対談・鼎談

2025年10月号掲載

阿刀田 高『90歳、男のひとり暮らし』(新潮選書)刊行記念特集

90代の歩き方

阿刀田 高 × 黒井千次

同じ高校の先輩・後輩として互いを知った日から70余年。ともに老境を迎えた二人の作家が悩ましくも新鮮な90代のリアルライフと、来し方行く末を語ります。

対象書籍名:『90歳、男のひとり暮らし』
対象著者:阿刀田 高
対象書籍ISBN:978-4-10-603935-5

阿刀田 この対談を読んでくださる方に最初に申し上げますと、黒井さんは私にとって、単なる文学の世界での先輩というだけではないんですよ。私が都立西高等学校の一年生だった時、三年生にいらした本当の先輩なんです。しかも、私のいとこが黒井さんと同学年で大変親しくしていた。

黒井 そうそう、彼から「今度入った阿刀田っていうのは俺のいとこだ」と聞いた、それがもう七十年以上前のことになるんだなあ。

阿刀田 もう一つ、黒井さんの奥様である千鶴さんと私が同級生だったというご縁もあります。ちょうど私たちの学年から本格的な男女共学になって、女子が一気に百人も入った。男ばかりの上級生たちは色めきたって、一年生の授業が終わるのを教室の外で今か今かと待っていたりして(笑)。

黒井 一学年四百人の中に女子が百人も入れば、そりゃ、いろいろ忙しいですよ(笑)。

阿刀田 女生徒の方も同級生の我々には目もくれず、上級生に夢中で、黒井さんは憧れの的でしたね。今でも同窓会で女性たちから「長部さん(黒井さんのご本名)はどうなさってる?」と訊かれます。覚えていらっしゃいますか、私たちが入学してほどなく、共同募金を集めるために街頭に立つかどうか議論する集会があったことを。

黒井 ああ、ありましたね。

阿刀田 私などは募金は良いことだからやればいいと単純に思っていた。ところが、この募金は政府の社会福祉の財源になる。つまり政府の手先になるのと同じだという意見が出て大論争になった。議長の黒井さんがなんとか収拾しようとするところへ、千鶴さんが「議長!」と鋭く手を挙げ、「中途半端に場をまとめるのはいけないと思います」と堂々意見した。

黒井 そんなことがあったかな。

阿刀田 はっきり覚えています。黒井さんは壇上から降りて「議事が混乱しているんだから、これ以上長引かせないように」と笑顔を交えて千鶴さんをなだめ、それを見た上級生たちは、やんやの大騒ぎ。すごい学校に来ちゃったなと圧倒されたものです。あの頃から、どうもお二人は怪しかった。

黒井 まあ、その少し前から関わりはあったんですが(笑)。

阿刀田 今日はそんな時代から敬愛する先輩に、私の本のことでおいでいただいて恐縮です。

黒井 本当に面白く拝読しました。年寄りが先達の書き残したものに学んだり、年を経て変化する世界観を書いた本はこれまでもあったけれど、この本は、あっちへはみ出し、こっちへはみ出ししながら、日々の思案を緩やかに綴って型にはまらない。しかも、あとがきの後に、共に歩んできた協力者たる奥さんを亡くし、本当のひとり暮らしになったという文章が置かれて終わる。この構成も非常に珍しいですね。

阿刀田 本の作業が始まった時点では家内は介護施設で存命でしたし、私もひとり暮らしとは言いながら、別の場所にいる家内を意識して書いていたんです。ところが家内が亡くなり、そのことを書くかどうか、正直迷いました。でも、まぎれもなく私の身の上に起きたことですし、九十歳にはこうした別れもありうる。それで最後に少し文章を加えることにしたんです。

黒井 奥さんは長く患っていらしたのですか。

阿刀田 レビー小体型認知症にパーキンソン病を併発していました。2021年の正月に、旅先でヒステリーともいえない異様な興奮状態になり、以来、突如、手が付けられない状態になることを繰り返しまして。二年ほどは私が家で見ていましたが、ある時介護方面の識者に相談したら「この家は危機的状況です。半年後にはあなた自身が駄目になりますよ」。確かに限界は近づいていました。そこで騙すようにして家内を近所の施設に入れたんです。

