書評

2023年10月号掲載

現代織り込み、自在に広がる作家の筆

瀬戸内寂聴『ふしだら・さくら』

内藤麻里子

対象書籍名:『ふしだら・さくら』
対象著者:瀬戸内寂聴
対象書籍ISBN:978-4-10-311230-3

 異色の作品集である。ちょっと不思議なファンタジー風味の短編三作と、現代小説の中編一作という取り合わせは新鮮だ。しかも、老い、家庭内暴力、毒親、メンヘラなど現代が抱える問題を巧みに織り込んでいる。四作はいずれも2000年以降に発表されたもので、執筆は七十七歳から、九十八歳にかけて。その年齢になっても社会を見つめ、人間というものをさらりと描き出す。さすがとうなるほかない。
「書くことがいくらでもあふれてくる」(『私解説』)と言うこの作家は、長編小説から短編小説まで、さまざまな意匠を凝らして書き尽くしてきた。実は本書の収録作がファンタジー風味と言い、現代小説と言っても、本当は驚くことではないのだ。それでもなお、社会問題に目配りしている姿勢にはつくづく感服させられる。四作中三作は『瀬戸内寂聴全集』(新潮社)に収録されているが、すべて単行本として刊行されるのは初である。
 発表した媒体が面白いのは四作目の「ふしだら」だ。電子書籍として配信された。瀬戸内は新しいもの、楽しいことが大好きで、携帯電話が普及するや入手してメールやチャットを楽しんだ。ケータイ小説が大ヒットしていることを知るや、名を秘して「ぱーぷる」のペンネームでケータイ小説『あしたの虹』(2008年刊)を書いてもいる。電子書籍が登場すると、「活版印刷が発明されて以来の革命」と評価し、本作を提供した。
 電子書籍という新しい媒体を意識したと思うのだが、「ふしだら」はいくつかの男と女の形を描く現代小説である。主軸は妻子ある売れっ子エッセイストが、若い女に翻弄されていく過程だ。この男の長女は今時の若者らしく自覚的に遊ぶし、浮気相手は出会った時は家出少女だった。クールな長女、耐える妻、壊れていく男――。現代版「火宅の人」という感じの物語であるが、これは瀬戸内が自家薬籠中のものとするテーマだ。これぞ瀬戸内という余裕の展開に、男女間のディテールに妙味があり、どうしようもない男がたどりついた夫婦の一つの境地まで描いてみせる。最後の幕切れの場面は、何とも言えない余韻が漂う。
 冒頭に収録されている「記憶」は、華麗な過去がある高齢の高木充子が主人公だ。今や社会との縁も切れ、老人としての生活があるばかり。ケアセンターに見守られながら、「死んでしまいたい」と思ったり、過去に浸ったりする日々だ。バツ二の充子は二人の夫との性的な記憶を掘り起こしもするのだが、滑稽さもまじる官能をつづったこの個所は読みどころの一つだろう。そんなある日、誰が送ってきたか心当たりのない手紙が届く。しかし書かれている内容には心当たりがないでもない。本作は老人問題を書いているのである。なにか手紙が認知症到来の暗喩にも見えてきて、底冷えのする怖さすら感じる。
 二作目「さくら」は、「ガソリン臭さ」「レイプ」などの言葉が並んで不穏に幕が開く。とても普通とは言えない生活を送る少年が、編み物をする老婆に出会って現実と非現実のあわいでたゆたい始める。徐々に家庭内暴力などこの少年の抱える事情が判明し、さまざまな原因があって徹底的に傷ついた少年の困惑、諦め、疲れが全体を覆う。老婆は問い詰めず、叱らず、励ますこともなくただ少年にあることを勧める。とてもささいなことだが、これがつかの間でも救いになればと祈らずにいられない。
 この老婆の他に、ろくな食事をしない少年に握り飯を差し入れてくれる近所の「おばさん」も登場する。昨今、犯罪者の中には道を誤ったきっかけの一つに、大好きだった祖父母の死があったという話をニュースで耳にすることがある。少年と祖父母世代にやり取りさせた本作は、若者と高齢者の取り合わせに生じる効果を実感として知っているからこそ、この設定になったのではあるまいか。
 九十八歳で描いたのが三作目の「めぐりあい」である。人物設定に一番瀬戸内本人の影を感じる。主人公、三谷綾の「三谷」姓は、父が養子縁組で瀬戸内姓になる前の旧姓であるし、「取材にテープ類の機械は一切持たない主義」や、若いころ出版社に勤めた経歴も重なる。本作を発表したのは亡くなる約一年前。設定を自分に借りて、虚構の翼を羽ばたかせた。衝撃の終幕まで、奇縁を滑らかに語る。
 瀬戸内から「何を書いても小説になる」と聞いたのは、九十歳を超えた頃だった。ついにはそんな境地に到達する作家の自由な業(わざ)を味わえる一冊と言えよう。


 (ないとう・まりこ 文芸ジャーナリスト)

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