対談・鼎談

2019年10月号掲載

『図書室』(岸政彦著)刊行&『劇場』(又吉直樹著)文庫化記念対談 前篇

表現するって恥ずかしい

岸政彦       又吉直樹

沖縄や生活史が専門の社会学者であり、最近は小説も好評を博する岸政彦さんと、芸人としての活躍はもちろん、小説家としても『火花』『劇場』と話題作を刊行してきた又吉直樹さん。
神楽坂la kagūで行われたお二人の対談を二号にわたりお届けします。

対象書籍名:『図書室』/『劇場』(新潮文庫)
対象著者:岸政彦/又吉直樹
対象書籍ISBN:978-4-10-350722-2/978-4-10-100651-2

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 『劇場』が文庫になりましたが、映画化も決まったんですね。

又吉 山崎賢人さんと松岡茉優さんが出演して、来年公開の予定です。

 原作者としてカメオ出演とかなさるんですか。

又吉 いえ、まったくお声がかからなかったです(笑)。僕が出ても邪魔になるでしょうし。

 『劇場』、読ませていただいて最初におっと思ったのが、飲み会で主人公の永田がほかの劇団員ともめる場面で、劇団員の辻という男の描写があって、〈地味な男だったが、特徴のある高い声をしていて、どうしようもなく目立つ時があり、よく芝居の邪魔になった〉。こういうテクニカルな描写が僕はすごく好きなんです。プロの芸人さんとしてコントや漫才を作ってこられて、こういう風に人を見ているんだって思いました。批評的な視点が随所にある。だから今日は緊張しています。僕もそうやって見られてるんだろうなって。

又吉 (笑)そんな風には見ないですよ。

 「声でかくて発言量多いけど、一つ一つはあまり面白くない」とか(笑)。量でねじ伏せるタイプなんです(笑)。

又吉 人前に出てコントとかやっていると、僕を知ってくれているお客さんの前だと、例えば野球少年の格好をしていても「あ、又吉が演じているんだ」って理解してくれるんですが、昔まだテレビとか出てなくて知られていない頃にそのネタをやったら、前列のお客さんが「えっ......」と言った(笑)。なんかおっさんが少年の格好して出てきたって思われてしまって。次第に、ああこれは演じているんだって思ってくれましたが。最初に言った「邪魔」っていうのはそういうことです。

 コンテクストを共有していない時って、キャラというか、声の高低のような物理的なパラメーターがもろに出ちゃいますよね。以前、上野千鶴子さんとトークイベントをやったのですが、ウェブで「デイリーポータルZ」というサイトの編集長をやっている知人の林雄司さんが来てくれて、リアルな鳩の頭のマスクを二つお土産にくれました。アメリカで売ってる全然可愛くないやつ。それを楽屋で見た上野さんが「被って出ましょうよ」。

又吉 (笑)

 絶対あかん、大怪我しますよって僕は止めたんですが、上野さんは「東京の客なんかちょろいわよ」って......でもトークのテーマは社会学にまつわる真面目なもので、お客もそれを期待して来ているわけです。上野さんが登壇するんだし。そこに、一切説明抜きに、二人でマスクを被って、僕が上野千鶴子の手を引いて舞台袖から出てきたんですが、人生で一番スベりました。

又吉 お客さんも、どう受け取ったらいいのか分からないだろうし。本物の社会学が始まったのかな、みたいな(笑)。

 あれはマイノリティの象徴なんじゃないか(笑)。

又吉 それは回収しなかったんですか。こんなにスベるとは思いませんでした! とか。

 もうそれも無理で、だからすごく真面目な話から入りました。「社会学って何なんでしょうね」とか(笑)。最後まで説明せずに終わった。

又吉 むちゃくちゃ怖いじゃないですか。もう、毎回被って押し通すしかないですよね。

 これが社会学なんやで、って。

悔しいから明晰になる

 主人公・永田の恋人の沙希が一回だけ、永田が書いた芝居に出ます。その場面で、なぜ沙希に出てもらったかについて、複雑な感情を複雑なまま出してる子やからって書かれていましたね。

