書評

2025年6月号掲載

新潮選書ベストセレクション 昭和100年/戦後80年 歴史フェア2025

保阪正康さんが選ぶ3冊!

保阪正康

対象書籍名:『未完のファシズム―「持たざる国」日本の運命―』/『経済学者たちの日米開戦―秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く―』/『消えたヤルタ密約緊急電―情報士官・小野寺信の孤独な戦い―』
対象著者:片山杜秀/牧野邦昭/岡部 伸
対象書籍ISBN:978-4-10-603705-4/978-4-10-603828-0/978-4-10-603714-6

 戦後八〇年、あるいは昭和一〇〇年と言われるのだが、今年は節目の年にあたる。「歴史」という流れで見るならば、日本近現代史は言うに及ばず、人類史にはまだ多くの不透明、不鮮明の史実が存在する。近代日本の例を挙げるなら、1941年12月に日本海軍は、アメリカの真珠湾を奇襲攻撃して太平洋戦争は始まったわけだが、その因とされる日本の石油備蓄量はどの程度であったのか、当時も今も明確ではない。石油がなくなるから戦争という手段を選んだと言っても、実態は不明である。
 ヒトラー政権が1939年9月1日にポーランドに進駐して、第二次世界大戦ははじまったとする。しかし実際には、独ソ不可侵条約の裏で、ヒトラーとスターリンはポーランド分割の密約を結んでいたことがわかった。そのために第二次世界大戦はスターリンとヒトラーによって始められたと今では訂正されている。史実の鮮明さや密約の分析などで、新潮選書の果たしている「史実解明」の動きに、私は敬意を表するのだが、こうした姿勢は日頃から「歴史の真実」を求める姿勢を持っているからであろう。
 選書はこれまでおよそ九〇〇点近くが刊行されているようだが、歴史の不透明部分に切り込む編集姿勢は、私のような近現代史研究者にはたまらない宝の山である。あえてこの中から三点を選んでみろと言われたのだが、実は頭の中では七、八冊はすぐにでも挙げることができた。これまでに書評を書いたのも実際にその程度はあったといっても良いだろう。あえて今回指差すのは、昭和一〇〇年を意識しての選択である。
 片山杜秀の『未完のファシズム―「持たざる国」日本の運命―』は、私と同じような問題意識を持っていて、一読して共鳴と共感を覚えた。日本の軍人たちはなぜ戦争の本質を学べば学ぶほど神がかりになっていくのか、そのことを問い詰めていくと、軍人の中に近代日本のシステムを本質から見つめていく知的広がりが弱かったことが鮮明になる。第一次世界大戦での戦闘体験がないままに、ひたすらドイツ型の戦略、戦術に埋没していったのだが、注目すべき点は精神論で逃げた結果が太平洋戦争での戦い方にそのまま反映したのではないかと思われることである。この書の特長は近代日本から現代日本へ直結する各様の問題点を抉り出している点にある。
 その視点は語り継がれるべきだ。
 これも日米開戦を経済学者の目で分析した書になるのだが、牧野邦昭の『経済学者たちの日米開戦―秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く―』も貴重な分析の伴った書である。陸軍にはいくつかの頭脳集団があり、そこでは開戦前には極めて内容の濃い開戦か否かの緻密な分析を行っていた。通称秋丸機関の枠組みに集められた経済学者たち(例えば有沢広巳など)は、実際の日米間の経済力(それが国力の現実なのだが)の開きに愕然として報告書をまとめている。これは私の調べになるのだが、軍事指導者はこういう報告をさほど信用していなかった。恐るべき官僚主義による楽観主義の空気は、経済学者の厳しい見方を内心で嘲笑ってばかりいたのである。
 そういう数字には戦争時の特異性(アメリカ軍は戦場の太平洋に出てくるのは大変だとか、さらには精神力では日本は他国に負けないと豪語していた)が考慮されていないというのであった。こうした軍事指導者には頭の痛い資料は敗戦時に焼却されたはずであった。しかし燃やされてはいなかった。こういう点が歴史の「意思」というべきであろう。
 日本の情報将校は優れた分析力を持っていた。大本営情報部の将校の堀栄三は、アメリカの放送を傍受しながら、缶詰会社と製薬会社(マラリアの治療薬など)の株が上がると、ほぼ三ヶ月後に新たな戦線にアメリカ軍の兵力が投入されることに気がついた。堀のような優れた情報将校の一人であった小野寺信はあらゆる情報の裏を読み解く能力に優れていた。小野寺は1945年2月にヤルタで開かれたルーズベルト、チャーチル、それにスターリンの三首脳会談には、表面のステートメントとは別に公表されない密約があることを察知する。むろんさまざまな情報機関との情報交換でこのことを掴むのである。
 岡部伸消えたヤルタ密約緊急電―情報士官・小野寺信の孤独な戦い―』はその内幕を丹念に描写する。
 ルーズベルトはスターリンに第二戦線を開くことを要求して、ナチス降伏から三ヶ月を目処にソ連は対日戦を仕掛けるというのであった。ほぼ正確にこのことを見抜いた小野寺の本省への極秘電報は全く無視された。日本の指導者がその情報を無視した罪は大きい。小野寺の天才的な能力は、それを受け入れる器を持つ人物不在のために生かされず、終戦への道は遠のいた。この書もまた日本社会の欠陥を示しているのである。
 ここに挙げた三冊は、優れた史実発掘の書だが、実はこれに類する選書はまだまだ多い。私は新潮選書に「歴史に挑む頭脳」という見方を掲示したいと思う。今後も歴史の不透明、不鮮明、そして不誠実を打破する頭脳であってほしいと念じている。
 たまたま三冊を挙げたが、他にも『日本はなぜ開戦に踏み切ったか―「両論併記」と「非決定」―』(森山優)や『戦後史の解放I 歴史認識とは何か―日露戦争からアジア太平洋戦争まで―』(細谷雄一)などもその視点、論点は重要である。戦後八〇年に読まれるべき書であることは言うまでもない。あえて記しておこう。

(ほさか・まさやす ノンフィクション作家)

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