書評

2016年12月号掲載

「チームの意味を知る」人間関係のドラマ

――三羽省吾『ヘダップ!』

吉田大助

対象書籍名:『ヘダップ!』
対象著者:三羽省吾
対象書籍ISBN:978-4-10-456802-4

 ミステリー、SF、恋愛小説......といったジャンルに括ることのできない小説群を書き続けてきた人だ、三羽省吾は。それでもあえて言ってほしいと乞われたならば、ジャンル名ならざるジャンル名をつぶやかざるを得ないだろう。「人間ドラマ」と。
 主人公個人の内面に起こる感情の起伏や人間性の変化は、物語の一部分でしかない。主人公がこれまでいた場所とは異なるコミュニティに参入する、そこで発生したさまざまな人間関係のドラマを徹底的に書き尽くす――これこそが三羽流「人間ドラマ」=「人間関係のエンターテインメント」の真髄だ。一見するとSFっぽい、けれどSF的ガジェットをクールに描写することよりも、その設定でしか出現させられない人間関係をあたたかに描き切ることに重きを置いた、今春刊行の前著『Y.M.G.A.』もそうだった。そして、初期設定とあらすじを聞いたら、サッカーを題材にしたスポーツ小説だと思われるに違いない、最新長編『ヘダップ!』もそう。
 主人公の桐山勇は高校卒業前、北関東A県峰山市の実家を出て、東海地区B県武山市にあるJFL所属「武山FC」と選手契約を交わした。桐山は小中高といずれも弱小校だったため大会で勝ち進むことはできなかったが、高校3年時にはU-18日本代表合宿にサプライズ選出。その後、J1の古豪のトライアルを受け内定をもらっていたが、とある事情により流れてしまった。そんな桐山を拾ってくれたのが武山FC、その監督に就任して5年目の赤瀬だ。まず太い関係性がセットされるのは、「桐山と監督」。
 選手に自分で考えさせる&自発性を尊重するタイプの赤瀬は、桐山にも詳しい説明はせず、ボランチ(守備的ミッドフィルダー)に抜擢する。チームには絶対エースのリョーケンがいるとはいえ、フォワード人生を突き進んできた自分が、なぜだ? 桐山は心根こそ優しいもののプライドは高く、「性格が悪い」(本人談)。「桐山とライバル」「桐山とチームメイト」の関係性は、ページをめくるごとに摩擦を高めぐんぐん熱を帯びていく。また、武山FCは企業系ではなく、町のクラブチームであるためサポーター達の熱量が強烈だ。「桐山とサポーター」の関係性も、さまざまな感情を物語に運び込んでくる。
 桐山は、プロではない。作中の記述を引用すると「単年アマチュア契約。契約金も年俸もないが、遠征の交通費はチーム負担であるほか、出場給、勝利給、ゴール給、敢闘給がある」。つまり、働かなければ食べていくことができない。就職先はチームのスポンサーである、スーパーマーケットだ。「桐山と就職先」との関係性が、そこでの学びが、「桐山とサッカー」の関係性に影響を与える。この展開が、抜群にオリジナル。他にも「高校のサッカー部の同窓生」「プロに憧れるユース選手」「姉と父、亡き母」......。驚愕の密度、バリエーションだ。ドラマチックで、切実で、そしてユーモアも満載で。
 何よりユニークな点は、この物語において、敵は「外」にはいないことだ。公式戦で戦う因縁のライバルチームにひとり、銀髪クソ野郎(と言いたくなる見事な描写力!)がいるぐらいだ。打ち倒すべき敵、乗り越えるべき課題は、常に「内」にある。だから武山FCがただ試合で勝つというだけでは、快感が稼働しない。「内」なる葛藤の解消が「外」へと染み出し結果をもたらす、その繋がりを感じた瞬間に、快感が稼働する。こうした物語設計は、通常のスポーツ小説の快感原則とはまったく異なっている。
 それは何故か? この小説で描かれているのは、「勝つこと」の喜びではなく「チームの意味を知る」喜びなのだ。サッカーのチームという個性と関係性の束は、どのように構成されていて、どのように作用し合い、どのように機能するものなのか。三羽省吾は"人間関係のエンターテナー"としての強い視線で競技の現場を見つめ、そこから取り出した共同性を、普遍化のマジックをふりかけて読者に差し出すことに成功した。だからこそ、読み終えたならば必ず、自分が持ち得ている関係性を点検したくなるのだ。自分が接続している共同体と自分との距離感を、確認してみたくなる。
 引用したい箇所は無数にある。タイトルの意味も知らせたかった。そうした衝動のすべてを飲み込んで、お伝えします。とにかく読め!

 (よしだ・だいすけ ライター)

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