又吉 人の顔を見るのが好きなんですが、あまりにも発言と表情が一致してると、作為的なものを感じて怖くなる。この人、役者やなって。逆に、「面白いですね」って言ってるのに全然笑ってないとか、そういうのが好きで。いろんな感情が混ざっている人のほうが、こちらの思っていることを伝えられる、託せる気がします。

 芸人さんとして活躍されて、小説もこれだけ評価されている方ですから当たり前ですけど、よく見ていらっしゃるなって思います。
『劇場』に演出家の小峰という、永田のライバルというか、同い年で認められている人物が出てきます。永田は小峰の芝居を見て打ちのめされるんですが、「ここで諦めたら楽だ」と思うんです。「だから適切に傷ついて帰ろう」と。これすごくいいですね。そして小峰のインタビューがある雑誌に載っているのを見つける、その場面がまたリアルで、めっちゃわかる。最初にバーッと流し読みするんです。字面だけ拾って、ああ、大したこと言ってないなって安心するんですが、でも後からめっちゃ読む(笑)。ああいう経験は実際にあったんですか。

又吉 若いころは、同業者や同世代の活躍は直視できませんでしたね。

 ものすごく悔しいのに、だからこそ明晰に、過剰に分析的に読んでいる。永田もインタビューの受け答えをいちいち批評していて、この答え方うまいなとか、こう返すと批判しにくくなるな、そして最後にちょっと実存的なこと入れてきたな、とか......。

又吉 面倒くさい主人公ですね(笑)。

 又吉さんの小説に出てくる人物って、永田をはじめ、みんな分析の射程が長いですよね。単に朗らかだったり暗かったりするんじゃなくて、分析が何周も回ってる。これは又吉さん自身を反映しているんですか。

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又吉 視点や感じ方は、若いころの僕に近いですね。

 今の自分とは違う?

又吉 今は変わってきていると思います。

 まあ、今ど真ん中だったら書けませんし。

又吉 昔は、例えば居酒屋で、一人の女の子ばかりしゃべってて、別の女の子が疎外感を抱いているだろうから、そっちに話振らないと、みたいなことを考えながら、その話し続けてた子が話し終わったときの表情とかよく見ていました。

 意地悪やなあ(笑)。

又吉 話し終わった余韻に浸っているのか、別の子の話に協力してあげようと思っているのか......その時は、その子、メニュー見てた。

 (笑)もう離れちゃってるんだ。

又吉 それで、僕はその子に「普段どういう人と遊んでるんですか」って聞いたんです。子供のころの友達少なめやろなって思ったんで。そしたら、地元の友達とはあまり遊ばないって答えで(笑)。

 プロファイリングを常にしている。

又吉 そういうことを常に気にしている時期がありました。

勝つにはドラマがないと

 永田が鍵を使った芝居を作りますね。あの場面もすごくよかった。観客を舞台に上げて、その人が使っている鍵を受け取った役者が、イメージをふくらませて話を作るという内容なんですが、これが見事にスベる。その記述の容赦のなさがすごかった。僕らは人前に出るといっても授業やこうしたイベントですから、見に来る人も好意的ですが、舞台でコントをするときとかは「お手並み拝見」みたいな人も多いですよね。

又吉 明らかにアウェイやなってことは、若いころはありました。

 そういう中で表現をしていると、否が応にも再帰的な、リフレクシブな眼差しに、自分自身がなる。あと、永田の劇団にいた青山という女性が小説を書くんですが、この内容やタイトルがちょっと変わっているというか、イキッた感じで、それに対して永田が「これが許されるのはめちゃくちゃ売れる人だけだよね」って言ってて、意地悪やなあと(笑)。

又吉 僕じゃないですからね。そこまで意地悪じゃない(笑)。

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 あのダメ出しの容赦のなさがよかったです。僕も本業の社会学ではポジションを気にしますけどね。学問ってポジションをどこにとるかで論文を書かなくちゃいけない。

又吉 大会とか出ると、ポジション気にします。どこで負けたらいいかとか。

 優勝したらダメなキャラだってご自身でも思ってるんですか。

又吉 段階を経てドラマを作って、「次、こいつが優勝しそうやな」って思わせてから優勝だと思うんです。だから自分は自然なところで負けようと思うんですが、意識すると、それより手前で負けてしまう。それこそ一回戦で負ける(笑)。子どものころからそうでした。

