書評
2017年10月号掲載
味への恋文
――平松洋子『日本のすごい味 おいしさは進化する』
『日本のすごい味 土地の記憶を食べる』
対象書籍名:『日本のすごい味 おいしさは進化する』/『日本のすごい味 土地の記憶を食べる』
対象著者:平松洋子
対象書籍ISBN:978-4-10-306473-2/978-4-10-306474-9
「いただきます」は日本らしさを感じさせてくれる言葉のひとつだ。イタリアやフランスなど西洋の国々で使われている「良い食欲を」とは全く質が違う。「いただきます」には、何よりもまず食材への敬いと食事ができる環境への感謝が込められている。「この世に食べ物があるのは当たり前」という考え方の人には、なかなか捉えられない感覚だろう。
「いただきます」にはもうひとつ、「では、これからここにあるものを心して味わいます」という、味覚に対して募る思いも顕われている。食するという行為は、ただお腹を膨らますためのものではない。そういった考えは古代ローマの貴族達と近い考え方かもしれないが、日本人というのは、たとえどんなに質素な食材であっても、そこにしかない味を見出し、それを吟味し、大切なものとして尊ぶ民族である。
かつてイタリアの夫の実家で日本のお米を炊いたところ、「味が無い」と姑に塩を混ぜられ、がっかりしたことがあった。どれだけ海外に長く暮らしていても、米一粒の美味しさを感じるように育てられた味覚は、私の中をいつまでも頑固に貫いているのである。
海で採れるもの、陸で採れるもの。時間をかけて育むもの、手間を掛けて加工するもの。日本では食事というエンターテイメントの主人公はあくまで食材であり、食べる側の人間ではない。そんなことを思いながら、この『日本のすごい味』という平松洋子さんの二冊の本を読み進めた。
ここに登場する、生産性に煽られることなく、食材と向き合いつつ納得のいくものを作ろうとする人々の地道で気骨ある姿勢には、新鮮さと同時にホッとさせられる馴染み深さがある。
「海外に暮らすヤマザキさんにとって、日本の凄いところとは何でしょうか?」などと、よくインタビューなどで聞かれることがあるが、そんな時私はすかさず「食文化です」と答える。
食材の産地や、育まれた環境。食に対する敬いを丁寧に表現する生産者や料理人。そんなことをしみじみと考えるゆとりを与えてくれる食事。作る人が、食べる人とともに、自然の恵みに対する感動を共有しようとする食事。それが私にとっての、日本ならではの食文化なのである。
テーマごとに挿入されている写真も含め、この二冊の本は、日本人の味覚への追究であり、食に対して揺るぎない誇りを持つ人々を綴ったドキュメンタリーだ。平松さんの食材や生産者、料理人に対する慈しみ深さが巧みに編み込まれた文章に興奮し、思わずそばにいた人に向かって「ああ、わたしが食材だったらこんなふうに表現してもらいたいなあ。アスパラでも鴨でもクマでもいいから......」と口にして失笑された。
文字を追っていると、まるで自分が思いを寄せている、大切な誰かのプライベートな日記でも読んでいるかのようなときめきが胸に芽生える。それはまるで、平松さんご自身が出会った食材や職人、製造に携わる人々や環境に対してその都度感じていたであろう、気持ちの偽りを許さない、素直で美しい恋文のようでもある。
あなたがこの世に存在してくれたおかげで、私はこんなに嬉しい。こんなに幸せ。嗜好品をテーマとする作品は、表現者のそんな思いが第三者の気持ちをどれだけ動かせるかによってクオリティが決まる。
本書の「江戸前の寿司」に「いくら仕事がていねいでも、職人のひとりよがりでは、ほんとうには届かない。ただおいしいだけでも、響かない。(略)味わううち、ひとをやわらかな境地に導くところだとおもう」という一節がある。
食べ物だけではない、文章であろうと漫画であろうと何であろうと、これはすべての表現者が忘れてはならない大切な心構えだ。そして、そんなことを考えながら日々食べ物と向き合っているひとが、日本にはまだいる。この本は、そういう安心感を読者にもたらしてもくれる。
最後まで一気に読み終えた後、わたしは頭の中を埋め尽くした様々な食材をゆっくり消化し、暫くしてから、「いただきます」という思いを胸に、あらためてページを捲り直していた。
(やまざき・まり マンガ家)