インタビュー
2026年2月号掲載
今野 敏『分水─隠蔽捜査11─』刊行記念インタビュー
捜査現場と小説が結ぶ「旧」と「新」
兵庫県警刑事部長も務めた元警察官僚の眼に、主人公・竜崎伸也の姿はどう映るのか? 新手の犯罪が起きる度にワイドショーのコメンテーターとしても活躍している、サイバー犯罪対策の専門家が語る!
対象書籍名:『分水─隠蔽捜査11─』
対象著者:今野敏
対象書籍ISBN:978-4-10-300264-2
──兵庫県警察で刑事部長も務めた棚瀬さんはまさに主人公の竜崎と同じような立場でいらっしゃいましたが、警察庁のキャリアとしては異色の経歴をお持ちですよね。
25年間公務員をやっていましたが、同僚・先輩のキャリアステップとは異なり、ほとんどを警察庁以外の職場で勤務しています。
振り出しは警視庁渋谷警察署のハチ公前交番でした。カラーギャング同士の喧嘩やイラン人による薬物の密売がセンター街で流行った時代です。一般に、警察キャリアは警察庁と都道府県警察を行ったり来たりしますが、他省庁勤務を一度踏まないといけないという不文律があります。それで、私も20代で総務省の自治税務局に出向し、地方税制を担当しました。
──それで終わらず、幾つも省庁勤務を経験されていますね。
はい。財務省主計局では東日本大震災の復興予算やJAXAのロケット開発、原子力の研究開発予算など科学技術予算の査定・編成を、内閣官房小型無人機等対策推進室では米軍基地や自衛隊施設上空のドローンの飛行規制を、法務省刑事局では検察に関する業務を担当しました。
加えて、フランスのリヨンではインターポール(国際刑事警察機構)でマネー・ローンダリング対策に従事しました。インターポールと言えば、『ルパン三世』の銭形警部ですね。
こうして話すと警察官らしい仕事を全然やっていないように聞こえますが(笑)。そうは言っても、若いころには警視庁世田谷警察署の刑事課で刑事課長代理、沖縄県警察と京都府警察で捜査第二課長、その後は兵庫県警察で刑事部長として勤務し、この間、多数の事件捜査に当たりました。
──刑事部長になられたのは2019年なので、42歳の時ですね。
兵庫への人事異動については、ちょうど六代目山口組ナンバー2の髙山が出所するタイミングで「危ないから家族は連れて行くな」と上司に言われたのは今でも忘れられません。夜討ち朝駆けする記者の中に知らない顔の人が混じっていたら、顔見知りの記者から「気をつけて」と言われたこともありました。
着任翌日から対立抗争事件が頻発して日に日に激化し、自動小銃まで持ち出され、全く落ち着きませんでした。その後、暴力団対策法に基づく「特定抗争指定」という措置を講じるなどして、徐々に落ち着きを見せてきた時期にまた人事異動となりました。
──山口組の動向は当時、週刊誌等でもよく報道されていましたね。そうした経歴の後、今度は警察庁のサイバー捜査課長、つまり日本のサイバー捜査のトップを任されることになるのですね。
はい。これまでも人事異動に伴い様々な経験をしてきましたが、警察庁サイバー捜査課ではある意味自由にやらせていただきました。
「サイバー特別捜査部」というサイバー捜査に特化した国の直轄部隊が、独自にサイバー犯罪の被疑者を逮捕できるよう環境整備に奔走しました。事件捜査の経験を買われ、サイバー特別捜査部の足腰を強くしてくれとの下命を受けたからですが、仲間に恵まれ、様々な新しい着想を得て、面白い組織づくりができました。
一口にサイバー犯罪と言っても、コンピューターウィルスを作って仕掛ける高い技術力を持ったプロの犯罪者もいれば、スマホでテレグラムなどのSNSを悪用して詐欺を働くような、必ずしも技術力を有さない犯罪者もいます。
いずれにせよ、サイバー捜査は、様々なタイプの犯罪者の足跡や犯罪組織の形をインターネット空間で追いかけることになるので、一昔前のアナログな捜査と比べても手間と時間がかかる仕事です。
今や捜査に欠かせない存在
──『分水─隠蔽捜査11─』では捜査線上に浮上するユーチューバーを追うべく、サイバー犯罪捜査官に竜崎が頼る場面が出てきます。
若き捜査官の三好くんですよね、良いキャラクターだと思いました。サイバー犯罪捜査官は、過去の経歴はどうであれ警察官ですから、特殊詐欺事件の捜査本部で解析要員の役回りを求められることもあれば、足を使った聞き込みや被疑者の取調べをする刑事の役回りを求められることもあります。
つまり、「サイバー分野の技術力」と「刑事としての捜査能力」のどちらもが求められることとなるので、この両方を有するハイブリッドな人材を育て上げるのは大変です。私が現役だったころに全国の警察でこうした人員を増やすべく努力したのですが、しっかり育っていくかは本人の資質に加えて、警察組織のあり様の問題もあり、まさにこれからの課題なんです。
ちなみに、三好くんは両方のセンスを兼ね備えていると感じています。こういう人物に警察の未来を託す時代が来るのではないでしょうか。
──物語の冒頭、由緒ある鎌倉のお屋敷でボヤ騒ぎが起きます。住んでいるのは、女性問題で週刊誌スキャンダルの真っ只中にある世襲議員。放火の疑いもあり、厄介な事案のため竜崎の出番となるわけですが、現場にはユーチューバーらが集まって勝手にカメラを回している。こういった今の時代ならではの現象は小説の中のみならず現実でも起きていますが、警察の立場からするとやはり捜査しづらくなるものですよね?
