書評
2026年1月号掲載
この本は買って読んだほうがいいと思う
森まゆみ『温泉放浪記』
対象書籍名:『温泉放浪記』
対象著者:森まゆみ
対象書籍ISBN:978-4-10-410005-7
私も温泉は大好きです。
「温泉!」と誰かが言ったとします。
「温泉! いいよねえ温泉!」
と私は唱和します。温泉はいい。
森まゆみさんは、子どもの頃から温泉が好きだった。と、はじめに書き出された。
そうだろうなァ、これだけのボリューム(全12章、250頁以上)、温泉について書ける人は、そうそういない。資料を書き写すんじゃない、すべて体験した温泉を懐かしそうに思い出して、愉しそうに書いてこの分量です。
読んでいると、自分の温泉の思い出が、湯口からチョロチョロと流れてくる気がします。そうそう、と目の前のお湯で顔を洗って、
「あ~~!」
と言ってみる。でも、もう、ずいぶん温泉に行ってないなあ、いいなあと声に出しながら行を追っていきます。
(1)湯に貴賤なし、湧いているだけでありがたい。
(2)3000湯踏破とか、数を競わない。達成感は求めない。
(3)温泉は自然の恵み、自然の都合で出なくなることもある。それは宿のせいではない。
と、こんな調子で10項目の温泉観が書き連ねられてあっていちいち納得します。
本当に森まゆみさんは温泉が好きだ。
あとがきに、「本書は温泉ガイドではない。私が高校生くらいで温泉に行きだしてから半世紀以上、心に残った温泉、大事な宿を記した随筆である」とあります。
でもこれだけ沢山の温泉が載っていれば、もちろん、温泉ガイドになると思うけど。
私が思うのは私が読んだ以上に、それぞれの読者はそれぞれの愉しみを味わうだろうということ。
まず、森さんの思い出の温泉と、同じところに「自分も行ったぞ」と、同じお湯に入ったことのある人は、自分のその温泉に浸ることができます。
私にも、いくつかのそういうお湯がありました。
それが沢山ある人は、私よりずっとずっと愉しめるでしょう。たとえば、種村季弘さんがこの本を読んだらどうだろう。
私よりもっともっと、この本の愉しみを、同感をもって未読の読者を誘うことができるはずです。
種村季弘さんの『雨の日はソファで散歩』という本に、「ゆかりの宿」っていう短い随筆があります。
「私の住んでいる温泉町の某旅館の門前に『藤村ゆかりの宿』の立て札があることは、前々から散歩の途中などに目にしていましたが、べつだん気にもとめないでおりました」
というはじまり方をして、こうつなぎます。
ある日、私もひと風呂浴びてからバス停でバスを待っていると、女の子の仲良しグループ三、四人が旅館の立て札をチラと見て、「へー、フジムラゆかりの宿かァ」
と、言ってるところに遭遇したらしい。
藤村ゆかりというタレントだか、アイドルだかがいて、ここが常宿で、それは世間周知の常識なのに、自分だけが今のいままで知らなかったのか。三、四人の女の子は、その三、四人全員が藤村ゆかりのことを、本当は知らないまま、あいまいにそのまま捨て置いて、去っていきます。
森さんの『温泉放浪記』を読みながら、オレはこの三、四人の女の子だなあ。と思いました。
もちろん島崎藤村は知ってますけど、でも松浦武四郎は名前を知ってるくらいだし、本郷新は初耳だし、土師清二、宮城ふさ、は知らない。田宮虎彦も大町桂月も松崎天民も、名前を聞きかじった程度だし、宮尾しげをや岡本一平の絵はわかるけど甲賀三郎って誰? もちろん、つげ義春も二岐渓谷も知ってるけど、田中比左良って誰?
という具合で、森さんの知識と興味の広さが、そのゆたかさが、どんどん広がっていくわけです。
たとえば建築家の名前を見てその設計した建物の特徴を知っていたら、興味はさらに深くなるはずだし、自分が知らなかった世界がぐんぐん広がっていくはずです。
この本は、買って時々開いて、パソコンで検索して、画像を開いて、というようにして楽しめる本だと思う。おもしろくて世界をどんどん広げてくれる本だ。
と、いうのが私の結論です。
森さんは、温泉宿に掛けてある軸の文字が読めないと、あーでもないこーでもないと考えて、やっと解読できたときにとっても愉しいそうです。
私は、なんで日本語なのに、あんなに分かんない字で書くんだ?! といつも思っていて、どうして、掛軸めくったところに「答」を貼っておかないんだ? という人間です。
(みなみ・しんぼう イラストレーター、エッセイスト)


