書評

2022年6月号掲載

一筋縄ではいかない、異色の青春ミステリ

彩藤アザミ『エナメル その謎は彼女の暇つぶし』

大矢博子

対象書籍名:『エナメル その謎は彼女の暇つぶし』(新潮文庫nex)
対象著者:彩藤アザミ
対象書籍ISBN:978-4-10-180234-3

 泣きたいほど美しい歪み。
 あるいは、切ない狂気。
 彩藤アザミ『エナメル』には、そんな言葉が似合う。
 物語の語り手は男子高校生の江名(エナ)だ。彼は毎日のように、病院の最上階にある特別室に通っている。そこに入院しているのは大金持ちにして半身不随の美少女、甘宮メル。エナは彼女に献身的に付き添っている――というだけでも設定盛りすぎなのに、なんとメルは名探偵でもあるのだ。
 かくして、動けないメルに代わってエナが情報収集に飛び回り、メルは安楽椅子ならぬ安楽寝台探偵として君臨する。彼らが出会う事件は、学校の文芸部誌が汚されていた一件、ネットで知り合った「人を殺してみたい」少女の顛末、病院の調剤室で起きた幽霊騒動、そして――いや、最後の一件はここには書かないでおこう。
 身体的な制限で安楽椅子探偵もしくはベッド・ディテクティヴにならざるを得ないという主人公は決して珍しくはない。ジョセフィン・テイの『時の娘』はケガで入院中の警察官、天藤真『遠きに目ありて』は小児麻痺の少年、ジェフリー・ディーヴァー『ボーン・コレクター』に至っては四肢麻痺で自力では体を動かせない捜査官の物語だ。
 なのでこれもその類と思って読み始めたのだが――いやもう初手から違ったね! この半身不随のメルお嬢様がチョー高飛車のワガママ娘、エナくんを翻弄しまくる。でもってエナくんは嬉々として……というわけでもなかろうが、当然のようにそれを受け入れる。呼ばれれば夜中でも駆けつけ、ちょっとそれはと思うような頼み事(というか命令というか)も引き受ける。ちょ、ま、君たち何なの?
 この「君たち何なの問題」がキモなのだが、それは後述するとして。まず一編ごとの謎解きが実に興味深い。日常の謎に闇サイトに幽霊譚と事件はさまざまだが、共通するのは「犯人」に通底する無自覚の歪みや邪悪さだ。つまりは動機の問題である。
 謎解きそのものは特別難しいというわけではない。むしろ、なぜ事件を起こしたのかというところに物語の核がある。一見普通の人、ともすれば「いい人」が、まるで日常の続きのように、ひょいっと狂気を見せてきたら?
 いやあ、怖い。何が怖いって、その狂気は多かれ少なかれ誰の中にも種があるものだから。なるほど、これに向き合うには強烈ワガママ高飛車お嬢様じゃないとムリだ。
 で、「君たち何なの問題」である。第一話が高校の部活内の事件ということで、物語自体はきゃっきゃうふふの青春もの(ただし邪悪)といった雰囲気で始まるものの、どうもこのお嬢様と少年の関係がつかめない。エナくんはなぜ、キミは何かの殉教者かとツッコミたくなるほどの自己犠牲精神で彼女に従うの? メルお嬢様はなぜ、やたらとエナくんを試すような言動をとるの?
 ふたりの間に何があったのか。それが少しずつほのめかされる。ほのめかされるのはそれだけではない。エナ自身の「事情」も、話を追うごとにちらちらと覗き始める。
 それが一気に迸(ほとばし)るのが、最終話だ。使い古されたある「問題」を、こんなに切なく、こんなに残酷に、物語に仕立て上げた例を私は他に知らない。机上の議論だったものが、一気に血肉を持って目の前に立ち塞がった。これだったのか、これがやりたかったのかと息を呑んだ。
 そして事ここに至って、なぜ各編で無自覚の狂気をテーマにしていたのかがようやくわかったのである。これは無意識下の選択の物語なのだ。そして無意識であれ、選択したことには理由があり、その結果は選択した本人が引き受けねばならないのだ。ところがその歪みを、狂気を、彩藤アザミは未熟な青春と両立してみせた。
 彼らふたりの間にある、泣きたいほど美しい歪み。誰しもが笑顔の下に隠し持つ、切ない狂気。何度もゾクリとさせられ、なのに読み終わったときには、物語がきらめいて見えた。
 一筋縄ではいかない、異色の青春ミステリである。美しくて、切なくて、痛々しい。恐ろしくて、狂っていて、毒々しい。そんなすべての要素をきらめくガラスで覆った――それが『エナメル』の物語なのである。


 (おおや・ひろこ 書評家)

最新の書評

ページの先頭へ