対談・鼎談

2013年2月号掲載

都築響一『ヒップホップの詩人たち』刊行記念

新しいリリックが生まれる場所

都築響一 × 大根仁

対象書籍名:『ヒップホップの詩人たち』
対象著者:都築響一
対象書籍ISBN:978-4-10-301432-4

なんでこの連載はじめたんですか?!

大根 まず僕が興味をもったのが……、都築さん、なんでこの連載をはじめたんですか(笑)。

都築 それ、よく言われるんです。ここのところずっと「老人モノ」の連載が多かったですから(笑)。もともとヒップホップは、『POPEYE』でニューヨーク取材をしていたときに出会って、アメリカのものはずっと聴いてたんです。でも日本語だと、たとえばスチャダラパーとか出てきたときに、あんまりピンとこなくて、ハマらなかったんです。

大根 僕はスチャは、初めからすごくハマったんです。スチャって、僕ら日本人の出自は、黒人がゲットーからでてきたようなところとはそもそも違うんだという、彼らなりの答えを最初から出してたと思うんですよ。

都築 逆にそういうアメリカのラップと違うところに、僕はなじめなかったのかもしれない。だから日本語ラップを真剣に聴きだしたのはずっと後で、『夜露死苦現代詩』のときにヒップホップをなんとか入れたいと思ったのがきっかけ。だけど、とにかく情報がなかった! 雑誌も1誌ぐらいあるだけで、まわりに聴いてるひともいないし、ラジオでもぜんぜんかからないし、もちろん世代も違うし。それで行き当たりばったりに、とにかくやたらCDを買って聴くようになったんです。それが6~7年前。

大根 その頃って、Zeebraとかハードコア系HIPHOPのブームがちょうどおさまった頃ですよね。

都築 そうですね、だからおもしろい曲を探すのに苦労しました。ただ、THA BLUE HERBが出てきたり、東京から地方へムーブメントが移ったころで、なにかありそうっていう感じがして……。

大根 UMB(ULTIMATE MC BATTLE)とかが、ちょっと盛り上がりだしたころですか。

都築 そうそう。UMBも、ほとんど前知識なしに行ったら、すごくひとが来ててめちゃくちゃ驚きました。チプルソは、そのとき偶然買ったCDがよくて取材したんです。

大根 現場にいかなきゃわからないカルチャーですよね。

都築 そうなんです。あと現場といえば、僕は仕事で地方に行くことが多いんだけど、夜中にコンビニなんか行くと、止まってる車でかかってる曲はやっぱりヒップホップ。でもそれがラジオやテレビにはまったく反映されないんですよね。

大根 たしかに地方と東京の温度差ってありますよね。僕は作り手でありながら受け手側でありたいっていうのが常にあって、音楽だったらリスナー目線にいたいってのがあるんですが、地方にロケなんかにいくと、県道ミュージックっていうか国道ミュージックっていうか、地方の子が実際に聴いてる音楽が、メインのマーケットとはまったく違うところにあるのがわかります。

都築 実際にみんなが聴いてる曲とメディアが聴かせたい曲は違うっていう。僕はそれこそが、まさにヒップホップだと思ったんです。

ヤンキー文化が生み出した音楽

都築 ところで、大根さんも地方出身じゃないですよね。

大根 はい、もともと出身は国立なんですけど、幼稚園にあがるころに千葉の船橋に引っ越して。船橋ってのは、全部あるけどなんにもないっていうお手本のような、東京でもない、かといって田舎でもない、中途半端な感覚の街なんです。

都築 暴走族文化って、ありました?