 めんどくさい子どもやなあ(笑)。でもちょっとは勝ちたいという気持ちもあるんですか。僕は子どものころから勝負を降りちゃうんです。体育、特に球技が全然できなくて、ドッジボールでは自分から当たりに行ってました。

又吉 めっちゃ想像できますね(笑)。僕にも勝ちたい気持ちはあって、そういう時はエゴイストになります。

 今日は俺の日だって感じですか。そういう記述が『劇場』にもありましたね。小峰の舞台を見た後に「今日は俺の夜じゃない」というような言葉が。

恥ずかしさを逆ギレで克服

 「鍵」の芝居で、舞台上でのインタラクションがうまくいかなくて、役者がみんな我に返ってしまうでしょう。前日のリハーサルがうまく行っていただけに、よけい白けて、崩壊していく。先ほどからお話ししている分析的になるって、没頭しないことじゃないですか。それは表現する上では邪魔になりませんか。

又吉 そこからどうやって、恥ずかしいという感覚の外に出られるのか、ということだろうと。

 表現って恥ずかしいですよね。

又吉 ギャグなんてめちゃくちゃ恥ずかしいですよ。でも、そういう職業やから、逃げられない。

 出番も迫ってきますし。

又吉 それに、だれも照れてないんですよ。芸人がギャグやるのって当たり前やし。でも、例えば舞台上で、女性の体のどこに惹かれるかって話になったとき、僕だけすごく恥ずかしいんです。おっぱいとか、お尻とか、言うのがすごく恥ずかしい。だから、「うなじ」にしておこうかなって思ったりするんですが。

 わかる(笑)。ちょっと気取ってる感じがする。

又吉 「手のひら」とか言っても「そういうのいらんって」となって、もうおっぱいかお尻かどっちか選ぶしかないってことになる。それをみんな普通に言ってるんですが、僕はむちゃくちゃ抵抗があるんです。その場に八人くらいいて、僕は主役じゃない四番目くらいだから、パーツにならなあかんから、普通に言えばいいだけやのに、ずらしたらあかん、分かりやすく当たり前のように提示しなきゃあかんって思ったときに、自分、邪魔くさいなって思いますね。

 ずらしてるときに、そのことがばれると、ものすごくいやらしくなりますよね。メタメッセージまで考え出すと、何も言えなくなる。僕は音楽も好きでベースをやっていますが、劣等感が強すぎて、弾いているときに、格好つけられなくなるんです。自分のベースに没頭できなくなって、音程とか気になってしまう。だから、ジャズミュージシャンの綾戸智恵さんには「岸君は音楽ムリやな、音楽好きすぎるねん」って言われました。

又吉 なるほど。

 小説を書き始めるときは、そういう恥ずかしさはなかったですか。

又吉 最初は「なんで自分が」という思いがありました。でもいくつかきっかけがあって、恥ずかしさについては、考えすぎてきたらムカついてくるんですよ。なんでここまで考えなあかんねん、という。

 (笑)ひとり逆ギレみたいな。

又吉 おもろかろうがどうだろうが、書きたいから書くという以外に理由はないなって。

 僕もそう思います。でもその理屈って自己満足の時と同じで、商業的に世に出る作品を書く場合には、逆ギレだけじゃないだろうとも思うんです。永田君が企画する演劇のアイディアは、いかにも現代アートにあるようなリアルな内容で、コンセプチュアルですよね。これまでの演劇を壊してやろうというような。でも一方、それを書いている又吉さん自身は、きわめてオーソドックスな小説の形式を守っていて、それがすごく面白いと思います。これぞ小説、ザ・文学、という感じじゃないですか。小説の形式を壊してやろうとは思わなかったんですか。

又吉 たぶん何周もしていると思うんですけど、僕、すごくベタなんです。芸人にも誤解されていると思うんですが。好きなサッカー選手はマラドーナで、作家なら太宰、芥川、漱石とか。変わった小説も勧められて読んだら面白いし好きなんですけどね。そんなに批評的でもないと思っていて、カレーライス好きですし。

 (笑)カレーライス、うまいですよね。

次号後篇に続く

(9月5日、於・神楽坂la kagū)

 (きし・まさひこ 社会学者)
 (またよし・なおき 芸人/作家)

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