インタビュー

2016年3月号掲載

『軽薄』刊行記念特集 インタビュー

飽和状態を迎えた世界で

金原ひとみ

対象書籍名:『軽薄』
対象著者:金原ひとみ
対象書籍ISBN:978-4-10-131334-4

 ――昨年、長篇小説『持たざる者』を刊行なさったあと、間をおかず『軽薄』を発表なさいましたね。

金原 『持たざる者』を書いている間中、震災をテーマにしたこともあり、どこかノンフィクション小説を書いているような、重々しい世界でもがいているような歯がゆさがありました。これを書き上げたら、より個人的なテーマで小説を書きたい、という思いがあり、『持たざる者』の完成とほぼ同時に書き始めたのが『軽薄』でした。

 ですが『軽薄』を書き上げた時、この二作のつながりを感じました。『持たざる者』は四人の視点人物が登場し、それぞれ自分が信じていた世界を喪失する物語です。『軽薄』の主人公、カナもまた、十代の頃ストーカーに殺されかけ、それまで信じていた世界を喪失し、それから十年後が舞台になっています。『軽薄』は『持たざる者』で描かれた世界の喪失のその後、に繋がるところで描かれたのだと思います。

 ――「軽薄」という言葉を、主人公は何度も自分自身に対して用いますが、読んでいると、なにが軽薄でなにが軽薄でないのか、人間が生きるとき、そもそも軽薄を免れることができるのだろうか、と思わされます。

金原 例えば震災と原発事故は、平和な世界で現実と乖離的な関わり方をしていた人々からその距離感を剥ぎ取り、それぞれが身を沈めていた軽薄さからも引き離し、強烈に目の前のものと向き合う体験となったはずですが、これは主人公のカナが直面したストーカーによる殺人未遂事件とも重なります。

 自身を「軽薄さ」から強引に引き離す事件と遭遇したカナは、彼女なりに真摯にその後の自分の人生と向き合いますが、甥と軽薄な関係を結ぶようになり、自分自身の築き上げてきた世界もまた、ある種の軽薄さの上に成り立っていたのだと気づきます。ある時は呪いのように、ある時は生きる術として人生の隙間に容易に侵入してくるもの、軽薄とはそういうものなのかもしれません。

 ――主人公である29歳のカナは、アメリカから帰国した未成年の甥と関係を持ちます。そのふるまいを、倫理からとらえるのではない描き方をなさっていますね。

金原 この小説に描かれているのは、タブーを犯す快楽ではなく、タブーを犯しても快楽を抱けなくなった人の生き様です。カナは家族や血縁というものにほとんど価値を見出していない人間であり、だからこそ彼女にとって甥と不倫をすることはタブーではなく、単なる瑣末な問題を抱えた関係に過ぎません。作中でも、人が大切と思うことと自分が大切と思うことの間に差がありすぎる、と彼女は感じています。あらゆる共同幻想に耽溺できない人間として生きていくしかないと諦めた女性、と私は捉えています。しかしこれは、ある種の飽和状態を迎えた世界で、人が自然に行き着くところなのではないかとも思います。

 ――「完璧な人生」と自認していた充たされた暮らしを後にしようとしている主人公には、ある種の明るさ、一筋の希望のようなものがあると感じたのですが。

金原 結婚式で皆から祝福されることや、自分の葬式で皆が泣くことを罰ゲームのようにしか感じられない彼女が、「完璧な人生」と銘打たれるような生活に疑問を抱くのは当然で、また彼女は、かつてストーカーと歩んでいたような破滅的な人生にももはや魅力を感じていません。彼女がこれからどんな世界を築いていくのかは描かれていませんが、もはや信じていないけれども何となく続けていた宗教から脱退したように、彼女が自身の人生に責任を持ち正直になったような、そんな清々しさを私も感じました。

 現代では、意味は感じていないけれど何となく続けられている習慣、信じていないけれど惰性で採用されている価値観が横行しているように感じます。そういうものに縛られ、より本質的なものを見失ってしまわないよう、それぞれ個人が自身の生き方を定めていく力が求められる時代になったのではないでしょうか。

 ――人間の存在の根幹に迫る作品だと思います。どうもありがとうございました。

 (このインタビューはメールで行なわれました)

 (かねはら・ひとみ 作家)

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