インタビュー
2017年8月号掲載
『神秘大通り』刊行記念 巻頭インタビュー
25年越しの小説が完成するまで
インタビュー:ケヴィン・ナンス 小竹由美子訳
映画『サイダーハウス・ルール』でアカデミー賞最優秀脚色賞を受賞したアーヴィングにとって、脚本は思いがけない働きをするものらしい――。
対象書籍名:『神秘大通り』上・下
対象著者:ジョン・アーヴィング著/小竹由美子訳
対象書籍ISBN:978-4-10-519117-7/978-4-10-519118-4
ジョン・アーヴィングのいない時代があったとは考えられない。『ガープの世界』『ホテル・ニューハンプシャー』『サイダーハウス・ルール』『オウエンのために祈りを』『未亡人の一年』『ひとりの体で』......彼の小説は、特定の年代や場所を舞台としてはいるものの、時を超越した根源的なところがあり、いつの時代でも、どんな場所でも起こりうると読者には感じられる。ストーリーは最高で、登場人物はそれぞれ特異なキャラクターだが、人生という長い障害物コースをそろそろと進む私たち皆の姿を見るようだ。
最新作『神秘大通り』では、人生のコースにはいつも以上に障害が多い。主人公は、メキシコのオアハカ市のゴミ捨て場で働きながら独学で文字を読めるようになった、障碍を持つ十四歳の少年フワン・ディエゴ。その妹ルペは人の心が読め、過去がわかり、未来を垣間見ることもできる――彼女はまた、オアハカ市の有名な聖処女(聖母)たちに夢中だ。兄妹二人の人生は、サーカスとかかわることで、よかれあしかれ変わってしまう。
長い年月が経ち、フワン・ディエゴは――アーヴィング自身と同様、チャールズ・ディケンズの作品に触発されて――小説家になっており、名前もわからないアメリカ人青年――「グッド・グリンゴ(良い米国人)」と呼ばれている――と交わした約束を果たすべく、フィリピンへと運命の旅に出る。このふたつの時間の流れが絡みあい、照らしあって小説は進み、ふたつの流れが集束する結末は、アーヴィングの作品のなかでももっとも強く心に響く。
サーカスで働く子供たち
――『神秘大通り』の熟成期間はかなり長く、興味深いものだったようですね。
アーヴィング そのとおりです。私の場合、多くの作品がまとまるまでに長い時間がかかっています。『あの川のほとりで』の着想が生まれたのは刊行(2009)の二十年ほどまえです。『神秘大通り』の場合は、じつを言うと、二十五年ほどまえ、映画監督のマーティン・ベルといっしょにインドのサーカスの子供芸人の映画をつくろうと思ったのがそもそもの始まりなんです。
その脚本のアイディアをほんのちょっとだけ使い、『サーカスの息子』(1994)のなかで、物書きとしては成功していないダルワラ医師というキャラクターをつくりあげました。あの小説をごく最近、それも綿密に読みこんだというのでないかぎり、ダルワラ医師が書き上げられなかった脚本がどんな内容だったか、思い出すのは難しいでしょうけれど。
原稿は結局、ダルワラ医師のデスクの引き出しに放り込まれてしまいますが、マーティンと私は引き出しに放り込んだりしませんでした。インドではああいうアイディアは反発をまねくので、かなりの抵抗があるだろうと思ってはいましたが。(注 この映画はインド政府の許可がおりず実現しなかった)
――それはどういうことでしょう?
アーヴィング サーカスのアクロバット芸人の中心が子供たちで、しかもセーフティーネットなしで高所で曲芸が演じられているという国は、世界でそれほど多くありません。『神秘大通り』を読んでいただけたらおわかりと思いますが、このふたつの要素が極めて重要なんです。子供の空中曲芸師と、セーフティーネットなし、ということがね。
ある日、マーティンの奥さんであるメアリ・エレン・マーク(2015年逝去)が電話をかけてきて、「いま、メキシコのサーカスの写真を撮ってるの。曲芸師は子供たちで、セーフティーネットがないのよ」と言いました。そこでマーティンと私は、ふたりの企画――危険にさらされる子供たち、サーカスで働くこと、サーカスに入るという一か八かの賭けをすれば、サーカスとかかわらないよりもましな人生が送れるという状況――の舞台をメキシコへ移すことにしたんです。
小説のための脚本
――カトリック教会、とりわけイエズス会が、物語の重要な要素となっていますね。『ひとりの体で』でも大きなテーマだった、エイズに対する教会のかかわり方も含めて。
アーヴィング はい、舞台がインドだった当初の企画のときから、イエズス会は要素として入っていました。マーティンとメキシコへ行っていろんなサーカスを観たんですが、そのとき望まれない子供たちのための施設もたくさん見学したんです。そのなかにはイエズス会経営のものもありました。
フワン・ディエゴと妹のルペを主役にした脚本の原稿を何本か書いたんです。お読みになった『神秘大通り』の、かなり以前の初稿とだいたい同じものです。ちなみに、いまでもマーティンとは映画をつくるつもりでいます。映画ができたら、この小説を脚色したものみたいに見えるでしょうけれど、じつは脚本が小説に先行しているわけです。
――どんなふうにして脚本が小説となるのですか?
