インタビュー
2016年8月号掲載
『去就 隠蔽捜査6』刊行記念インタビュー
何回書いても、書き切れない。
聞き手・西上心太(書評家)
異色の警察官僚・竜崎伸也の爽快な活躍を描き、累計部数190万部突破の「隠蔽捜査」シリーズ。待望の長篇『去就』の刊行にあたり、新作執筆の舞台裏、登場人物たちへの思い、そしてシリーズの今後について伺いました。
対象書籍名:『去就 隠蔽捜査6』
対象著者:今野敏
対象書籍ISBN:978-4-10-132162-2
何があっても困らない男
――《隠蔽捜査》シリーズは本書で八作目です。これまでに吉川英治文学新人賞や日本推理作家協会賞、山本周五郎賞を受賞するなど、今野さんの長い作家生活のエポックといえる代表シリーズになりましたね。
今野 もともとシリーズ化は考えていませんでした。警察官の小説はたくさん書いていたので、ちょっと毛色の変わったものを一編書いておこうかという程度の気持でした。竜崎をものすごく嫌な奴にしようと最初に決めて、東大しか認めないとか言わせたりしましてね。でも途中から、あれこの人は面白い奴じゃないのと思っていただけるように、仕掛けたんです。最初は印象のよくない人にしておいて、後半に反転して印象がよくなるという狙いです。だから一回こっきりの手だと思ってました。
――竜崎のぶれない生き方や、仕事に対する姿勢が読者の共感を呼びましたね。
今野 いい人がちょっといいことをやっても、普通だなと思われるだけ。同じことを悪者だと思っている人がやると、意外といい奴じゃないかということになる。だいたい、そういう奴が女性にもてるじゃないですか。
――家庭内の不祥事があり、二作目『果断』では警察庁の官僚から、大森署の署長に降格された状態で登場しますね。
今野 一作目は、書いたことがない官僚の世界だったのでとても苦労しました。警察庁の中のことって誰も知らないわけです。警察庁に勤めている人しか内実がわからない。でも二作目からはよく書き慣れている世界なので、楽といえば楽でした。しかし署長は普通の警察官からすれば憧れの地位で、トップなわけです。降格されて署長という設定だけで共感は持てないと、ある警察官の方が週刊誌に書いていましたが、多分それと同じ思いは私にもあります。降格人事の署長をどういうポジションに置けばいいのか、いまだに迷っています。
――二作目は管内での立てこもり事件、三作目『疑心』が来日する米大統領を狙ったテロ計画という警備事案に発展して、そのためにやってきた畠山という女性警察官に、竜崎が「よろめく」という展開でした。
今野 二作目までは普通に警察小説をやりました。でもシリーズの三作目になったら、大変化球を投げなくちゃだめなんですよ。竜崎の最大の弱点はなんだろうかと考えた時に、それは今まで経験したことのない恋愛であろう、ということになりました。
――長編四作目『転迷』がエド・マクベインの87分署シリーズのように同時多発的に事件が起きて、外交官の殺人事件に麻薬がからんだ話で、五作目『宰領』は衆議院議員の誘拐事件で、神奈川県警と竜崎の交流もありました。どの作品もいろいろ工夫が凝らされていますが、どういうところから基本となるアイデアを考えるのでしょうか。
今野 どうしたら竜崎が困るだろうか、それだけです。竜崎が困る設定を考える。それが三作目のよろめき、恋愛感情だったり、五作目の神奈川県警というアウェイの地で指揮を取らせるという設定です、しかしなるだけあの人を困らせようとするのだけれど、困るシチュエーションに身を置かれても、本人は一向に困らないんですよね。
――竜崎は目の前にあることに対処すればいいと思っている人ですからね。
今野 だから読者はハラハラするけれども、本人は何が起きようと平気で、通常のスタンスと変わらないのが面白いところです。
――そういう竜崎のキャラクターはシリーズのどのあたりから固まってきたのでしょうか。
今野 多分、最初の短編集の『初陣 隠蔽捜査3.5』の時ですね。
――竜崎の同級生で、警視庁刑事部長の伊丹の視点から書かれた短編集ですね。
今野 伊丹は一見豪放だけどけっこう小心で、さまざまなトラブルで右往左往してしまう。しかし竜崎からの電話一本で解決しちゃうというところから、固まったのだと思います。
――竜崎は第三者なんですが、なんで物事を単純に見ないんだという彼のアドバイスによって、伊丹の蒙がひらかれます。
今野 竜崎にとってみれば、当たり前のことを言っただけで、アドバイスでもなんでもないと思っているのでしょう。だいたい、物事ってみんな難しく考えて困っていることが多いですね。竜崎の台詞でも箴言めいたものが多々出てきますが、私自身も実際その通りに思っていることも多く、自分に対する戒めだったりします。
成熟する機会を失って