大根 もちろん。千葉はヤンキー・カルチャーが凄くて、2つ上ぐらいがいちばんひどかった。僕らはその世代がひどすぎたんで、どん引きした世代っていうか。学校行ったら窓ガラス全部なくて、冬場はマジ寒くてしょうがないみたいな(笑)。

都築 僕は前々から、ヤンキー文化は現代日本の重要なファクターだと思ってるんだけど、ただ唯一、音楽だけは生み出さなかった。それが、だいぶ遅れてようやく生み出したのがヒップホップだと思うんです。インタビューを続けてると、みんなヤンキーっていうか……。

大根 主に序盤にでてくるひとはほとんどそうですよね。鑑別所とか少年院の中で聴いたZeebraがきっかけでヒップホップに目覚めたっていう話も出てきましたけど、それこそまさにヤンキー・カルチャーが生み出した音楽っていうか。

都築 形の変わったヤンキー・スピリットが、そういうところに残っている。

大根 それにみんな、あんまり東京志向がないですよね。それがこれまでとは違うなって。

都築 反東京といってもいいぐらいですよね。いちど東京に来たけど、帰ったひともいるし。

大根 でも地元で小さくやりたいってわけじゃなくて、情報を遮断することで、よりピュアでありたいというか。

都築 千葉って、アンチ東京みたいな感じはあったんですか。

大根 やっぱりヤンキーは地元意識、強かったですね。僕はそれがイヤで、学校終わると東京まですぐ出たりしてたんですが。でも改めて思うと、あの育った環境があるからわかることも多いというか。

都築 その頃、聴いてた音楽は?

大根 ちょうど高校のころに『宝島』が出てきて、いわゆるインディーズブームがはじけたころだったので、ナゴムとか。入口は小学校高学年のときに聞いたRCサクセションですね。

都築 やっぱり心ある若者はそっちにいったのか(笑)。じゃあ、ヒップホップを聞いたのは、ずっとあと?

大根 そうですね。僕、スチャと同じ世代なんですよ。だから宝島的なミクスチャー・カルチャーで育ってきた身としては、あのスチャの登場の仕方はすごく腑に落ちたっていうか。スチャは「さんピンCAMP」と対比にあった「LB Nation」をやっていて、あの感じはこれまでの日本の音楽シーンにないコミュニティー感だったし……。

都築 情報源ってなんだったんですか。

大根 普通に働いてたんで、知り合いから聞いたりとか。まだネットもなかったですし。メインは雑誌と、それからレコード屋のレコメンドのポップですかね。

都築 そのすごく限られた情報源に頼る感じは、昔から変わらないのかもしれません。ヒップホップを系統的にチェックしだしていちばん驚いたのが、とにかくなんの情報もないってこと! 本人たちもMySpaceとかやってるけど、ぜんぜん更新されない(笑)。だからいまだにレコード屋とか洋服屋においてあるフライヤーを見るしかないっていう。いまなんて、いちばんネット世代だし、いちばんそういうのに精通してるはずなのに。

大根 一方で、ネットを駆使してニコ動とかでスターになってる子もいるのに。

都築 そのあたりは見習ってほしいですが(笑)、でも自分の地方を大切にしてるから、東京にいるだけじゃ情報がわからないっていうのも大きい。

大根 それは確かに。この本の中にも何人も気になるアーティストがいて調べてみたんですけど、ぜんぜん情報がでてこない。YouTubeでPVとかはすぐに出てくるのに!

都築 すごい不思議ですよね。僕だったら、広報をこうやってとかすごい考えるけど、そういう考えがない。

大根 僕らの世代のちょっと下ぐらいまでだと、やっぱり東京がよしとされてて、表現をしたいヤツは東京にいかないと始まらないっていうのがルールとしてあるけど、そういうことがあてはまらない部分がありますよね。

都築 そうそう、そういう感覚はもうない。自分の地方にいてホーミーと呼ばれる友達がいるほうが、居心地いいに決まってるもん。あとは、かなり実家率が高いんですよ(笑)。

大根 だって、ひとり暮らしする必要ないですもんね。

都築 10代でやんちゃした分、地元で働きながら親孝行するぜっていう。歌の中味はぜんぜん違うんですが(笑)。

変わりゆくサバービア・カルチャー

大根 地方といえば、僕、地方のいまのムードを象徴するのがデリヘルだと思うんです。デリヘルって存在がものすごくカジュアルになっていて、女の子も「デリヘルやってます、で、実家暮らしです」って子がすごく多い!

