書評

2016年5月号掲載

“笑言”こそ笑いの現場の“証言”

――高田文夫『私だけが知っている 金言・笑言・名言録』

高田文夫

対象書籍名:『私だけが知っている 金言・笑言・名言録』
対象著者:高田文夫
対象書籍ISBN:978-4-10-100441-9

 還暦を過ぎて大病(心肺停止)をやって死にそうになったから、一日4箱吸っていたハイライトもピタッとやめ、酒も死なない程度にチビチビと。道楽者でならした私でも、こうなってくると借りてきたショーンKのように大人しい。
 この節はもっぱら趣味はセンテンス(スプリング)集め。身体に悪くもないし金もかからない。特に笑芸に携わる人々の言葉だ。奥が深そうでいて大して深くもないから余計おかしい。私は笑芸者達の言葉をテレビ、ラジオ、雑誌、ライブ、寄席からコレクションし始めた。
 どの形式で集めるというルールはない。面白い言葉だけを雑食で集める。アンチ・センテンスグルメなのだ(ほとんど言ってる事がわかりませんが)。団塊の世代の我々が、大学時代に熱心に読んだ永六輔の『芸人その世界』の精神だ、はい。しかし、あの本ほど論理的にキチンと整理されていない。そこがまた"心肺停止8時間男"の凄いところ。
 そんな時にタイミングがいいんだか悪いんだか、新潮社のOと名乗る只(ただ)の"高田フェチ"が現れた。今だに私のラジオは欠かさず聴いているようだ。週刊誌の連載も読んでいる。そんな男がよくも新潮社へ入れたもんだと、そっちにびっくりした。新潮の好きな乙武だって"女体大満足"である。少し脇道に逸れました。
 O君が考えてくれたタイトルが『私だけが知っている 金言・笑言・名言録』。
 実のところ、人生に役立つような金言や名言はほとんどない。載っているのは私の仕事柄"笑言"がいっぱい。この"笑言"こそが笑いの現場の"証言"でもあるのだ。
 例えばどんなセンテンスがあるか。ここではなるべく本には収まりきらなかった言葉の数々を紹介しよう。放送作家をやりながら噺家でもあった私としては、まずは"落語"部門の我が師・立川談志の言葉と笑言。
「努力とはバカに与えた夢である」
「学問とは貧乏人の暇つぶし」
 いきなり凄いことを言い切っちゃってるでしょ。居なくなって4年半。時々会ってまた小言の一つも聞きたくなる。
「小言は、己の不快感の解消だ」
 そういう事だったのだ。そしてとどめは、
「馬鹿はとなりの火事より怖い」
 さすが、奥が深すぎる。笑っちゃう言葉であります。落語の世界からは昭和の名人、"黒門町の師匠"と呼ばれた桂文楽が生涯大切にした言葉。
「長生きするのも芸の内」
 しみじみ現在91歳の桂米丸、93歳の内海桂子を見ているとそう思う。「どーもすいません」で売れに売れた初代林家三平の後を継いだこぶ平(いま正蔵)、いっ平(いま三平)が落語家になった時、ポツリと誰かがつぶやいた。
「名人に二代なし」
 うまいなとは思ったが、志ん生と志ん朝という素晴らしい親子の例もあるから一概には言えないと思った。味噌汁のCMをやった人間国宝の柳家小さん。
「これでインスタントかい」
 その昔、寄席で大問題となった一気にまとめて「大量真打」が誕生した時、そのうちの一人の芸を見て小さん「これでインスタントかい」と言ったとか言わないとか。
 漫才やコントの世界からも。最後はインチキ坊主もやっていたラッキー7のポール牧(私はずっとラッキー7のコントを書いていた)。
「ドーランの下に涙の喜劇人」
 ちょっとくさいですネ。指パッチンしたくなります。我らがツービート(たけし)デビュー当時はこんなネタも。
「俺の親父は真面目だったからネ。背中に〈真面目〉と彫ってあった」
 ライバルで早世した星セント・ルイスは、
「俺たちに明日はない。キャッシュカードに残はない」
 そして2009年に東京マラソンで心肺停止した松村邦洋と私の合言葉は、
「私のハートはストップモーション」
 私が退院した時の第一声が、
「心臓止めるな、タクシー止めろ!」

 (たかだ・ふみお 放送作家)

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