――さて本書『去就』で中心となるのはストーカー犯罪ですね。
今野 ストーカーはこれまでにも何回か書いていますが、何回書いてもネタは尽きないですね。最近は警察もストーカー対策に力を入れていますが、何年かに一回はストーカーがらみの重大事件が起きてしまいます。この手の犯罪を警察が抑止し根絶するのは、まず無理ですね。一人一人を警察が守り切れるはずがないですから。ストーキングという言葉ができたからストーカー犯罪が目立つようになりましたが、昔は男女のもつれとかいう言葉で片づけられていたのでしょう。
――ある言葉ができると、それに対する統計ができて数字が上がってきます。
今野 一番の問題は、人間関係が危うくなっていることだという気がします。精神的な成熟ができない社会になってしまっているのではないか。要するに小学生の恋愛感情と一緒でしょう。言うことを聞いてくれないから頭にきていじめちゃうみたいな。ストーカー殺人はそれと似たような未成熟な感じがします。
――ほかに男や女はいるだろうとか、そこまで執着したって相手は振り向いてくれないだろうとか、第三者から見ればそういう理屈はいくらでも指摘できるのですが。
今野 私のような年齢になればわかるんですよ。要するに私たちの年代が育ってきた社会は、わりと大人が大切にされる社会でした。大人は威張っていたし、大人になるということが、ある価値を持っていたんです。今の若い人って、多分そうじゃないので、成熟する機会を失ってしまうのでは。学校でひどい目に遭ってだんだん成長するのだけれど、今はモンスターペアレントが出てきて子供をかばってしまい、子供は成長する機会を失ってしまう。というようなことがずっと頭の中にあるので、ストーカーというのは何回取り上げても、書き切った気がしないんです。
――本書は約七十ページまでに、竜崎の娘の結婚問題、ストーカー対策セクションの人選問題から始まる新任の方面本部長・弓削との対立、そして女性連れ去り事件という三つの問題が次々に出てきます。連れ去り事件が殺人に発展する一方で、娘に対する婚約者の行動もストーキングそのものなんじゃないかということに。
今野 ストーカー事案が大森署管内で発生し、それと同時に身近でも起きるという、公と私の二重構造を作らなければと思ったので、婚約者の三村さんには今回ストーカーになっていただこうかと。
育ってきた脇役たち
――本書で難しかった点や楽しかった点は?
今野 常に小説を書くのは難しいですけどね、真相を隠しながら読者をミスリードさせるのが特に難しいですね。肝心のことを隠しながら、情報を出し入れするわけですが、読者に狡いと思われないようなさじ加減が大変です。楽しかったのは刑事の戸高と根岸の関係ですね。
――戸高はおなじみのはみ出し刑事。根岸は本書で初登場したキャラクターですね。勤務後も盛り場をめぐって非行に陥りそうな少年たちを見回っているという、仕事熱心な少年係の女性警官です。
今野 戸高が根岸の夜回りについていくなど、意外と面倒見がいいという一面が出てきて、自分で書いていて驚きました。キャラクターが勝手に動きだすといいますが、そうなると予定していたプロットが一層複雑になって奥深くなります。最初は根岸の活躍を期待してたんだけど、戸高の方がより動きだして面白くなりましたね。
――竜崎夫婦の会話はまるで漫才ですね。片方が大まじめで、片方はそれをわかりつつ、からかってみたり。それと娘の結婚問題。このあたりも楽しんでお書きになっているのでは。
今野 竜崎より妻の方が遥かに大人なんですよ。それと結婚問題に関しては楽しくないです。書いていてどうも本当の父親みたいな気分になってきて、相手の男が気に入らなくなる。
――おお、それは初めて聞きました。相手は竜崎のかつての上司の息子で、商社勤めの男性ですね。
今野 実際に子供がいないからか、小説の中が現実みたいで、娘に彼氏がいるというだけでむかつくんだよね。
――ほう。そうすると次作以降、いよいよ結婚という話になってきた時は、竜崎以上に今野さんが困ることになりますね。
今野 困るというより、とにかくむかつきます!
――本作は『去就』というタイトルがついてますが、いよいよ次作では異動した竜崎が見られるのでしょうか。
今野 次作のことは何も考えていません。副署長の貝沼とか戸高とか、新顔の根岸とか、いい脇役が育ってきたので、竜崎の異動で置いてきぼりにしてしまうのはもったいないという思いもあります。
――では神奈川県警への異動でいいんじゃないですか。多摩川を一本越せばすぐ大森ですし、伊丹との対立が軸になるのかな。『宰領』であちらにも竜崎シンパが増えましたし。そうか、あれは壮大な伏線だったのか!
今野 だからまだ何も考えていないって。
編集者 連載はもうすぐ開始していただく予定です。
今野 嘘っ!
(こんの・びん 作家)