書評

2023年8月号掲載

春画ール『春画の穴―あなたの知らない「奥の奥」―』刊行記念特集

私がどうしても「江戸をやめられない」理由

春画ール

対象書籍名:『春画の穴―あなたの知らない「奥の奥」―』
対象著者:春画ール
対象書籍ISBN:978-4-10-355171-3

 何千もの落札履歴のある顔の見えない強者と、インターネットオークションで壮絶な闘いをして手に入れた春画たち。初めての春画は夏の賞与で買ったっけな。家に届くたびに幸福感に満たされ、「わたしは絶対に売らないし、この作品たちが存在したことを後世に伝えていくから」と版元や絵師に誓ってきたわけですが、まさか『波』の表紙を飾るなんて、世の中、何が起こるかわからない。
 今回掲載した作品のほとんどは江戸期に制作されたものです。表紙の下部に大きく配置された春画は、明和~安永期(1764~1781年)に描かれたと考えられる月岡派の断簡。肉筆春画で、肌の下の血色感まで楽しめます。大人の都合でお見せできない性器の部分には、膠(にかわ)が使用されており、淫水がきらきらと輝いています。『春画の穴』では、こういった春画をご紹介しながら、絵に秘められた当時の人々の心性を探っています。
 月岡派の春画に描かれている二人は実は遊女と客の間柄。遊郭文化の面白さを綴った面白い古典がありますので、ご紹介します。延宝五(1677)年刊行の『たきつけ草』というお話です。
 島原遊郭の近くを主人公が歩いていると、前を歩く三十歳くらいの男と五十歳くらいの親仁風の男が話しているのが耳に入ります。若い方が「遊女は嘘偽りが多い」「金銀になびく」という世間の遊女のイメージをどう思うか尋ねます。主人公は興味を持ち、盗み聞いているうちに、親仁は遊郭での遊びの世界の面白さを語ります……。
 家の用事は適当にごまかし、遊里駕籠屋まで行き「今は何時だろう、駕籠を急いでくれ」と言い、駕籠のすだれを下ろした中で「早く、早く……」と思うのも面白い。もっと早く走れぬか、といらいらしているうちに大宮通りの角の馬宿のあたりにくると、島原が近づいてきた嬉しさ、これまた面白い。丹波口の茶屋に駕籠を担ぎ入れ、鬢(びん)を整え帯を直して心を落ち着かせているときの趣は、本当に嬉しい気分となる。人目を忍ぶ編笠を深く被り、島原の家並みを見た時の嬉しさは今更言うまでもない。
 揚屋町に入り、行きつけの揚屋の敷居を越えるや否や、華やかな声で「ようこそ、いらっしゃいました!」と言われるのも面白い。二階へ上がり、編笠を脱いだりしていると、揚屋の人が盃を持って出てくるのも、まず悪くない。そして「お馴染みのところへ知らせなさい」という声が、忍んでいるようだが、ほのかに聞こえるのも嬉しい。女主人などが出てきて「お肴は何がよろしい?」と座を取り持つ風情もその場にふさわしい。しばらくして、いつもの部屋のほうで衣がすれる音がして、彼女だと断定はできないが、箱梯子を踏んで上がってくる足音が聞こえてくると、胸がどきんとする。そして、優雅に着た衣装の肩の辺りが脱げそうになっているところに、真っ白に透き通った肌が見え、帯が外れそうになるのもかまわずに出て来る彼女と目が合うと、もう、まぶしくて目がつぶれるばかり。
「盃が空だよ」と彼女に伝え、細い手首にそっと触れると、糸萩(いとはぎ)の露ほどに軽いはずの酒を、重たそうに盃に受けるのは、愛嬌に富んで風情がある。床に入っていると、遅からず早からずのタイミングで彼女が来てくれるのも嬉しい。それから、部屋で二人きりになり、しばらく会いに来れなかった言い訳を、どう言おうかと気もそぞろになっていると、彼女がそれを察してか、落ち着いた様子で若やいだ風情で打ち解けてきてくれる嬉しさ、これ以上の面白さはない。彼女がねんごろに将来の約束をしたいなんて言うので、あらゆる神の名に誓い、もし約束をやぶったら、「地獄の釜へ投げ込まれても~……!」などと子どものようにじゃれて指切りをするのも嬉しい。帯などを解いて、ゆっくり身を寄せてくると、なんとも言えない良い香りがし……そのあとは……もう、このまま死んでしまいたいくらいの気持ち良さ……(笑)。
 日暮れ時、ひんやりとした着物を身に着け、大門まで彼女が送ってくれるのも風情があって、名残惜しい。帰りがけ、心はまだ彼女のもとにあるものの、身体は駕籠のなか。家の様子はどうなっているのか気遣わないといけない心苦しさ、その嫌な気分は何とも言えない……。
 そこまで聞いているうちに、二人の男は分かれ道の辺りで、すっと消えてしまい、見失ってしまった。どこへ行ってしまったのか、もう、わからない。
 この物語を読んだ後、遊郭のこまやかな情景と、遊女に会いに行く男性の心の内が生々しく脳内に飛び込んできて、まるで300年以上前を生きた江戸期の人と心が通ってしまった気分になり、気持ちの整理がつかず、しばらく口を押えて絶句していました。そして、この世にはまだわたしの知らない春画や物語が山ほどあるんだと、改めて人生をかけた性文化を探す終わりなき冒険に胸がときめきました。
 これだから江戸は、やめられねえッ!


 (しゅんがーる 春画ウォッチャー)

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