インタビュー
2018年3月号掲載
『百年泥』芥川賞受賞記念特集 石井遊佳インタビュー
極限まで自由に書いていきます
受賞記者会見は電話でのコメントだったが、インドから一時帰国して、いきなりの忙しい日々に――
対象書籍名:『百年泥』
対象著者:石井遊佳
対象書籍ISBN:978-4-10-102171-3
――一時帰国されて、どんな日常ですか。
石井 うれしはずかしいそがし、という感じです。本当にありがたくてありがたくて、取材やインタビュー、打ち合わせなどに来られたすべての方々の足もとに身を投げ出し、伏し拝みたい気持ちですが、実際にやるとびっくりされるので我慢しております。
(2018年2月1日)
――東京での初めてのサイン会のご感想は?
石井 東京では、一回目は新宿紀伊國屋、二回目は神田三省堂でやらせていただきました。サイン会前、大阪に三日ほど戻っていたんですが、梅田地下のドトールでスケッチブックを前に二時間ねばったすえ大リーグサイン一号を編み出し、東京でのサイン会にのぞみました。わずか三カ月前までど素人だった私にとっては、自分の本を買って下さるだけで信じられない感謝感激で、直接お会いしてみなさまにサインさせていただけるなんて夢のようでした。いろんな人が来てくださってびっくりしました。南インドのことわざの本を出版された方とか、インドで新幹線を作るお仕事をされてるという方とか、私と同じ、チェンナイで日本語教師をされてた方とか。サイン会っていうのは、思いもかけない誰かと出会いがしら直面することのできる交差点だと強く感じました。
――日本は今年の冬、常ならぬ寒さです。
石井 そうですね、インドと言っても広大ですからそれぞれの地方で違いますが、チェンナイは年中Tシャツジーンズのみですごせる土地ですので、帰国したさい成田空港のユニクロでさっそくセーターとダウンジャケットを買いこみました。すぐ他の服を買い足そうと思ってたら、忙しくてそれどころではなく、結局二週間以上着たきりスズメ(笑)。
――早稲田大学法学部を卒業されて、就職する気持ちはなく、その後はいろいろな職種のアルバイト生活を続けていたとのことですが、菓子職人や温泉旅館の仲居さんの仕事は、どんなご興味からでしょうか。
石井 菓子職人は、もともとお菓子作りが好きで好きでプロになりたいと思い、ケーキ店に見習いとして入りました。二十代後半、まだパティシエという言葉が一般的でなかった時代のことです。しかし現場はきわめて過酷で強靭な体力を大前提とした上での技術とセンスの世界でした。私のような半端な人間はお呼びではなく、半年ももちませんでしたが、以来、「職人」と名の付く方を一人のこらず尊敬しております。温泉旅館の仲居は、三十三歳ごろ、すべてを忘れて働くことのみを欲し、目をつぶり耳をふさいで真っ逆さまに飛び込んだ世界です。まあ、それはそれはすごい世界でございました。これらの職場については両方、いずれ作品化してお目にかけます。結局、この世に自分に向いている仕事なんて何もないんだな、ということを痛感しました。私にできるのは、書くことだけです。たったひとりで悶えくるしむほうがいい。
――職業経験の後で学士入学した東京大学文学部インド哲学仏教学研究室はだんなさまとの出会いの場ともなりました。
石井 草津で仲居をしていたころ文學界の新人賞最終候補に残り、それを機に大阪の実家に戻って、二、三年投稿生活をしていました。その中で仏教を知る必要性を痛感し、また大学に戻る決意をしたわけです。印哲での専門は中国仏教を選択、自分自身の研究のキャリアそのものは、結局ダンナのインド行きについてゆくことを決めた時点でぶん投げてしまいましたが、ほんの端っこをかじった程度であっても仏教を学んだことは、それまでのものの考え方や発想を根本的に変えました。たとえば「百年泥」の、単行本123ページ8行目の諦観の表白など、仏教を学ぶことなしにここで流れ出たとはとうてい思えません。
――石井さんが考えている小説とは、どんなものでしょうか。
石井 この世界のありさまやからくりを、言葉のもつ可能性を最大限に発揮させながら表現していく、それが私の考える「小説を書くこと」です。人間というのは、無限の過去から未来にかけてつづく業の流れとしての世界、それを構成するひとしずくとしてあって、瞬間瞬間、生まれては死に、生まれては死に、をものすごい速さで繰り返している。それがうれしいの悲しいのといったことをこまごま描くことに、私としては大した意味は見出せません。でも、そういった作業じたいに興味がないだけで、巧みに人間を描いた小説を読むのは大好きです――どっちやねん。
――サイン会で「遅い作家デビューですので、これからたくさん書いていきます」とご挨拶されました。次作の構想は?
石井 インドを舞台にした作品かどうかはわかりませんが、いずれにせよ、けったいなこの世界を、けったいなままに闊達につきぬけてゆくような、随所で「なん~やそれ」と突っ込まれ放題の小説を書き続けてゆくことをここにお約束いたします。みなさま、応援の方、どうぞよろしくお願いもうしあげます!
(いしい・ゆうか 作家・日本語教師)