書評

2023年1月号掲載

今月の新潮文庫 特別編 尾崎世界観・千早茜『犬も食わない』

間違えた先で出会ったふたり

大前粟生

対象書籍名:『犬も食わない』(新潮文庫)
対象著者:尾崎世界観・千早茜
対象書籍ISBN:978-4-10-104451-4

 尾崎世界観と千早茜の共作小説『犬も食わない』では、間違えた先で出会ったふたりの男女が、間違った果てに行き着く生活が描かれる。
 派遣の秘書として働く福と、廃棄物処理業者の作業員として働く大輔。ふたりの出会いは最悪だった。大輔はスーツ姿の福と自分の境遇を比べ、世間へのちょっとした復讐のようなつもりで、わざと彼女とその上司にぶつかり、尻餅をつかせる。福はというと、そんな大輔にブチギレるのだが、読んでいてひいてしまうくらい口が悪い。それに対して大輔も、「よく吠える犬ですね」と彼女とその上司に放つのだ。
 最悪な出会いをした福と大輔だが、どうしてか肉体関係を持ってしまい、なりゆきに任せるように福の部屋で共に暮らし始める。
 そしてその暮らしは、相手への恋愛感情ではなく、自己満足や惰性によって成り立っている。というより、恋愛や愛のようなものの中にある自己満足や惰性に焦点を当てたのが『犬も食わない』という小説なのだ。
 ふたりの関係にあるこの惰性の部分、「気づいたらそうなってしまった」とでもいうべき部分をより体現するのが、尾崎が描く大輔という男だ。
 千早が描く福は、口が悪いがなんだかんだ世話焼きだ。大輔はそんな福に世話を焼いてもらってばかりいる。一見するとふたりは「ダメ男と彼から離れられない女」というステレオタイプな男女関係にあてはまる。それは間違いではないのだが、不平不満を口にし、行動原理がわかりやすいとも言える福とは対照的に、福のことが好きでもないようなのに共に暮らす大輔は、どこか不気味だ。
 物語の序盤、福と出会った当初の大輔もまた彼女に負けず劣らず口が悪い。福に誘われて赴いた写真家とミニマリストのイベント、その打ち上げの席ではミニマリストに対して「捨てる事で飯食ってるんだろ。じゃあ死ねよ。もう命を捨てろ」と放ったり、カメラマンの“世界観”に対して腐したりする。ルサンチマンとでも言うべき大輔のまなざしは、人に対してだけでなく目の前の景色にも向けられる。たとえば、イベントの会場である複合型商業施設や打ち上げの会場、それらが醸し出す価値観に対しても彼は辛辣だ。少しメタ的な見方になるが、大輔が語り手として執拗な描写をするということ自体に、彼の不安や苛立ちが潜んでいる。つまり、彼が描写をすること自体に必然性があるのだ。
 そんな大輔は、物語が進むにつれて微妙な変化を見せていく。
 福の部屋に転がり込み、働きに出ているとはいえ、生活のほとんどを福に依存する大輔だが、そのことによって彼自身の虚無さが浮き彫りになっていく。ダメさ加減に拍車がかかるのだ。福の言葉を借りると、「大輔はちょっと犬みたいだね。ごろごろしながら私の帰りを待って、私の作ったものを食べて、私の横で寝て、たまにくっついてきたりする。なんにもしてくれない。言葉も約束もくれない」
 身の回りの全てに向いていたはずの大輔の恨みめいたものは、福といる生活の中で徐々に身を潜めていく。その代わりか、どうあっても今の楽な生活を維持したい、という大輔の利己的な部分、というか生存本能のようなものが表に出てくる。大輔は、福から別れ話を切り出された際、今の生活を捨てたくなくて咄嗟にある嘘をつく。そして福は、大輔にそう言われたことで、うやむやのうちに元の生活を続けてしまう。
 きっと福にとって大輔は、短所がそのまま可愛さになってしまう人間なのだ。「可愛い」という言葉の通り、大輔の短所は“愛することが可能”な部分として働く。そのことを彼自身はっきりわかっているから、大輔の可愛さは、ふたりを繋ぐ鎖になる。
 ふたりの関係は大輔がそのダメさでもってコントロールしているようにも思えてくるが、どうもそうではない。関係の鎖が張り詰めたり緩んだりするのは、どちらか一方のためではない。
「いっそ注文して一杯飲んでみようかと思うけれど、恥ずかしさが上回ってできない。周りの目がいっせいに集まって、こいつ一人で来てるなと思われるのは嫌だ」
 物語の終盤、ひとりで野球観戦にきた大輔の心情だ。さりげなく描かれるこの部分を読んだ時ハッとさせられた。この恥の意識は、元々は、秘書として常に振る舞いを意識せざるを得ない福が持っていたものではなかったか? 福と暮らすうちに、彼女の考え方を大輔が取り込んだということではないか。
 福と大輔は、そうやって確かに関係し合っているのに、怒鳴り合い、肝心なことは言えないままでいる。とりわけ大輔は顕著だ。
 言葉にできない、その不安を福との生活が埋めてくれていて、そのことを含めて福にこそ気持ちを伝えないといけないのに、福がいるからこそ、言葉を投げ入れるための自身の空白に気づいていても、声にまではできない。吠えるばかりのふたりの生活なのである。


 (おおまえ・あお 作家)

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