書評

2023年4月号掲載

「なまの暮らし」をおいしく包み込んだルポ

室橋裕和『北関東の異界 エスニック国道354号線―絶品メシとリアル日本―』

藤岡みなみ

対象書籍名:『北関東の異界 エスニック国道354号線―絶品メシとリアル日本―』
対象著者:室橋裕和
対象書籍ISBN:978-4-10-354981-9

 そろそろ次のステップに進みたい。旅が好きで、日本の中でも異文化を求めてあちこち巡ってきた。高円寺のインド料理店、新大久保のアジア食材店、群馬のブラジルスーパー。訪れる度に「日本にいるのに外国にいるみたい!」「こんな食材信じられない、面白い!」と無邪気にはしゃいだ。違いに興味を持つことは、排除することよりは何倍もいいかもしれない。しかし最近、自分の異文化の面白がり方に嫌気がさしてきた。外国の文化は私を楽しませるためのコンテンツではない。そこにはいつも生活が、人生がある。自分と同じように普通で特別な、なまの暮らしだ。
『北関東の異界 エスニック国道354号線』は、海外からやってきた人々の日本での生活を外側から消費するのではなく、出会いも葛藤も丁寧にすくい上げようとする本だ。北関東は海外からの移住者が特に多く、人口の一割を超える地域もある。彼らはなぜ日本にやってきて、その地域に根付いたのか。そこにひとことで言えるような理由は存在しない。それぞれに切実な事情があり、勇敢なドラマがあり、具体的なキーパーソンがいる。
 まず、移住の背景には幾重もの歴史のレイヤーが存在している。南米に渡った日系移民の子孫が日本に移り住む。ロヒンギャの人々が迫害を逃れてやってくる。戦争、国家破綻、バブル、リーマンショック。世界情勢は複雑に絡み合い、互いに影響しあっている。入管法の改正や技能実習生制度など、システムが変わることがきっかけで職を得たり失ったりすることもある。大きな変化に一番先に振り回されるのは、いつだって社会の中で弱い立場にいる民衆だ。製造や生産の現場で労働力が必要とされた北関東に、さまざまな社会の荒波に揉まれた人々が集まった。新型コロナやロシアによるウクライナ侵攻の影響もあり、現在進行形で世界は変化し続けている。
 日本の高齢化が進む中で、農業や建築業、介護職でも外国人が活躍している。外国人労働者が日本社会を支えている一方で、軋轢(あつれき)や差別は絶えない。文化のはざまで孤独を感じる子どもたちも多く存在する。出入国在留管理庁での死亡事件も、社会のムードと無関係とは言えないだろう。もう、「異文化って面白いね」で済ませている場合ではない。
 嬉しいのは著者の室橋裕和さんのフラットな視点だ。十年間タイに住んでいたという室橋さんは、その経験から時おり移住者の立場を反転させて読者に示してくれる。「僕もタイに暮らしていたときに『なぜバンコクのスクンビット通りのプロンポン地区に日本人が多いのか』とタイ人に不思議がられたものの答えられなかった」。日本では日本で生まれ育った日本人がマジョリティだから、自分たちが何か強い立場であると勘違いしてしまいそうになることがある。でも多数派の立場にいるのはたまたまそう生まれただけだし、一歩外に出れば私も誰かにとってのよそ者なのだ。
 日本政府が船賃や移民会社手数料を支給するなど、国策としてブラジルへの移住が推し進められていたのはわずか百年ほど前のこと。芥川賞の第一回受賞作は石川達三の『蒼氓(そうぼう)』で、貧しさにあえぐ日本人がブラジル移民として渡伯する姿が描かれている。そして今、円安や不況の影響からオーストラリアなどに出稼ぎに行く若者がじわじわと増えていると聞く。私も日本の閉塞感を案じ、シンガポールやカナダに住んでみたいなと妄想することがある。移民とは決して特別な人々のことではない。また、常に変わり続ける世の中で、この先絶対に難民になる可能性がない人など世界中どこにもいない。
 読んでいるだけで胸が苦しくなるような逆境や、ロマンあふれるビジネスの話のあいだに差し込まれるのは、取材で出会った人々と食卓を囲むシーンだ。見たことも聞いたこともない、だけど確実に美味しいということが伝わってくる多種多様な料理たち。ページの隙間から湯気とスパイスの香りが立ちのぼる。孤独を感じる時、希望が見えない時、人々はいつも美味しいご飯で心とお腹を満たしてきた。北関東で築きあげられたカラフルなコミュニティにするりと入り込み、いつも食べな食べなと料理をすすめられている室橋さん。なんだかこちらまで異文化のあたたかい食卓に招かれた気持ちになる。食を共にすることで人生が混ざり合い、違いを超えて人間同士になっていくようにも見えた。好奇心と胃袋が交互に刺激され、読み終わる頃にはすっかりお腹がすいていた。


 (ふじおか・みなみ 文筆家/ラジオパーソナリティ)

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