書評

2016年11月号掲載

『狂うひと――「死の棘」の妻・島尾ミホ』刊行記念特集

「比類ない愛の神話」の解体

――梯久美子『狂うひと――「死の棘」の妻・島尾ミホ』

川村湊

対象書籍名:『狂うひと――「死の棘」の妻・島尾ミホ』
対象著者:梯久美子
対象書籍ISBN:978-4-10-135282-4

 千鳥(チドリ)ヤハマ 千鳥ヤヨオ ヌガウラヤ 泣キユル
 ミホガ 面影(ウモカゲ)ヌヨオ 立チドウ泣キユル
 トシオガ 面影ヤヨオ 立チ優(マサ)リ 勝(マサ)リ
 立チ優リ 勝リヨオ 塩焼(シュヤ)小屋ヌ煙(ケブシ)

 大平ミホが、戦時中に加計呂麻島の特攻隊長として赴任してきた「島尾隊長」に捧げたという、奄美方言による島唄を、二行目と三行目の「加那(恋しき人)」を、私(川村)が勝手に「ミホ」と「トシオ」に変えた改作である。
 特攻死を目前にした、若い隊長と島の娘が、逢瀬を重ねたのが「塩焼小屋」のある浜辺で、『万葉集』の古代歌謡や記紀神話にあるような、一途な恋の炎が燃え上がったのである。塩焼きの煙に現れてくる二人の面影。神話的英雄や古代歌謡のような相思相愛の物語を、島尾ミホは、生涯、倦まずに物語り続けた。
 梯久美子の『狂うひと――「死の棘」の妻・島尾ミホ』は、残酷なまでに、そうした「比類ない愛の神話」を打ち壊した評伝文学の極北に位置する本である。
 夫の不貞に、狂気を発するまでに憤った妻。夫はその罪過を贖うため、幼い二人の子どもも顧みずに、いっしょに精神病棟に入って妻の狂気に寄り添おうとする。その愛憎と執念を赤裸々に描いたのが小説『死の棘』であり、三角関係の一極の女性に、妻と夫が協働で暴行を加える場面が、『死の棘』のクライマックスだ。
 しかし、そこには「謎」がある。夫の不貞の相方(あいかた)である女性の姿が曖昧で、執拗に電報や置き手紙で「カテイノジジョウ」を脅かす相手の存在が、どこか「狂った妻」と重なってくるのだ。評伝作家は、『死の棘』を丹念に読み、『「死の棘」日記』を参照しながら、ミホの残した断片的なメモ、島尾敏雄の回想や談話を紡ぎあわせながら、『死の棘』という作品にまつわる「神話」を一つずつ解体してゆく。
 上質のミステリーのように、「謎」が解かれる。大平家の養女だったミホが、その出自を隠したこと、『死の棘』という作品の成立事情、自己演出的な狂態と行動、友人・知人たちの見ていた二人。古代的な愛や、究極の夫婦愛といった神話は、木っ端微塵に打ち砕かれる。敏雄の性病や、特攻隊長として慰安所を設営しようとしたこと、などは、島尾文学の信奉者にとっては、ショッキングなエピソードだろう。しかし、この評伝が単に「神話崩し」や「神話壊し」に終始していると思うのは誤っている。
 私には、この本が、島尾敏雄の文学や、島尾ミホの文学に対して、その虚構空間の成り立ちを詳細に、精緻に検証することによって、従来の「神話」を解体したことを認めながら、もう一つ、根本的な「文学」や「人間」という神話を再生させたものと思われてならない。神話を崩し、またそれを再生させる。それが「文学」というものの営みであり、「人間」というものを知る究極の手段なのではないか。ここには、本質的な人間の魂の「神話」が書き留められているのだ。
 私も奄美のお宅で、ミホさんと対面して、話を聞いたことがある。ビールを勧められるまま、しこたま飲んだ後で(酔い潰れさせ、早く帰そうとしたらしい)、「ミホさんが小説を書くことに、敏雄さんは、どんな態度でしたか」と質問した。「とても協力的でした。原稿用紙の書き方も、手を取るようにして教えてくれました」と答えたのを覚えている。しかし、本書中の評伝作家の「島尾さんはあなたがものを書くことを喜んでいましたか」という問いに、ミホさんは「いいえ、ぜんぜん」と答えている。息子の伸三さんによれば、むしろ、嫌がっていたというのだ。
 この箇所を読んだ時、「島尾敏雄」は、島尾ミホの「作品」なんだと、あらためて思わざるをえなかった。ミホとトシオが、二人して、協力して作り上げようとした「文学」の神話に、私はすっぽりとはまり込んでいたのである。浜千鳥の唄の世界のような。

 (かわむら・みなと 文芸評論家)

最新の書評

ページの先頭へ