書評・エッセイ

2021年5月号掲載

自分をさらけ出した先に見えるもの

林真理子『小説8050』

三浦友和

対象書籍名:『小説8050』
対象著者:林真理子
対象書籍ISBN:978-4-10-363111-8

 寝る前に本を読むのが日課になっている。
 本選びは、あらすじに目を通して「自分が演(や)れそうな」作品ということが選択基準になってしまいがちではあるが、時空が歪んだり異世界に飛んだりするようなものにはまったく興味がわかない。警察小説やミステリのような、人間の弱い部分とか醜い部分がリアルに描かれたものを好んで読む。
 一時間ぐらいページをめくって、眠気を感じると本を閉じるのだが、困ったことに、この『小説8050』に関しては、なかなか閉じることが出来なかった。
 部屋に引きこもったままの息子。青白い顔に独特な体臭、割れるガラス、パトカーの回転灯......のっけから重たい展開に胸が苦しくなる。描写がリアルでとても他人事とは思えない。これと同じことが自分にも起こったら、いや、起こっていた可能性もあったはずだ――。
 八十代の親が五十代の子どもの生活を支える「8050問題」を題材にしたノンフィクションの世界に入り込んでしまったようだった。この問題の背景にあるのは「引きこもり」だ。
 一昨年に起きた、元農林水産省の事務次官が息子を殺害した事件はとても印象に残っている。ニュースで流れた、逮捕されて連行される容疑者の表情が忘れられないからだ。職業柄、つい人の表情に注目してしまうのだが、この時の容疑者は、これまで抱えてきたものを全部おろしたような顔をしていたように見えた。
『小説8050』の主人公の大澤正樹は、五十代の歯科医で、従順な妻と優秀な長女、そして、七年間自室に引きこもっている息子がいる。近所で起こった事件をきっかけに、このままでは自分たちの未来は「8050問題」そのものになってしまうと、はじめて事態の深刻さを認識する。
 中学受験を勝ち抜き、難関の進学校に進んだはずの息子に、いったい何が起こったのか。結婚のために弟を排除しようとする長女の冷酷さ、正樹の提言を決して受け入れない妻の頑なさ――自分の家族のことを、ほんとうは全く理解していなかったことに気付いた時の正樹の恐怖を想像して、打ちのめされた。
 わが身を振り返って「自分は息子と妻のことを本当に理解しているのか」と考えた。恐ろしかった。もしかして、私の家族にもそれぞれに隠している部分や、言えない秘密があるんじゃないか。一方、私自身も、いつも家族に自分をさらけ出して生活しているわけじゃない。誰だってそうだ。だから物語の世界にのめり込んでいく。
 少しずつ現実を受け入れて、現実に立ち向かおうとする正樹をあざ笑うかのように、次々と難題が降りかかる。救いの手を差し伸べてくれる人もいるけれど、もういい大人である正樹は、それを素直に信じることも出来ない。そのあたりの心の揺らぎが、すごくリアルに感じられた。
 私に正樹と違うところがあるとすれば、「子どもをこういうふうに育てたい」という理想形を、持たずにやってきたところかもしれない。なぜなら、トンビが鷹を生むのは宝くじに当たるようなものと思うからだ。
 作中に登場する問題児を抱えた母親たちのセリフ、「子どもの出来なんて、籤(くじ)みたいなもん」は、まさしく名言だ。
 私の子どもたちが、無事に大きくなって、そんなに周囲に迷惑をかけることもなく、それぞれの人生を送ることができているのは、親の育て方が正解だったわけではなく、子どもたちが選び取ってきたことの結果だと思っている。しかし、そうは言っても息子たちはまだ三十代。この先何が起こるかは分からない。
「引きこもり100万人時代」と言われているように、子どもが引きこもりや不登校になったり、親子関係がうまくいっていない話は身近でも聞くけれど、私から彼らに、詳しい事情も知らぬままありきたりな言葉をかけることは出来ない。
 虐待や育児放棄などは別にして、子どもの出来なんて偶然なんだから、どんなに悪い状況になっても、「自分のせいだ」って責めなくてもいいよ、と思う。親がダメでも、それを反面教師にできる子どもはいっぱいいる。
 息子が引きこもっていることが、近所にも職場にも、さらには娘の婚約者家族にもバレてしまい、正樹はついに、世間体を捨てて息子と向き合う決意をする。開き直って、自分をさらけ出して、そして一番大事なことに気付く。
 私は常々、役を演じるというのは結局、自分自身と向き合うことだと思っている。自らの弱さと醜さを引き出さないといけないので、自尊心との闘いともいえる。
 しかし、その闘いを終えた先には、正直な自分と向き合ったという充足感がある。きっと正樹もそれに似た何かを手にしたはずだと思いながら、本を閉じた。

 (みうら・ともかず 俳優)

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