書評

2026年6月号掲載

明治神宮の百年 そしてバトンは渡された

今泉宜子『明治神宮―「伝統」を創った大プロジェクト―』

今泉宜子

対象書籍名:『明治神宮―「伝統」を創った大プロジェクト―』(新潮選書)
対象著者:今泉宜子
対象書籍ISBN:978-4-10-603723-8

 2020年11月1日、明治神宮はコロナ禍に鎮座百年祭を迎えた。代々木に広がる鎮守の森は、明治天皇と皇后を祀る神社として、1920年に誕生した。今では天然林のように鬱蒼と繁るこの森は、植林によってつくられた人工の森だ。現在、賑わいが戻った境内には、外国人参拝者の姿も目立つ。また近年は、外務省や大使館・学術機関などから表敬参拝や日本文化研修の受入れ依頼も多く、筆者が所属する研究所がこれに対応している。百年の森は今、世界に開かれた日本の窓として確かな役割を果たしている。実は、このことは百年前に明治神宮を造営した人々の願いでもあった。
 拙著『明治神宮―「伝統」を創った大プロジェクト―』は、当初「明治神宮造営者たちの西洋体験」をテーマに執筆を始めた。実業家渋沢栄一、林学者本多静六、建築家伊東忠太……。激動の「明治」を生き、明治神宮をつくった主要人物は、その多くが海を渡り、内と外から日本を知ろうと先駆けた国際人だった。近代日本を象徴する明治天皇の神社はいかにあるべきか。明治神宮造営で直面したのは、まさに「日本とは何か」という問いだった。彼らには、明治神宮に世界のなかの日本を代表する姿を実現しようという気概があった。例えば、ミュンヘンで林学を学んだ本多静六は、東京に新しい鎮守の森をつくるという難題に挑み、十万本の木を植え百年かけて永遠の森を育てるという壮大な計画の実現に至った。さらに明治神宮で経験した林学者たちの試行錯誤は、森だけでなく新しい学問の誕生にもつながった。思えば昨年12月、この森で日本造園学会創立百年を記念するシンポジウムが開催されたのは意義深いことだった。テーマは「百年前の先達のバトンを次の百年につないでゆくために」。この森は今、造園学発祥の地として先駆者の精神を継承する場ともなっている。
 明治神宮の森づくりは人づくりの営みでもあった。造営にあたり全国から延べ十一万人に及ぶ青年団の勤労奉仕があったことはよく知られている。何よりこの奉仕事業が、青年育成を目的とした宿泊型講習として実施されたことは特筆に値する。企画したのは「青年団の父」田澤義鋪。その田澤先生と奉仕青年たちが「一人一円」の募金運動を実施し、外苑の一角に建設したのが「日本青年館」だ。2021年、世紀を超えて若者を育んできたこの全国青年団の拠点もまた、設立百周年を迎えた。今、筆者のもとには、かつての造営奉仕青年の孫の世代から、祖父の記録を尋ねる便りが寄せられている。青年から青年へとバトンをつなぐのも、明治神宮の役割であろう。
 今年の秋も百年のバトンリレーが一つ控えている。明治神宮外苑創建百周年だ。外苑は、渋沢栄一をはじめとする在京有志が設立した明治神宮奉賛会が全国から資金を募って造営し、百年前の1926年10月に明治神宮に奉献された。国費で造営が決まった鎮守の森(内苑)に対し、文化・スポーツ施設を備え人々が優遊と集う外苑を民間の力で建設し、内外苑が一体となった明治神宮をつくりたい。渋沢たちには外苑奉賛運動を通じて、新しい都の東京をパリやロンドンに匹敵する美しい首都に発展させたいという思いがあった。
 その奉賛会が外苑の中心施設として計画したのが、銀杏並木の奥に建つ聖徳記念絵画館であることは余り知られていない。幕末明治の歴史を描いた巨大壁画八十点を展示する、わが国最初期の美術館だ。1916年春、奉賛会副会長の阪谷芳郎は絵画館構想を世に訴えて次のように語った。「其内に這ママつて拝見すると、先帝が如何に艱難辛苦を遊ばして明治の事業が出来たのであるかと云ふことが分る。日本は今一等国とか言つて世界に誇つて居るけれ共、今日の日本の地位は如何なる御艱難辛苦から出来たのであるかと云ふ事を、今後の日本国民によく記憶せしめ永く其御恩を忘れしめぬやうに聖ママ記念絵画館を造ると云ふ事に成つて居ります」。後世の人々に自らが拠って立つ歴史の成り立ちを継承することは、渋沢たちが外苑に託した大きな使命の一つだった。先の時代の如何なる艱難辛苦のすえに、私たちの今が成り立っているのか。そのことを教えてくれるのが聖徳記念絵画館だ。筆者は今、外苑創建百周年を記念して絵画館の特別展を開催し、壁画で全国を結び、歴史をつなぐべく準備に奔走している。
 百年から次の百年へ。そしてバトンは渡された。

(いまいずみ・よしこ 明治神宮国際神道文化研究所主任研究員)

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