対談・鼎談
2025年12月号掲載
ドリアン助川『青とうずしお』刊行記念
人生後半、何かが起きる。
ドリアン助川 × 原田ひ香
切実な身の上の人々を、応援するかのように描くふたりの小説家が、「人生後半」を語り合います。
対象書籍名:『青とうずしお』
対象著者:ドリアン助川
対象書籍ISBN:978-4-10-339832-5
原田 はじめまして。映画「あん」を観て感動して、原作小説を読ませていただいたことがありましたが、まさかお会いできる日が来るとは思っていませんでした。
『青とうずしお』は、主人公・圭介が、四十年ぶりに高校時代を過ごした淡路島をたずね、封印していた過去と向き合い、当時の「ある事件」の真相が明らかになる、という長篇小説です。人形浄瑠璃部の熱い高校生時代と、あきらめも覚えた大人になってからの境地、それぞれに切実さがあって、何度か泣きました。
助川 ありがとうございます。
原田 なぜ人形浄瑠璃を、しかも淡路島を舞台に書こうと思ったのですか。
助川 淡路は五百年の歴史のある、人形浄瑠璃発祥の地です。それに、僕は神戸出身で、幼い頃の夏休みは、よく両親と淡路島に一泊で行きました。まだ明石海峡大橋もなかった時代で、淡路島は播淡汽船で海をわたってたどり着く異空間でした。
実は以前、人形浄瑠璃をテーマに映画の脚本を書こうとしたことがあったのですが、その企画は残念ながら頓挫してしまいました。映画の脚本では心中がテーマでしたが、やっぱり僕は「生きていく物語」が書きたい、そう思って再挑戦したのが新聞小説「うずしお高校浄瑠璃部」。約一年間、三百回の連載を改稿したのが本作です。
原田 人形をつかって練習するだけでなく、地道に筋トレしたり、作中の鍛錬の描写が真に迫るもので、ドリアンさんは学生時代に実際にやっていらっしゃったのかなと思ったのですが。
助川 僕は高校ではアメフト部で、人形浄瑠璃はやったことがありませんでしたが、小説を書く前に淡路島の高校で人形浄瑠璃を取材しました。高校生に指導してもらいましたが、淡路の人形は文楽の人形に比べても大きいし、動かすのは本当に難しいんですよ。
原田 「主遣い、左遣い、足遣い、一体の人形を支える三人の呼吸が合ったときにようやく人形が生きているように見え始める」と先輩が新入部員に話すところがありますね。
私自身はちょっと斜に構えた校風の高校を選んで入学しました。当時は自由な校風が気に入っていたのですが、『青とうずしお』を読んで、高校生のときにもっと情熱をもって部活に打ち込んだりしてもよかったな、と思ったりしました。
ところで、女太夫で部のヒロイン的存在のさつきはかなり積極的な女の子ですね。こんなに好意を示してくれているのに、なぜ圭介は気づかないかなあ、これではさつきの心が折れるよ、と同性としてさつきを心配しましたけど……。
助川 青春時代の謎をすべて詰め込みました(笑)。男子高校生には、女子の気持ちこそ謎中の謎なのです。池袋で暮らしていた圭介は、母親を早くに亡くし、父親は犯罪を犯して刑務所に入ってしまい、淡路島の祖母すみれと二人で暮らすことになります。祖母はカウンター六席のみの居酒屋「すみれ」を営んで、なんとか孫を育てますが、圭介が部費の払いを心配するほど貧しいわけです。原田さんも『財布は踊る』はじめ、金銭的に恵まれない人々の切実さを小説に描いていらっしゃいますね。母には「言うなよ」と昔から釘を刺されているのですが、僕は子どものとき、かなり貧しかったんです。父がまだ学生でしたから……。
原田 私の両親も、私が生まれたとき、学生でした。当時、裕福なお家の、はなれのような建物を借りて住んでいたようです。日当たりが悪かったらしく、十センチ幅ほどしか差し込まない太陽の光に、赤ちゃんの私をくるくる回してなんとか全身を日光浴させていたと何度も母から聞かされました(笑)。
助川 そうでしたか。僕は小学校の頃、芦屋に住んでいました。同級生たちは大豪邸に住んでいるのに、僕は団地住まい。原田さんの『一橋桐子(79)の相談日記』の桐子さんが住んでいるようなぼろぼろの団地です。ある日、先生が余計なことを言い出しましてね。「すべての家に遊びに行かなければいけない!」って。
原田 それは大変!
