書評

2018年6月号掲載

働くことの意義を問い掛ける

――澤見彰『白き糸の道』

末國善己

対象書籍名:『白き糸の道』
対象著者:澤見彰
対象書籍ISBN:978-4-10-351861-7

 澤見彰は、人と妖怪が巻き起こす騒動をコミカルに描いた〈もぐら屋化物語〉シリーズや、実在の絵師と不思議な少女を通して、岩手県遠野地方に伝わる供養絵額の誕生秘話に迫る『ヤマユリワラシ 遠野供養絵異聞』など、ファンタジー色の強い作品で注目を集めている。著者がファンタジーの要素を封印し、幕末を生きた女の一代記にして、技術小説、ビジネス小説、三代にわたる母子の愛憎劇としても楽しめる物語を作り新境地を開いたのが、『白き糸の道』である。
 お糸は、養蚕が盛んな村で、酒びたりの源吉と養蚕が得意なお克の間に生まれた。養蚕の指南書を読むため「女子のくせに」と言われながらも寺子屋に通うお糸は、十歳の時、働く女性の絵を描きたい江戸の絵師・歌川貞秀、算盤と算術を教えてくれた蚕種商の中村善右衛門と運命の出会いをする。
 やがて大塚五郎吉が営む生糸商に奉公へ出たお糸は、算盤の腕が評価され一目置かれる存在になっていた。ある日、八王子の市に生糸を売りに出掛けたお糸は、病に倒れた善右衛門と再会、医師が持っていた体温計に興味を持つ。養蚕は温度管理が重要なので、体温計のように一目で気温が分かる装置があると便利だ。このアイディアをお糸から聞いた善右衛門は、製造法を調べるという。年季が明けて村に戻ったお糸は、善右衛門が寒暖計を作るため江戸に行ったことを知る。善右衛門の役に立ちたいお糸は、家出同然に江戸へ向かう。
 お糸たちが、ガラス製造の技術が十分ではなく、水銀の入手も難しかった江戸時代の職人と協力し、問題点を一つ一つクリアしながら養蚕のための寒暖計・蚕当計を開発していく『プロジェクトX』的な展開が、前半の山場となっている。
 実は善右衛門は、蚕当計の製造と普及に尽力した実在の人物である。そのほかにも、鳥瞰の風景画で人気を博した貞秀、蚕を鼠から守るお守り猫絵札を描いて領民に配った"猫絵殿様"こと岩松道純、まだ家業である薬の行商をしていた頃の土方歳三ら、歴史上の人物が作中の随所に顔をのぞかせているのも面白い。この史実と虚構を巧みに操る手腕が、蚕当計の開発の裏にお糸という架空の女性がいたという物語に、奥行きとリアリティを与えているのは間違いあるまい。
 江戸で妻子ある男性の子供を身ごもったお糸は、相手に何も告げず村に帰り、娘のお葉を生む。別の男と結婚したお糸だったが、平穏ながら変わりばえのしない村の生活に疲れ、家族の反対を押し切って再び村を離れる。それからお糸は、江戸に出て怪しげな道具として忌避されていた蚕当計を普及させるために尽力したり、恩義ある大塚五郎吉の危機を救う方法を考えたりと、まさにビジネスの第一線で活躍する。だが養蚕一筋に生きた祖母のお克を敬愛するお葉は、母であるお糸の言動が理解できず、母子の溝は深まっていく。
 お糸は、若い頃は勉学に励むことを皮肉られ、都会に出るにも苦労し、ようやく打ち込むべき仕事を見つけ成果が出始めたと思ったら妊娠。子育てが一段落して仕事に復帰しようとすれば、古い考え方が染みついた親だけでなく、夫と子供にも仕事ではなく家庭を選んで欲しいと頼まれる。
 これは働きながら子育てをしている現代の女性が、進学、就職、結婚、出産、子育てといった人生の節目で突き付けられる現実と重なる。それだけに、同じ境遇の読者は共感が大きいだろうし、因習を打ち破って次々と新しい仕事にチャレンジすることで輝きを増すお糸には、勇気がもらえるはずだ。
 ただ著者は、働く女性だけに着目しているのではない。本書には、村にとどまり家を守ることに喜びと充足感を見いだす女性も登場する。これはお糸の人生とは対照的に見えるが、著者は、迷い苦しみながら自分の意志で人生を選択したのであれば、どんな結論であっても認めようとしているので、働く女性と家庭にいる女性に差をつけていないのだ。
 その意味で本書は、世間の常識、親や友人の顔色をうかがって流されるのではなく、自分で決断し「白き糸の道」に象徴される未踏の地に足跡を残そうと奮闘しているすべての性別、すべての世代へのエールになっているのである。
 愛する男を遠ざけ、家族にも理解されないままひたすら働くお糸の姿が、働き方が社会の関心事になっている時代に、働くことの意義を問い掛けていることも忘れてはならない。

 (すえくに・よしみ 文芸評論家)

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