黒井 それは致し方ないことですね。

阿刀田 施設からは「奥さんにかつて別の居場所があったことを思い出させないように」と、三カ月間、面会を禁じられました。その間に家内はそこが自分の居場所だと呑み込んで、のちには穏やかに「ここは割といいところね」なんて言ってましたね。私と会うのを何より楽しみにしていましたから、絶対に家内より先に死ぬわけにはいかない。そう気を張って暮らしておりました。今は肩の荷がおりて、いつ死んでもいい心持ちでおります。

七十代は老年期の青春時代

阿刀田 とはいえ、今すぐ死ぬ予定もないので、もう少し老いと付き合うことになるでしょうね。黒井さんは七十代からずっと自らの老いを見つめてエッセイを書き続けておられるでしょう。拝読すると、八十代と九十代で老いの様相は違うように感じました。

黒井 違いますね。ごく単純に言えば、少し前までできていたことがある時突然できなくなる。これまで意識すらしていなかったちょっとした段差が、突然上がれなくなったりする。今思えば七十代は老年期の青春でした。どんな悪いこともできた気がする(笑)。

阿刀田 洋服を脱ぎ着するのにやたら時間がかかるという話は大いに共感しました。そしてカフスボタンがはめられない。ネクタイの結び方を忘れる。

黒井 転倒して顔を強打する。浴槽から立ち上がれなくなる。そのたびにショックを受けるわけですが、だからといって嫌だというわけでもない。新鮮なんです。できなくなった自分を発見することに新鮮さを覚えるんです。

阿刀田高

阿刀田 私は記憶が怪しくなってきました。脳みその中に海馬という司令塔のような部位があって、どうもこの海馬が私の意思に反して記憶を処分しているらしい。戦争中の大本営みたいに司令部が暴走して、昔親しくしていた女性の名前なんかを「もう必要ないだろ」と勝手に消している。

黒井 阿刀田さんは海馬の仕業に気づくことができた。そういう意味では、老境というのは衰えていろんなものが失われる時期であると同時に、新しいものが次々手に入ってくる時期でもある。老いはむしろ豊かなことだと考えれば、新しい展望が開けてきます。

阿刀田 それは素敵な考え方ですが、どうでしょう。九十五歳を過ぎたら「発見だ」「豊かだ」とは言っていられなくなるんじゃないか。そんな予感がしています。

黒井 たしかに今はかろうじて「なんとかやれるだろう」「やれたぜ!」というラインで踏みとどまっているけれど、これが全くできなくなった時には、改めて人生を考え直さなきゃならないだろうなとは思います。しかし、あなたの本を読んでいると、作者がだんだん年を取っていくと感じる反面、年寄らず依然として残っている部分にそこはかとない凄みがありますね。たとえば言葉遊びのセンスや驚異的な記憶力。それらはおそらく海馬をくぐり抜けて残るんじゃないかな。

阿刀田 どうも役に立たないことばかり覚えているんですけれど。

黒井 いや、だって客室に源氏物語の帖名をつけてる旅館で「篝火」の間がないことに気づくなんて凄まじいもの。眠る前に源氏五十四帖の名前を「桐壺」から順に数えるんでしょう?

阿刀田 入眠療法としてやっているだけで……ストーリーをたどれば思い出すのはさほど難しくないんです。

黒井 まあ、そうなのかもしれないけれど、百人一首やいろはかるたまで自然に出てくるのは普通じゃないでしょう。読んでいて本当にびっくりしたし、かつ非常に快かった。こんなおじいさん、なかなかいないよ。特別な老人ですよ、阿刀田さんは。

作家になるために必要だった時間

黒井 僕は博覧強記の作家・阿刀田高にとって、国立国会図書館に勤めたという体験はやはり特筆すべきことだった気がしますね。何年勤めました?

