書評

2018年11月号掲載

あたりまえの日常に、宿るもの

――佐藤卓編著『ケの美 あたりまえの日常に、宿るもの』

佐藤卓

対象書籍名:『ケの美 あたりまえの日常に、宿るもの』
対象著者:佐藤卓編著
対象書籍ISBN:978-4-10-351072-7

「これ、お掃除に使えるので、ぜひ」
 作家の小川糸さんがそう言ってくださったのは、小さな掃除用ブラシでした。細くて深い穴にも潜りこめそうな、20センチほどの細長いもので、聴覚障害者施設の入所者の手作りだとのこと。手渡された場所は、ベルリンのとあるカフェでした。長期滞在中の小川さんと、旅の途中でお会いしたのです。「しかも、美しいのに無駄がないでしょう」とドイツのブラシを動かしながら目を輝かせる小川さんの顔は、ほんとうに楽しそうでした。
 日常に使う、こういった掃除ブラシが持つ美しさには、時折ハッとさせられます。こういうものの美しさとはなんなのだろう。そんなことを考えていた頃に、料理研究家の土井善晴さんにお話を伺う機会を得ました。そこで耳にしたのが、「ハレとケ」で、それは後にこの本のテーマとタイトルになった「ケの美」につながっていきます。
 土井さんは料理に真摯に取り組むあまりに、食べることや食事のことなど、ひたすら突き詰めて考えるようになり、「ハレとケ」に思考が行き着いたとおっしゃる。私なりに解釈して言えば、非日常的な「ハレ」と、日常である「ケ」は、日本人の伝統的な世界観の両面を成すもの。「晴れ着」と言うように、祝い事や特別な催事が「ハレ」であり、一方で、毎日繰り返すあたりまえの日々が「ケ」と呼べそうです。
 みなさんの日常はいかがでしょうか。今の社会はひたすら華やかで写真映えするような「ハレ」ばかりを求めてはいないでしょうか。日々のあたりまえとなって、退屈だとさえ感じる「ケ」こそ、実は時間を経ると貴重で得難いものです。後からそう、しみじみと思えることは多いものです。
「『ケの美』とは、日常の営みという生き物の秩序の中に現れる美しさです」とは、本書の中の土井さんの言葉です。
 同様にその秩序については、こう綴っていかれます。
「それは『心地よい』という根源的な感覚にあらわれる、頭で考えることではないもの」
 この発想はユニークです。それでいて、あなたはどう生きるのか、という根源的な問いかけでもあるように思いました。ポーラミュージアムアネックス(東京、銀座)で「何か展示を」と依頼を受けた時に、これしかない、と思いました。「美しいものをつくりだす人たちは、日々どんなものに触れているのか」について、「ケの美」と題してディレクションをさせていただいたのはそのためです。「ハレとケ」の思考に触発されて思いついたのが、本の土台になっている「ケの美」展なのです。
 2017年の年末に開催に漕ぎつけたこの展示では、「私が興味を持つ14人、五十音順に石村由起子、緒方慎一郎、小川糸、隈研吾、小山薫堂、塩川いづみ、柴田文江、千宗屋、土井善晴、原田郁子、松場登美、皆川明、柳家花緑、横尾香央留(敬称略)の方々に、それぞれの仕事の紹介と合わせて、日用品、自身が考える「ケの美」を象徴する「もの」、そしてそれを伝える千字ほどの文章を提出していただきました。全員の方のポートレートと、日用品の撮影は、例外をのぞいて写真家の広川泰士さんによるものです。
 書籍化にあたっては、その写真をほぼそのまま掲載し、「展示物をもっとじっくりと味わいたい」と感想を伝えてくださった方に向けて、まとめました。写真を鮮やかに入れることができ、それぞれの方の纏う空気感も出せたように思います。
 本をお見せしたところ、土井さんが「ケは陰で支える存在とも言えます。ITのような華やかな世界があるなら、逆に実質を支える存在も必要だと思います。ケの美、という言葉は残っていくもの。本としてまとめてくださって嬉しい」と書籍化を喜んでくださいました。こちらこそ嬉しいことでした。
 さて、掃除ブラシの贈り主、小川糸さんも14人のうちの一人であるわけですが、無駄のないドイツらしいブラシは、我が家の廊下のくぼみを掃除するのに、日々役立っています。そんなちょっとした贈り物のやりとりも、「ケの美」のおまけかもしれません。

 (さとう・たく グラフィックデザイナー)

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