一生書けないこと
助川 圭介のライバルに、安川という玉ねぎ栽培で成功したお金持ちの子を登場させましたが、僕の同級生にも、メイドさんがケーキをワゴンで運んでくる、一階から三階まで吹き抜けでひと続きのカーテンがかかっているような邸宅の子もいました。そんな子が我が家に来るわけです。英国では決して交わらないアッパークラスと労働者階級が、昭和の芦屋では交わってしまった。残酷でしたね。「三つ子の魂百まで」とはよく言ったもので六十三歳になった今も、心はその頃のまま。僕には『華麗なる一族』は一生書けません(笑)。
原田 安川くんは単なる悪役とも違って、複雑さがありますね。新人舞台で、圭介に競り勝って足遣いに選ばれます。でも、当日『鬼一法眼三略の巻 五条橋の段』を演じている最中、まさに弁慶が牛若丸にのこぎりで一撃をくらわそうという名場面で、あまりの緊張で派手に動きすぎて、弁慶の足を吊るす糸がちぎれてしまいます。満員の観客を前に動けなくなった安川くんの悲しさが伝わってきて、私がもっとも涙したのは、実はこの場面です。
助川 みんなが見ている、絶対に失敗してはいけない場面って大体失敗するものじゃないですか(笑)。僕自身、アメフトの試合で、「絶対これは落としてはいけない」というパスほど落としてしまいました。今でも心の傷で、安川の気持ちはすごくよくわかります。
原田 登場人物には、ドリアンさんのご経験が活きているのですね。
助川 圭介には僕の要素はいくつも入っていますね。たとえば圭介が好きなあまり「自分は生まれ変わりかもしれない」と思うイヴ・クラインは僕も大好きで、クラインが生まれ育ったニースまで作品を見に行ったことも。僕は色弱なのですが、青には敏感で、クライン・ブルーの美しさにはいっそう心打たれるんです。
とにかく『青とうずしお』は、「がんばりましょう」と呼びかけるだけの青春小説にはしたくなかったんです。がんばっていても、良いことが起きるどころか、ふと心が折れるときがある。作中でも、がんばっていた圭介とさつきは、大切にすべき人形に対してあるまじきことをしてしまいます。
原田 あの場面はショッキングでした。二人は、本来あんなことをする子たちではないはずなのに……。
助川 運命の操り人形のようになってしまってね。一方で、二人には、ずっと侍に斬られてきた、「悪者」の鬼の役の人形を「かわいそうだ」と感じる純粋な心もある。伝統芸能ではタブーにもかかわらず、近隣の高校と競い合う大会の演目『増補大江山 戻り橋の段』のラストを、鬼に救いがあるように改変しようとします。
「鬼」は悪者か?
