書評

2015年7月号掲載

欠点だらけのこの人を、好きにならずにいられない

――マーガレット・ミッチェル著、鴻巣友季子訳
『風と共に去りぬ』(全5巻、新潮文庫)

中島京子

対象書籍名:『風と共に去りぬ』(全5巻、新潮文庫)
対象著者:マーガレット・ミッチェル著/鴻巣友季子訳
対象書籍ISBN:978-4-10-209106-7/978-4-10-209107-4/978-4-10-209108-1/978-4-10-209109-8/978-4-10-209110-4

 マーガレット・ミッチェルが『風と共に去りぬ』を発表したのは一九三六年で、翌年のピューリッツァ賞を受賞したこの作品は、大ベストセラーとなった。本国で出版されて二、三年の内に、日本でも、四つの出版社から翻訳が出た。戦時下といえども昭和の初期が、欧米文化の輸入・紹介にいかに熱心だったかをうかがわせる。
 しかし、この作品が日本人に熱狂的に愛されるのは、戦後を迎えてからだ。一九四八年に大久保康雄訳『風と共に去りぬ』は、三〇〇万部越えを記録している。
 南部の大農園の娘スカーレット・オハラを主人公に据え、南北戦争とその後の時代を、たくましく生き抜く姿を描いた小説が、敗戦後の日本中で「自分の物語」として読まれたのは想像に難くない。
 この大河小説を「戦争」という面から読んでみると、非常に興味深い。アトランタの病院で、傷病兵の世話に駆り出されたスカーレットには、「この戦争じたい聖戦とも思えず、ただ男たちを意味もなく殺し、お金を無駄にし、すてきな贅沢品の入手をさまたげる不愉快なものとしか思えなかった」。こうした戦争観は、すっかり聖戦に嫌気がさした終戦直後の日本人に響いたに違いない。戦後七〇年経った今でも、レット・バトラーのこんなセリフにどきりとする。「闘う阿呆たちに演説屋がどんな掛け声をかけようと、戦争にどんな気高い目的を付与しようと、戦争をする理由はひとつしかありません。それは、金です。あらゆる戦争というのは実質、金の取り合いなのです」。『風と共に去りぬ』は、戦争というものの本質をみごとに突いている。
 とはいえ、やはりこの小説の最大の魅力は、スカーレット・オハラの人物造型にある。スカーレットは、およそメロドラマの主人公らしくない。優しくも、思慮深くもなく、他人に酷い事をするのも平気。子どもを三人も持つのに母性と無縁で、勉強が嫌いなので教養もない。男を夢中にさせる駆け引きと手管には絶対の自信があるくせに、感情がぶっ壊れているせいで、恋に関しては間違いだらけ。ただし、実務能力がものすごく高く、状況判断も早い。決断力があり、金儲けが抜群に上手い。そして、精神的にも肉体的にもタフ。欠点は措くとして、長所を並べると、たたき上げの社長さんのようである。
 それなのに、一度読んだら誰もが、彼女を好きにならずにいられない。
 家族や友人の多くを失い、価値観が崩壊していく中で、一人雄々しく、故郷の大地のために立ちあがる彼女は、自分の持てる能力すべてを使ってサバイバルを始める。どん底から這い上がるのに、優しさとか誠実さがどこまで有効だろうか。奴隷のいなくなった綿花畑で自ら綿を摘み、食べるための豚を盗まれないように沼地に追い立て、闖入者には迷わず銃の引き金を引く雄姿に、読んでいるほうは夢中で彼女を応援してしまい、ついには妹から恋人を奪うくだりすら、手に汗握って肩入れすることになる。いわゆる「愛すべき」キャラクターではないのに、世界中でこれほど愛されている主人公も珍しい。
 どうして彼女がこんなにも魅力的なのかといえば、マーガレット・ミッチェルがスカーレットという女性を知りつくし、会話にも地の文にもそれを十全に書きこんだからなのだろう。彼女が吐き出す言葉じたいが、歯に衣着せぬものである上に、内心の声を響かせる地の文では、真黒な腹の内が語られたかと思えば、彼女自身が気づいていない本音までもが暴露される。ときに思わず吹き出すほどの率直さに、読者はスカーレットを深く理解し、欠点も美点もまるごと好きになってしまう。昨年大ヒットした『アナ雪』は、女の子をがんじがらめにする軛から解き放って共感を呼んだが、スカーレットは、元祖「ありのままに」の人だ。しばしば世界を凍りつかせる。
 いま、この小説が新しい訳を得て、私たちに届けられた幸運も、このスカーレットをまるごと理解させる文章が、現代の私たち自身の声のように感じられる言葉で紡がれたことにある。一九世紀アメリカ南部の女性が、二一世紀の日本の女性の口調で話す、という意味ではない。スカーレットという一人の女性のいら立ち、むかつき、自分勝手な思い込み、そして悲しみが、我が事のように心に沁み込んでくる。全5巻を一気に読み終えて、一人、とても大事な女友達を得たような気持ちになった。

 (なかじま・きょうこ 作家)

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