インタビュー
2015年12月号掲載
『不明解日本語辞典』刊行記念特集 インタビュー
言葉の海で溺れて来ました
対象書籍名:『不明解日本語辞典』
対象著者:高橋秀実
対象書籍ISBN:978-4-10-133557-5
――これまでにない内容の本ですが、本書の特徴は?
言葉というのは、通常は文脈の中にあるんですが、それを切り取ると不可解なものになります。前後に文章があるならすっと頭に入るけど、そこだけ切り取ると、ものすごい違和感に襲われるんですね。「これは長さ1メートルです」とセンテンスで言われれば理解できますが、「長さ」だけだと、「長さって何?」となる。その「何」っていうのも「何?」ということになり、どんどん迷宮に入っていく。今回はその言葉の迷宮にあえて入ってみようと。
妻が私に「ちょっと話があるんだけど」と言う時は、絶対に「ちょっと」じゃないんです。「少し話があるんだけど」という時は短時間なんですけど、「ちょっと」だとかなり深刻な話になる。だから、「ちょっと」というのは「かなりのこと」。下手すると話は翌朝まで続きますから。少なくとも「少し」ではない。ですので、言葉自体に意味があると考えると、ちょっと違うんじゃないかと。
最近の辞書って、「まえがき」に「この辞書は10万数千語を収録して、今使われている言葉もできる限り網羅した」とかなんとか、誇らしげなんですよ。でも、一昔前の辞書は違った。私が好きなのは『大言海』で、編纂者の大槻文彦さんが序文を書いているんですが、それを読むと、「おのがまなびの浅きを恥じ責むるのみ」とかある。どうしても語源がわからないので、専門家の家に訪ねていったけど留守だった。電車の中で方言を耳にしてその人に意味を問いつめたら迷惑がられた。古い言葉は、なんとかなるけど、新しい言葉になるとさっぱりわからないから、あとの人にお任せする、みたいなことが書いてあるんです。諸橋轍次さんの『大漢和辞典』も、間違いがきっとあるんで、後の人、よろしくお願いします、みたいなことが書いてある。いずれにしても「すみません」という感じなんですね。
『大言海』って、「言葉の海」。言葉について考えると海に溺れるようだ、ということなんです。私は今回、その海に溺れたんです、ずぶずぶに。だから、この本は、私はこんなふうに溺れましたという記録でもある。『はい、泳げません』日本語バージョンみたいな(笑)。読者の方はたぶん、通常の辞書のように、「あっ、そういうことか」みたいには絶対にならなくて、一緒に溺れることになります。申し訳ないんですけど。
――32語はどうやって選んだんですか?
たとえば、担当編集者から「どうも」はどうですかと提案があって、調べてみると、「どうも」は「どうもこうも」の略らしい。すると、あんまり話が展開しない。どうせ溺れるなら、溺れがいのある深海みたいなところで溺れたいから「どうも」は「あ」の中に入れたんです。「あ」のほうが深みにはまりそうで。
なるべく、日常的に使っている短めの言葉のほうがいいですね。気がついたのは、たとえば「ちょっと」について編集者と話していて、「今回、ちょっとにしようと思ったんですけど、ちょっとよくわかんなくて、そちらでもちょっと資料ないですか?」「わかりました。じゃあ、僕のほうでもちょっと調べてみます」みたいに「ちょっと」が連鎖していくんですね。「っていうか」もそうですね。「っていうか」というのをやろうと思っているっていうか、みたいに(笑)。言葉を対象化できないっていうか、溺れちゃう。批判するつもりが、自分で口にしてしまう現象に襲われる。
――「辞典」と銘打っているわりには32語しかありません。たぶん世界で一番語彙の少ない辞典になりましたね。
普通、10万語網羅、ですからね。妻がキャッチコピーをつくったんです。
「これさえマスターすれば、あなたも立派な日本人!」
要するに、ラジオ体操みたいなもので、音楽聴いただけで体を動かすことができたら、あなたも日本人、みたいな語彙ばかりです。
外国語を勉強する時に、よくありがちなのは、文法から入るでしょ。まず、ルールを学んで、言葉を覚えていこうとする。私、それはちょっと間違っているような気がするんです。たとえばサッカーを覚える時、まずボールがあって、ボールをゴールに入れることが最重要ですよね。ルールを覚えることじゃない。ゴールをねらっているうちに、こういうルールがあるからそれはやっちゃダメよ、というふうに、後で教わればいいわけなんです。
それと同じで、言葉というのも最大の目的は相手に何かを伝えること。後で、こういうルールがあるんだと覚えればいいんであって、ルールを勉強しても言葉はマスターできない。
たとえば英語でも、SVOCとか、三単現を覚えたって話せない。それより、アメリカ英語だったら、とりあえず相手をほめる。great! marvelous! fantastic! とか。讃える言葉を連発しているうちに道が開けてくる。で、そのうち文法があって、ああ、そういう言い方はダメなんだと学ぶわけですよ。
スペイン語もそう。私は、entonces がキーワードな気がした。日本語でいうと、「そして」「だから」みたいな言葉。とりあえず entonces と言っておけば間が持つ。エントンセス、エントンセスと言っていれば、だんだんスペイン語を話しているふうになってくるんです。
では、日本語の場合、それはどんな言葉なのかというと、「っていうか」とか「なに?」でしょう。「なにがなにしてさ」「えっ、なにがなにしたの?」みたいな。外国人力士が日本語を早くきれいに覚えられるのは、文法を無視しているからじゃないですか。まず「なにがなにしてなんとやら」を覚える。単語を覚えなくても、「なにがなにしたから」と言うだけで、わかったりするんです。たとえば、昼前に、「いやあ、なにがなにしてないから」と言えば、「まだちゃんこができてないから」とわかっちゃうみたいな。そういう、日本人が繰り返し使っている「ちょっと」「えー」「すみません」みたいな短い言葉を厳選したのが本書なんです。
――「おわりに」の中で、奥様との会話がヒントになっているとありました。(ここで栄美夫人登場)
(栄美)家で仕事をすることが多いので、とにかく二人でよく会話しますね。彼がえんえんと喋っていて、それを私が記憶するみたいな関係。原稿について、ああじゃないか、こうじゃないかと、いろんなことを考えていて、それを私に吐き出すんですね。正直、面白くないと、「だから何?」とか訊いちゃう。彼、溺れているからわからないんですよ。すると、悔しいもんだから、私が面白がるまで、試行錯誤するんです。
(秀実)私がさんざん話した後、彼女が「それで私のことは愛してるの?」と訊いたりするんです(笑)。「もちろんだよ」「愛するあまりだよ」と答えますけどね。話の腰を折られているようですが、やっぱり「愛」がないとダメですね。夫婦の会話ですし。
(栄美)私は浮き輪みたいなもんですよ。私は溺れたくないし、海も泳ぎたくない......。
――最後に、この本で何を感じてほしいですか?
もっと会話しましょう、かな。賀茂真淵の言葉を借りるなら、声のまにまに言をなそう。日本語は、不明解だからこそ、会話しましょう、ですかね。
(たかはし・ひでみね ノンフィクション作家)