アーヴィング オリジナルの脚本をいくつも書いているんです。アウトラインを掴むのにもってこいですからね――登場人物の人生のある一時をすくいとって封じ込める、映画は基本的にこれに尽きます。そして、脚本をしまいこんでおいて、あれこれ考えるんです。半年か一年経ってから見ると、ああ! と思ったりすることがある。
二十年まえにあの妹に会っていたら、あの兄の十五年後を見たならば......これは小説になるんじゃないかな? とね。じつは、書いたまま誰にも見せたことのない脚本のうちの二本ほどに、いまそういうことが起こりかけています。必ずしも映画をつくるために書いているわけではなくて、多くの場合、「これは小説になるんだろうか?」ということが問題なんです。
――脚本の登場人物を思い描く際には、頭のなかで、スクリーンで演じるようにストーリーを演じさせていらっしゃるのでしょうね。
アーヴィング アイディアを縮めるよりは膨らませるほうがずっと簡単なんです。『サイダーハウス・ルール』を書いてから十四年後にあの映画をつくったとき、脚色は、登場人物を、ストーリーを、時間を削ぎ落す作業でした。十五年以上もの時間が経過する小説が、十八か月ちょっとのあいだの出来事を描いた映画になってしまったんです。多くのものが失われました。何を捨てて何を残すか、慎重に考えなくてはならなかった。映画というのは、誰かの人生を窓から一瞥するようなものです。その窓は小さいんです。経験から学んだんですがね、長い小説を脚色するよりはオリジナル脚本を書くほうが簡単です。
『サイダーハウス・ルール』は長い小説です。何も捨てなくてすめば、脚本を書くのはもっと楽です。当然ながら、残るのはありありと目に浮かぶようなもの、映画ですからね。でもそれから、登場人物たちについてもうちょっと深く考えはじめるんです。(『神秘大通り』の登場人物)フロール(トランスヴェスタイトの娼婦)とエドゥアルド(イエズス会の神学生)がいっしょに暮したらどうなるだろう? どのくらいのあいだ? そしてふたりはどうなる? 私たちはいつフワン・ディエゴに再会する? そんな感じでね。
すると物語がちがう観点から見えてくる。要するに、私は、映画をどんなふうに小説にしようかあれこれ考えて遊ぶのが楽しいんです。メスを手に小説に向かい、時間的制約ゆえに使えないと思うものを切り取るよりも、ずっと充実していますよ。
なぜオアハカか?
――マーティン・ベルといっしょに(『神秘大通り』の舞台となる)オアハカへ、映画の下調べにいらしたんですよね。
アーヴィング 90年代にふたりで何度か行きました。私は2011年、13年、14年にも行っています。ぜんぶで何回になるかわかりません。
――オアハカに、何か特別な思い入れはあるのでしょうか?
アーヴィング 私があちこちへ旅行するのは観光旅行ではないんです。行くのは、気になっているストーリーや登場人物の役に立ちそうな場所です。オアハカの場合、あそこにはぴったりのゴミ捨て場、つまり「バスレーロ」がありました。いまはゴミの焼却にもいろいろ制限がありますが、フワン・ディエゴとルペがダンプ・キッド、すなわち「ゴミ捨て場の子」だったときには、四六時中火が燃えていて、燃えるものはなんでも燃やされていました。
フワン・ディエゴが独学の読書家になるにあたって、これは不可欠の要素だと思ったんです。彼は読む本を、読むすべを自分で身に着けるための本を、文字どおり火のなかから掴み取ります。そういう本は焼け焦げていて、何ページか失くなっているものもある。バスレーロの臭いがする本なのです。現在もオアハカには、同じ場所にゴミ捨て場があります。それと、ルペが共感を覚えたり非難したりする聖処女(聖母)たちが張りあっている町でなければなりませんでした。
それにオアハカはメキシコ南部です。だから、フワン・ディエゴとルペが、自分たちはコルテス(スペイン人、アステカ帝国を征服)の民ではなく、ベニート・フアレス(メキシコ初の先住民大統領)の民なのだ、つまり、先住民、土着民なのだと考えるのは、そこそこ正当性があります。これはストーリーにとって重要なことでした。そういうわけで、オアハカで長い時間、過ごしたんです。オアハカのいろいろな教会へ行きました。孤児院へも行きました。病院へも。死体保管所へも行きましたよ。
――マーティン・ベルとともに『神秘大通り』に献辞が記されているメアリ・エレン・マークは私の大好きな写真家です。
アーヴィング 最高ですよね。
――彼女の写真がこの物語にインスピレーションを与えたのではないでしょうか。彼女の作品は観念的ではなく人間を捉えていますからね。人間愛があふれていて、語りかけてくるようで......。
アーヴィング そうですね。映画製作は私とマーティンのアイディアでしたが、彼女はマーティンの最高のアシスタントでした。そして彼女が写真を撮るときには、マーティンがいつも助手を務めていました。私のスタジオには、数えきれないほどメアリ・エレンの写真があるんです。妻や、子供たちや、犬たち(笑)や、それにサーカス芸人たちのね。まあ、おびただしい数とだけ言っておきましょう。メアリ・エレンとは長いつきあいでした。
――まさに、この小説の源の一部だったのですね。
アーヴィング 明らかにそうです。
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(じょん・あーう゛ぃんぐ 作家)