帰国の途を絶たれ、まさに「棄民」の典型となったと氏は幾度か語る。それでも彼らの祖国愛は燃えさかり、第二次大戦の終結した翌年になっても日本の敗戦を信じぬ「勝ち組」と呼ばれた日系人らが、対立する「負け組」に陰惨な同士討ちを行った史実も告げるのである。そしてこの抗争劇は2021年、選挙結果を虚偽だと信じる前大統領の支持者らによる米連邦議会議事堂の襲撃事件でそっくり繰り返されたと、一人追分に残されたケヴィンは思う。
 過去に奥深く遡る逸話にとどまらず、本作の魅力は現在の時間を生きる元大使夫妻のゆたかな見識、花鳥風月をめでる余裕、さらにはアイルランド移民から成功したケヴィンの家族史や彼らの周りの人々――たとえば錦絵など日本の戦争プロパガンダにまつわる珍品を蒐集するマイアミ出身の資産家、あるいは引退間際の追分のタクシー運転手にも及ぶ。彼らが交わす会話を拾い集めれば、それはかけがえない遺産をないがしろにしながらポップに軽くなり、衰退して行くこの国の文化と経済、その衰えに対する国民の鈍感さへの、批判的日本論としてまとまるかもしれない。偏屈な高齢のドイツ人が口にする「どうだ、この美しさは。色も形も。僕は日本の茄子には以前から感心してるんだ」という何気ないひと言まで含めて。
 とはいえ何だろう、彼らがどこかに抱える後ろめたさ、やりきれない倦怠感は。もはや労働と無縁の身分の作中人物たちは、プルーストの『失われた時を求めて』中の人物と重ねてその印象を述懐されることもあり、百年前のこの大長編に流れるスノビスムと「時」というテーマを意識して、本作が書かれたのは明らか。もう酔狂な外国人による「ニッポンごっこ」しか叶わない――その自嘲も貴子の冗談めいた言葉から匂う。「なんにもしなくっていいんですもの。働く必要もないし。映画だのYouTubeだの観て、そして、たんに狂ってればいいの」
 貴子は「あさきゆめみじ」、決して高慢な夢に浮かされはしない知性とやさしい心根で、なお自らを助け続ける。「大河」とはいえ、新たな物語の始まりへとあざやかに転じるのも、本作が与える望外のカタルシスである。

(おざき・まりこ 文芸評論家)

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