都築 男の子もデリヘル運転手って多いですよね。

大根 そういったものに対する背徳心がだいぶ違ってるし、ふつうにちょっと稼ごうと思ったらデリヘルが手っ取り早いっていう。

都築 そういう20代から30代くらいまでの若い子たちの世界観って、大根さんの作品には如実に描かれてますよね。

大根 こんどやる『まほろ駅前番外地』っていうドラマは町田が舞台なんですけど、町田ってそのモデルケースにいちばん近い。町田の子たちって、ちょっと行けば新宿も横浜もあるのに、なぜか地元で服を買いたがるんですよ。

都築 典型的なザ・郊外ですよね。

大根 でも諦めてるってことじゃなくて、生まれつき不景気だから景気回復っていわれてもピンとこないし、みたいな。

都築 バブルがはじけてから生まれた世代ですもんね。水商売に入るっていっても、銀座で大儲けするって感じじゃなくて、デリヘルでひとり何千円かの稼ぎになればいいって世代。だから、小さい居心地良さを求めるっていうのがある。

大根 女の子も109系のギャル系のファッションで、一点豪華主義でバッグだけブランド物っていうのが多くて。あれどうなのって言うひともいるけど、僕はすごく好きで。いいじゃないですか、それぐらいの幸せ求めたって(笑)。

都築 そういう郊外カルチャーはけっこうリサーチしたんですか。

大根 リサーチというより、出身がそうなので、共通する部分があるっていうか。東京に対してもどこか客観的だし。

都築 船橋と町田って、東と西の大きな郊外都市ですよね。デパートがいっぱいあって、団地もばーっとあって。

大根 すっげぇ似てますね。僕の家のそばにも、前原団地っていう古い団地があって、そこが遊び場でした。

都築 この本の中でも団地出身のひと、多いんですよ。

大根 ヒップホップって始めやすいんですよ、きっと。楽器とかいらないし。だから団地でもできる。

都築 それはものすごく大きいですよね。もちろん練習は必要だけど、ギターなんかと違って、ちゃんとした音がでるまでに時間がかからないっていう。やろうと思ったら直結するんですよね。

日本史上いちばん筆まめな時代

大根 印象的だったエピソードが、どこかでみんな、本に出会うっていう! 何人かいましたよね、少年院のなかで読んだ太宰が、とか、宮沢賢治マストっすよね、みたいな(笑)。

都築 でもそこが本質をついてると思うんですよ。『夜露死苦現代詩』のときに、族詩を調べていてすごいなと思ったのが、他人のフレーズをパクるのがいちばんしちゃいけないってこと。つまり、みんながいちばん文学から遠いと思っていたひとたちが、いちばんオリジナルフレーズを考えているっていうこと。

大根 たしかに……。意外と僕ら世代は、文章を考えることに抵抗のある世代なのかもしれませんね。その下の携帯世代は、メールがありますもんね。

都築 しかもヒップホップは、韻を踏むことにこだわったりするわけじゃないですか。英語のラップより、日本語の韻のほうがぜんぜん難しいと思うんですよ。

大根 メール世代の特徴として、一個一個の文末がおもしろいっていうか、何をどういえばおもしろいかが自然に身についてる気がしますよね。「よ」で終わらせるのか、そこに「よん」って「ん」をつけるのか、さらにどの絵文字をつけるかみたいな。キャバ嬢の子からメールくると、すごいおもしろいですもん(笑)。

都築 そう考えると、いまって日本史上いちばん筆まめな時代ですよね。

大根 絶対、そうです(笑)!!

都築 昔は手紙を書くなんて異例なことだった。だから若者の文字離れとか大間違いですよね。

大根 ぜんぜん違いますよ。むしろ広がっている。

都築 だからこそ、新しいリリックが生まれたんじゃないかって気がします。

大根 もともとヒップホップはリリックの情報量が多いジャンルですけど、最近はより過剰になってきてるじゃないですか。でも、描いてる世界はすごく濃密になってる。

都築 うん。全員が刑務所に入ってたわけじゃもちろんないですが、じゃあ前の世代で刑務所出てから詩を書いた人がどれくらいいるのかっていう。たぶん書きたくても、書ける場所がなかったと思うんです。だからヒップホップは、なにかを書きたいって思う若い子たちにとって、すごく便利な受け皿なのかもしれません。

(つづき・きょういち 作家・編集者・写真家/おおね・ひとし 演出家・映画監督)

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