阿刀田 十一年です。

黒井 もし図書館に勤めていなかったら、たとえば学校の先生や出版社の編集者だったら、阿刀田高の人生はだいぶ違ったんじゃないかな。

阿刀田 そう思います。入ってすぐに、納本される大量の書籍を分類して番号を振る係に配属されたんですが、これは得難い経験でした。なにせ、この世のほとんどすべての学問分野や知識世界が目の前を通過していくんですから。この係を五年やって広く浅い知識が身につきましたし、図書館員は物事を深くは知らなくても一通りのことが分かっていれば事足りるんだと開き直る基盤ができた。それが古典をダイジェストする「知っていますか」シリーズに生きた気がします。
 黒井さんは高校生の時から作家になることを考えてらしたんですか。

黒井千次

黒井 そうですね。高二の時だったか、旺文社の受験雑誌「螢雪時代」で学生懸賞小説募集の広告を見て軽い気持ちで書き始めました。「俺には恋人がいない」という一文で始まる男子生徒同士の恋愛小説。これが思いがけず二席に入った。初めて自分の原稿が活字になったんです。入選したことはもちろん、選評で「今回の応募作の中で一番文学的才能があると思われる」と選考委員の評論家に書かれたことが大変嬉しく励みになりましてね。そのあたりから作家を志すようになったんです。

阿刀田 その懸賞の話は初めて聞きましたが、私は高校時代から黒井さんはやがて小説家になる人だと思って眩しく見ていましたよ。今でも同人誌のお仲間と集まりますか?

黒井 さすがになくなりました。ちょっと前までは年末に集まったりしていましたが、今はっきり生存が確認できているのは十一人のうち三人だけです。

阿刀田 年賀状は書いていらっしゃいますか。

黒井 もうやめました。

阿刀田 そうですか。生きているぞという証明を兼ねて私はまだ書いているんですが、律儀だった人が急に年賀状を寄越さなくなると何か悪いことがあったんだろうなと思ってしまう。問い質すわけにもいきませんし。

黒井 そういえば年賀状は書かないけれど、ある時、ちょっと仲間の名前を書いてみようと思ってペンを動かしたら、十一人全員のフルネームが漢字で書けたんですよ。これには自分でも驚いちゃった。それだけ体に沁み込んでいたというのか、大人になってからの知人友人とは別の場所で記憶していたようです。単に僕の海馬が発育不全なのかもしれませんけれどね。

黒井千次と阿刀田高

リビングの壁より愛をこめて

阿刀田 それにしても、肺結核を患って療養所にいた二十歳の頃は、この歳まで生きてるなんて考えもしなかったな。姉を結核で亡くしてますから、自分も死ぬものだと思っていた。百八十四本打ったストレプトマイシンが意外な効能を発揮しているのかも(笑)。
 黒井さんは死についてはどう考えますか。

黒井 シですか?

阿刀田 はい。ポエムじゃなくてデスの方です。

黒井 急なデスは困りますね。それなりのシタクは必要だろうから──。

阿刀田 五年ほど前に銀行の勧めで公正証書遺言というのを作ったら、今回、家内の通帳だの保険だのの始末を銀行がすべてやってくれました。これは非常に便利です。お勧めです。

黒井 それはいい。死に伴う事務的側面は残された家族を圧迫しますから。

阿刀田 私は墓はいらないけれど、私の骨と家内の骨を混ぜて砕いて、おまえたちの家のリビングの壁に塗り込めてよと子供たちに言ってるんです。家族団欒の場に一緒にいられるじゃないかと(笑)。

黒井 それはおかしいね。面白いというのかな。どうしてそういうことを考えつくのかな。

阿刀田 でも、クールな家族なので、気味が悪いとか、引っ越しする時はその壁どうするんだとか、他人ごとみたいにあしらわれています。話は飛ぶけどみんな親切で、最近はバスに乗ると席を譲ってもらうことが多いんですよ。立っていても大丈夫なくらいの距離なんだけれど、でもそういう親切は身体より心が嬉しいですね。

黒井 それは嬉しくなりますね。そんなことを大切な頼りにしながら、僕たちも、もう少しはまあまあやっていけるんじゃないかな。

阿刀田 そうですね。まあまあやっていきましょう。

(あとうだ・たかし)
(くろい・せんじ)

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