捜査のあり方というのは時代の移り変わりとともに変わるものだと考えています。スマホ・SNS時代特有の現象についても考え方次第だと思っています。
作中で起こるような火事でも殺しでもそうですけど、事件捜査となると一にも二にも大事なのが証拠です。証拠や証拠となり得る情報の収集に捜査員は時間を割くわけですが、関係する動画や写真が何らかのメディアに上がっているとすれば、それは宝の山だと思うんです。
ユーチューバーが撮影した何気ない映像の中に犯人が写っているかもしれません。ユーチューバーや一般の方から協力を得て、そうした映像を捜査に活用しようというマインドセットができるかどうかではないでしょうか。
竜崎も恐らくそういう感覚を持っているというか、捜査のために必要なことであれば、決してないがしろにはしないですよね。だから、彼にとても共感できますし、警察としての信念を曲げない姿勢に終始、感情移入して読みました。ちなみに、そうした竜崎を信頼してある意味自由にやらせている佐藤県警本部長も味わいのあるキャラクターですよね。
様々な「旧」と「新」
──若きノンキャリアの三好と、キャリアで刑事部長の竜崎。二人の関係についてはどういう印象でしょうか?
新旧がうまくかみ合っていますよね。ややもすると、古い手法しか知らない上の人間たちは、SNSの動画に捜査のヒントがあるなどとは思わない。一方で、デジタルネイティブの世代は、何も教えられなくてもそれが宝の山かもしれないという感覚がある。
サイバー捜査の領域では若い世代の方が知識も経験もあるという、いわば逆転現象が起きていて、そのことを警察組織の上の人間は理解する必要があります。それを知った上で、サイバー捜査をめぐる課題や個別具体の事件捜査上の課題をどう乗り越えて行くかというメンタリティーを持たないと、上司と部下、あるいはキャリアとノンキャリアの融和はできません。
上の世代の人間である竜崎は自然とそれができています。
──時代の流れや変化に対応できる人と、そうでない人の違いが作中でも浮き彫りになりますよね。
そこがおもしろいですよね。大物政治家とその息子の世襲議員、オールドメディアとニューメディア、昔ながらの捜査手法とテクノロジーを駆使した最新の捜査手法。それら「旧」と「新」がただの二項対立、二者択一という形ではなく、融合できる可能性を描いていらっしゃいます。
これは警察だろうと一般企業だろうと変わりません。普遍性のあるテーマですよね。常に「新」が良いわけでもなく、常に「旧」が悪いわけでもない。ストーリーを追いながらどちらか一方に転ぶのだろうか? 融合できるのだろうか? という目線で楽しめ、自分の立場に置き換えて感情移入して読める人が多いのではないでしょうか。
──捜査の過程で竜崎は、所轄署が畏れる大物議員と対峙します。棚瀬さんも現役時代にこういったご経験はあったのでしょうか?
小説とは違いますが、例えば選挙違反で現職当選議員を逮捕した時には、圧力めいた連絡なり、別の議員が警察署に来るなりということはありましたね。あまり詳しくは言えないのですが(笑)。だからといって、及び腰になって捜査に影響が出るというのはありませんでした。私としては、逆にこの事案が本物だという確証を得られたため、むしろ感謝してやる気が出たぐらいです。
タイトルの妙
──作中では議員の親子に対してどういう立場を取るか、捜査員によってグラデーションがあります。
大物議員だろうが関係ないという竜崎がいれば、八島はスキャンダルを揉み消して息子の議員に擦り寄れないかを画策します。こうしたキャリア間での価値観の違いもまた、物語を大きく左右する部分の一つとなっていますよね。
また、大物議員と世襲議員の人間性にもまたグラデーションがあっておもしろいところです。
──棚瀬さんは『分水』というタイトルにも妙を感じるとおっしゃいましたが?
このタイトルには、読者に、自分が今どこにいるのかを認識させつつ、いかなる選択肢を選ぶこととなるのかを意識させる効果があるように感じます。
「旧と新」、「キャリアとノンキャリア」、「時代の流れや変化に対応できる者とそうでない者」など重層的に幾つものテーマが盛り込まれているのに、楽しみながらすらすらと一気に読めてしまうのは、読者が感情移入できるポイントが多々あるからだと思います。
今野敏さんの警察の描き方には以前から惹かれていましたが、改めてこの小説の鋭さと深みを感じました。
(たなせ・まこと サイバー犯罪対策コメンテーター)


