書評

2017年9月号掲載

「親鸞と保守思想」という重い課題

――中島岳志『親鸞と日本主義』(新潮選書)

釈徹宗

対象書籍名:『親鸞と日本主義』(新潮選書)
対象著者:中島岳志
対象書籍ISBN:978-4-10-603814-3

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 待望の書籍化である。『考える人』(新潮社)の連載終了から五年にもなろうか。連載時から親鸞研究者や真宗者の間で話題になっていた。本書は書きおろし部分も含めて、三百ページを越える力作となっている。
 左翼系思想家や活動家たちが親鸞思想に影響を受けたことは広く知られている。三木清、服部之総(はっとりしそう)、吉本隆明など、すぐにでも数人の名を挙げることが可能だ。三木や吉本の著作を通じて親鸞の教えと出会った者も少なくないだろう。しかし、保守系・右翼系の日本主義においても親鸞の影響が強いことは、これまでほとんど指摘されてこなかった。この点、筆者の眼力に敬意を表したい。
 冒頭、筆者と親鸞の出会いがあり、そこから親鸞と保守思想との密接な関係に気づく一連の流れはなかなかドラマチックである。本書では、三井甲之(こうし)、木村卯之(うの)、井上右近(うこん)、蓑田胸喜(みのだむねき)、倉田百三、亀井勝一郎、吉川英治、暁烏敏(あけがらすはや)などが取り上げられているが、いずれも筆者の人物描写が巧みであり、その人特有の魅力が十分に描かれている。章によっては、まるで群像劇のような展開となっているのである。
 取り上げられた人物共通のキーワードは「転向」であろう。ことに第一章から第四章ではそのことを強く感じた。どの人も人生が二転三転するのだ。進むべき方向が見つからない苦悩。自分の無力・無能にうちひしがれる。そんな苦悩のどん底で聞こえてくる親鸞の声。親鸞という人は、絶望的状況でその声が聞こえて来るようなところがある。苦悩する人の深層に響く力が強い。これは確かである。本書に登場する人たちも苦悩の中で親鸞と邂逅する。ただ、その声をどう解釈するかによってその後の歩みは大きく変わっていく。
 筆者は「保守思想では、人間の理性には決定的な限界が存在すると考え、人智を超えた伝統や慣習、良識などに依拠すべきことが説かれる。(中略)左翼的啓蒙思想は、設計主義的合理主義によって成り立っており、そこには『理性への過信』が含まれる」と述べる。この保守の定義は卓見であろう。この定義で考えるならば、私も保守の立場である。そして多くの宗教者はこの立場に立つのではないか。宗教は本質的に理性や人知を超えた領域をもつからである。
 そうなると、戦時中において多くの宗教者たちが国策賛同へと傾斜したのも、ある種の必然性があると言わざるを得ない。今回書き下ろされた第五章「聖戦と教学」にもつながる問題である。戦時教学については、真宗教団がこれからも背負っていかねばならない荷物である。あらためてその思いを強くした。
 ただ、「親鸞思想に民族的国家主義への傾斜を生み出す根源的な要素がある」と筆者が主張するのであれば、親鸞の原典を詳細にあたるべきではないか。日本主義者から親鸞を読み解くという道筋から、この結論を導き出すことはできない。ひどく歪曲された親鸞思想をもって、「親鸞の中にある根源的な要素」を特定するわけにはいかないだろう。とはいえ、これは筆者の仕事ではないかもしれない。筆者の問題提起を受けて、真宗学者が取り組むべき課題と言うべきか。
 ところで、今回取り上げられた人物それぞれの親鸞理解には、かなり開きがある。三井甲之や蓑田胸喜の理解と、倉田百三や亀井勝一郎の理解では、やはり後者の方が深みはあるような印象を受けた。さらに暁烏敏をはじめ、金子大栄(だいえい)や曽我量深(そがりょうじん)たちの味わいも独特のものがある。ここは本書を誤読しないためにも、丁寧に読み込む必要があると思う。
 一方、登場人物各氏に共通している点もある。ひとつは、いずれも「近代知性から見た親鸞」である。また、『歎異抄(たんにしょう)』に大きな影響を受けている点も共通している。『歎異抄』は唯円の著作であって、親鸞の著作ではない。蓮如は『歎異抄』写本の末尾に、「無宿善の機においては、左右なくこれを許すべからざるものなり」(仏の教えを聞く機縁が熟していないものには、安易にこの書を見せてはならない)と付言している。まさに蓮如の危惧通りの状況が生まれたのである。蓮如は『歎異抄』のきわどさがわかっていたのである。
 いずれにしても、親鸞や真宗から保守思想を抽出した立論を高く評価したい。ひとつの宗教思想から右も左も生まれる。このように多様な影響が起こる事態を見通す眼をもたねばならない。本書は、ある意味で、親鸞を自分勝手に振り回した人列伝なのである。この点においては左翼やリベラルの方も同様なのだ。

 (しゃく・てっしゅう 宗教学者/浄土真宗本願寺派如来寺住職)

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