原田 さつきが圭介に「鬼の方が、心があると思わへん?」と語りかけますね。
助川 そもそも、僕は侍という存在が好きではなくて「侍が鬼を成敗して、一件落着、めでたし、めでたし」、そんな物語でいいのか、という思いがあります。「鬼」というのは、悪者というより、いろんな理由で社会から排除されてしまった人たちだと思うんです。
原田 さつきが「江戸末期の侍は人民の一割にも満たなかった」と、大論陣をはって部員の仲間を説得しようとしますね。さつきの熱に、皆も大会で最下位になることを覚悟の上で改変しようと意気投合する感動的な場面です。
『青とうずしお』では、恩師のたぬき、祖母すみれ、居酒屋の常連さんはじめ大人たちが、その情熱に面食らいながらも、若者をよく支えますね。すみれの「起きることすべてを受け止めていつも笑っていれば、運命の方が笑いだす」という言葉が心に残りました。
私は子どものころから、よくものをなくすんです。私の祖母も、「七たびたずねて人を疑え」とよく言いきかせてくれました。自分でよくよく探してから人を疑いなさい、という意味ですが、人とのコミュニケーションの思い込みや疑心暗鬼をいさめる言葉でもあると思っています。ドリアンさんも何か心に留めている言葉はありますか。
助川 自分で作った言葉なのですが「選ばれていないときが、選ばれているときだ」というのはいつも心にありますね。「選ばれているとき」はたいてい忙しすぎる。新宿コマ劇場で何回か司会をしましたが、昔テレビに出まくっていた人が、「懐かしのアイドル」として出てくる。それが、歌がめちゃくちゃうまくなっているんです。時間が出来て、ボイストレーニングしたり、努力を重ねたのだと思いましたね。光が当たらないときの過ごし方が一番大事です。不遇はつらいけど、角度を変えてみると、「時間はある」「いろんな試みができる」、何より「だれかに文句を言われなくて済む」。それに、人気が出てあまりに注目されると、人は命を食われてしまうんです。長生きのためには不遇も必要だと思いますね。
原田 『青とうずしお』は、その不遇な二人に与えられたラストにびっくりしました。このあとどうなるんでしょう……気になります。
助川 そうですね。二人は六十歳くらいだから、確かに結構歳を取ってしまった。でも、まだ遅すぎないんです。二人にはきっとまだ時間がある。ファーブルが『昆虫記』を書いたのは五十六歳のとき。それから三十年にわたって十巻を書きました。そういう「晩年馬力型」の人はいますね。
原田 確かに。『一橋桐子(76)の犯罪日記』の文庫の期間限定カバーのいちご大福を描いてくださった木村セツさんは八十九歳でご主人を亡くしたのを機に、九十歳でちぎり絵を始められたんです。
助川 それはすごい。
原田 私も、五十歳の頃、「あと五年はやっていけるかな。サラリーマンの定年よりは早いけど、それでもう十分かな」と、小説家としての終わりを意識したときもありました。それが、五十一歳のときに『三千円の使いかた』が文庫になったとたん売れまして。
助川 ミリオンセラーですよね。うらやましいなあ!
原田 人生の後半、何が起きるか分からないと本当に思いますね。
助川 うずしおは一日四回、回転が逆になるのですが、人生においても、まさに「潮目が変わる」ことはあります。僕自身、十年前は大学の教員になるとは思いもしませんでした。もっとさかのぼると、二十代でライターをしていた頃は、一晩でネタ探しをしないといけなくて、小説家の方々に飛び込みで深夜に電話をかけては怒鳴られました。その頃は、自分が小説家になるとは思いもよらなかった。でも、僕の小説は、人形浄瑠璃、海釣り、和菓子など、テーマに統一感がない。一方で、原田さんの作品はどれも読み始めてすぐ「原田ワールド」に入れる。たくさんの読者が夢中になるのもわかりますよ。
原田 ありがとうございます。ドリアンさんは10月にも詩集『幸運であるトムとセセリチョウの世界』を刊行されたり、ポッドキャスト「ECHO WORDS」を始められ、新しいことにどんどん挑戦されていますね。さらにこの先、馬力を発揮したい野望はありますか。
助川 小説を「書いて終わり」にせず、朗読を続けていきたいと思います。江戸時代、淡路の人形浄瑠璃の一座が九州から東北まで公演して回ったように、自作を読んで歩く旅芸人を続けられるかぎりやっていきたい。高校生のときみたいに、駅の階段で四段飛ばしをやったらもう心臓バクハツですが、声は鍛え方次第で、長く保てますからね。
(はらだ・ひか)
(ドリアン・すけがわ)




