インタビュー
2018年6月号掲載
新潮選書フェア新刊 著者インタビュー
今、どうして「高畠素之」なのか?
『高畠素之の亡霊 ある国家社会主義者の危険な思想』
対象書籍名:『高畠素之の亡霊 ある国家社会主義者の危険な思想』
対象著者:佐藤優
対象書籍ISBN:978-4-10-603826-6
高畠素之は明治末期から昭和三年に四二歳で急逝するまで、言論界の第一線で活躍した人物です。日本で初めてマルクス『資本論』を完訳し、その後二度の改訳を行うなど、語学に長じながら、社会時評でも数々の刺激的な評論を残しています。ただ『資本論』を最も理解した人物であったにも拘らず、マルクス主義には走らず、対極ともいうべき国家社会主義=ファシズムを唱え、晩年は軍部との接触もはかりました。さて、この高畠素之が現代の私たちに問いかけるものとは何なのか――。
――高畠との出会いのきっかけは何だったのでしょうか? また、なぜ高畠を探求してみようと思われたのですか?
初めての出会いは一九七九年四月、私が同志社大学の神学部生だった時です。教授から「この大学は中退すると大人物になります」という話を聞いて、そこで挙がった中退者の一人が高畠素之でした。他には山川均、徳富蘇峰、あと「山谷ブルース」の岡林信康とか......(笑)。同志社の神学校にいた高畠は私の先輩だったのです。
ただ彼の著作を読んでみると、ソ連の本質は「共産主義」ではなく「国家主義」、「赤色帝国主義」なんだと書いてある。しかもそれを評価しているんです。妙なことを言う人だな、と思いつつもザラザラしたものが心に残った。その後、外務省に入りソ連に勤務して国の実態を知ることになりますが、最も正しいソ連観こそ、高畠の見方だったのです。
――高畠は国家社会主義(ファシズム)を肯定しました。
そうです。特にソ連崩壊後、新たに資本主義が作られる過程を見ていると、そこにあるのは、まさに貧困と暴力の世界。これを統制するには別の暴力装置、つまり国家しかないんだと思うようになり、高畠が言う国家社会主義が、ますますリアリティを持ってきました。エリツィン時代には出なかったにしても、次の時代には必ず出てくると確信しましたし、事実そうなった。高畠はソ連とその崩壊を見た私の中に何度も出て来たのです。
――ソ連以外ではどうでしょうか?
小泉政権、さらにいえば橋本政権以降に始まった新自由主義的な政策がそろそろ限界にきて、現政権でそれが露呈していると思うんです。
日本の総理大臣は民意に選ばれた"社会"の代表でありつつ、一方で官僚、いうなれば"国家"を人格化した存在でもあります。本来総理はこの両者の間でバランスをとっていかなければならないのですが、新自由主義的政策が進む中で、社会の力が強くなってしまい、結果として官僚機構の機能不全が起こってしまった。一連の文書改竄問題などその好例です。こうなると、政治の力をもっと弱めなければならないという動きが出始め、やがては優秀な官僚に任せてみようということになる。すると、そこに現れてくるのが「高畠素之の亡霊」です。すなわち国家機能の強化です。
――「亡霊」とは、意外な言葉と思いましたが。
これはマルクス、エンゲルスの『共産党宣言』、その一節の《共産主義という妖怪(ゲシュペンスト)(亡霊)がヨーロッパを徘徊している》から着想したもので、高畠素之的な国家社会主義が名前を変えて、やがて現れてくる。しかも、それはみんなが怖がるもの――そういう思いを込めています。結果として高畠は早世してしまいましたが、もし生きて陸軍エリートと結託してクーデターを起こしていたらどうなっただろうか。きっと、とんでもない国家改造運動となって、日本の破滅はもっと酷い形で現れたと思います。
――つくづく高畠素之の恐ろしさを感じると同時に、その知性、慧眼にも驚くところです。高畠的なものは本当に現代に蘇る可能性はあるのでしょうか?
この本は十年前に『新潮』で二年に亘って連載したものですが、十年かけて今、本にすることの意味がそこにあります。
連載当時は、気配こそあれ、まだ高畠的なものが出てくるほど日本は行き詰っていませんでした。しかし今は違います。先の総選挙で民進党が分断社会を作らないとして「ALL for ALL」のスローガンを掲げ教育無償化などを打ち出しましたが、これなどは国家機能による再分配制度の強化ですし、安倍政権について言えば、企業に対する内部留保の吐き出しとか賃上げ要請、働き方改革など、極めて国家社会主義的と言っていいでしょう。これ以上労働者を追い詰めると、資本主義が回らなくなり、徴税にも支障を来す。それゆえに国家が強制的に介入するようになる。十年前は作業仮説だったことが、今、ようやくリアルになってきたのです。
――今のお話を国家社会主義=ファシズムと捉えるのは少し違和感があります。
ファシズムというとどうしても非人道的なイメージで見てしまいますが、それはナチズムによって誇張(カリカチュア)化されたためです。国民を束ねる手段において新自由主義を否定しつつ、共産主義でもないとすれば、残された道は何か。それがファシズムです。高畠も代議制民主主義を認めつつも、人間の個々の能力には違いがあるので一人一票制では差が出てしまう。何らかの弱者救済(アファーマティブアクション)が必要であるとしています。その上で選挙に拠らない軍という組織での統制、すなわちファシズムを目指したのです。見た目こそ違え、同様のことが今、起こりつつある。最早、この道しか残されていないということを私たちは認識しなければならないのです。
(さとう・まさる 作家・元外務省主任分析官)