書評

2013年9月号掲載

時間を“最良の恋人”にする方法

――ラマ・スールヤ・ダス『人生を劇的に変える〈ブッダの時間〉』

生駒芳子

対象書籍名:『人生を劇的に変える〈ブッダの時間〉』
対象著者:ラマ・スールヤ・ダス著/ハーディング祥子訳
対象書籍ISBN:978-4-10-506511-9

 インターネットの出現以来、人類はかなり気短かになっている。PCを開いて、起動するのに時間がかかるだけでいらいらするし、メールの返事が1日、2日来ないだけでも絶望に陥り、カフェで注文したコーヒーがすぐ出てこないと「この店は、最悪!」ときれる。おおよそ世界中のお母さんたちの、子供達への決まり文句はこうだ。「もっと早くしなさい!」。この「時間がない」「もっと早く!」という“いらいら症候群”は、ストレスや病を生み、トラブルに繋がりかねない、人類の普遍的命題となっている。
 1950年ニューヨークに生まれ、20代前半にインドやヒマラヤにわたり、チベット仏教ニンマ派で修行し、僧となり、20年ぶりの1991年にアメリカに戻ってきた筆者は、まったく異なる時間の流れの中に身を置くこととなった。自然のリズムに寄り添い、電化製品やテクノロジー社会とは無縁の静謐なる世界で暮らしてきた彼が、いきなり、ファーストフード、ATM、電子レンジ、パソコンといった時間を節約するための機器、さらには“いらいら症候群”の人々に取り囲まれる環境に飛び込んだのだ。それはまさしく、浦島太郎的体験だったという。
 結論からいえば、時間と上手につきあう方法が説かれた、秀逸なる精神世界への案内本だ。基本は、仏教の教えに基づいているが、筆者の視野は広く、見識は驚くほど奥深い。キリスト教、世界各国の先住民の教えから、ギリシャ神話、武士道の精神性、さらには哲学者、細胞生物学者、医学博士の学説まで、洋の東西を問わず、領域も横断的に叡智がちりばめられている。「仏教」の枠を超えて解説することで、精神世界に普遍的に存在する哲学的摂理まで導きだしている。このいままでにない知的な視線が、従来からある宗教解説本とは一線を画している。
 対極にある2つの世界を行き来する体験を持つ彼だからこそ書けた、客観の目をもつ書物だといえる。宗教やスピリチュアルという主題を取り扱う書物で、この客観性や知性ほど、読者にとって、信頼を抱ける要素はない。
 また、日々、手軽に実践できる修行を提案している実用本的要素も、興味深い。朝夕に短時間の瞑想を行う。丁寧に呼吸する。一瞬の時間が、永遠の時間に繋がるという発想を持つ。小さな自分を捨てて、より高い自分に到達する。心の奥の声を聞く。無条件の愛の力を知る。無我を知る。などなど、日々の生活を特別に変えることなく、意識の持ち方を変えることや小さな修行を積み重ねることで、「時間の檻に閉じ込められるストレス」から解放されるという、今この瞬間から実践できる修行方法がわかりやすく解説されている。日々のストレスを解消する瞑想「ちょっと一息 わたしはわたしである」などといった具体的な効果をうたった瞑想法が数多く紹介され、段階を踏んで「今を気持ちよく生きる」秘訣を身につけられるよう解説されている。
 仏教では、自然にもともと備わっている魔法の力を「ドララ」と呼び、超自然的と思えるレベルまで研ぎすまされた知覚を「シッディ」と呼ぶ。また、ブッダが説いた悟りへといたる八つの正しい道は「八正道」、知恵をつかさどる男性の仏は「文殊菩薩」、女性の叡智を象徴する仏は「多羅菩薩」、などなど、スピリチュアル・マニアであれば、知っておきたい重要キーワード、名言が、全編にちりばめられている点も見逃せない。実際は私も、読みながら多くのメモをとってしまった。まさにスピリチュアル・バイブルと呼ぶにふさわしい一冊だ。
 ファッション、アートをテーマに活動してきた私だが、じつは一方で熱心なスピリチュアル・マニアでもある。30代でルドルフ・シュタイナーの神秘学、神智学の書物を読破し、前世療法、ホ・オポノポノからパワースポットまで、つねに探求し続けているが、精神世界の解説本、実践本として、本著ほど優れた視点と編集を感じさせ、楽しく学べた一冊は、いままでになかった。また密度濃いスケジュールをこなし、最近は“いらいら症候群”に陥り始めていた私にとって、書評を書くという仕事を通して本著を手にとることができたことは、人生において、たいへん仏教的な意味をもつ「大きな出会い」を感じさせてくれた。まさに、必要とする人のもとに、この本は届けられるのかもしれない。
 読み進むうちに、時間は「敵」ではなく「味方」であると思い始め、最後には「最良の恋人」になれそうだとまで思えた。人生を確実に「豊か」で「実りあるもの」へと導いてくれる一冊である。

 (いこま・よしこ ファッション・ジャーナリスト、アート・プロデューサー)

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