書評

2026年4月号掲載

「これは狡い!」と三度もつぶやいてしまった

松浦理英子『今度は異性愛』

蓮實重彦

対象書籍名:『今度は異性愛』
対象著者:松浦理英子
対象書籍ISBN:978-4-10-332722-6

 この作家が書くものなら何でもほぼ無条件に受け入れてしまうので批評家失格というほかはないが、いつものように息を殺してこの新作を読み始めるや否や、たちどころに「これは狡い!」と呟かされる。「狡い!」といっても、狡猾さだの老獪さだの悪賢さといった自己の優位を際立たせる振る舞いとは無縁の、ごくなだらかな語彙の連なりがいかにも的確かつ優雅ですらあるので、不意のその反応はむしろ誉め言葉と理解されたい。実際、この書物はごく几帳面に年、月、日が記された十八の日記からなっており、それを綴っているのは「一九五八年生まれ西日本育ちの私」である。肥満と痩身を繰り返している還暦すぎの「私」は複数の会社で働いてから「定年退職」したばかりで、本名は「宮内祐子」。ただ、在職中から「マニア向けの小説をインターネット上に発表」しており、そのほとんどは「男性同士の交情を官能を主調にして描いた小説」であり、「仲宮ゆう」をペンネームとしてそれなりの読者もついていた模様。「実生活では一応異性愛者として生きて」いるという「私」は、あるときいきなり「今度は異性愛」と呟き、読者の一人に「私が男女の小説を書くって言ったらどう思う?」とLINEで書き送ると、「一般小説ってことですか?」という問いが戻ってくる。二人にとって「一般小説とはマニア向けの官能作品以外の小説を指す」ものと書かれているが、この語彙に触れた瞬間、思わず「狡い!」と口走ってしまった。何の変哲もない二つの語彙の連なりにもかかわらず、何やら未知の世界がいきなり開示されるかに見えたからだ。この作品もそう定義されてもおかしくない環境が、ふと垣間見られたのである。
 二つ目の「狡い!」は、蜂の生態との係わりで口にされる。インターネットの記事で「ミツバチは蜜を集めて飛び回るだけではなく花の中に身を横たえて休むことがある、そして時には別のミツバチと二匹並んで眠る」と読んだ「私」は胸をつかれる思いがする。その頃、親が農業を経営しているある青年が、「私」の着ている衣服を見て「スズメバチみたいで怖い」と微笑んだという。「うちに泊まった翌朝は私の体からも土の匂いが立ち上るようだった」とも書かれているので、厚樹というその男と「私」が親しく交流していたと想像できるが、あるとき音信がふと途絶えてしまう。そこで自宅に電話してみると、「一箇月半前に死んだ」と母親から聞かされる。「農作業中にスズメバチに刺され」てのことだったという。その言葉を耳にした「私」は「七月の月命日に有給休暇を取ってお墓を訪ね」るべく複数の路線を乗り継ぎ、「山が見える町」でバスに乗り換え、「汗ばんだ肌に時おり吹く風を感じながら、しばらく墓前に佇んだ」と書かれている。蜂の記憶をふと遠ざける「汗ばんだ肌に……」という何の変哲もない一句を目にして、涙を堪えながら思わず「狡い!」と呟いたことはいうまでもない。
「私」の日記は、ある時期から執筆中の作品の草稿が異なる活字で印刷されることになるのだが、そこでの「私」はどうやら一人の異性と異国への旅に出ているらしい。「輸入雑貨店を営む睦哉が『買いつけのついでに久々に周遊旅行をするつもりなんだけど、一緒に行かないか?』と誘ってくれた時」、「私」が「二十二歳での初対面から」親しみを覚えていたその男の提案を受け入れたのだと読む者はあとから知らされる。やがて「調子が出て来たと思う」と日記に書く「私」は、「男同士の物を書いていた時は逆で、私の登場人物たちはさっさと性行為に至っていた」と書いておきながら、改めて「睦哉と『私』の仲がどうなるかはまだ見えて来ない」と結論づけているが、アジア圏と思われる異国の地で「共和国記念日のパレード」を見守っていた「私」は、「ヘリコプターと野鳥の偶然の共演も、見るのは初めてで、『いいね』と言おうと隣に目を向けると、睦哉は左方向から近づいて来る戦車を熱い眼差しで見つめていた」。そうか、「野鳥」の戯れから「戦車」へと何の脈絡もなく転換する。この語彙の不意の介入に思わず「狡い!」と呟いたのはいうまでもない。おそらく、作者は、創作においても日常生活の水準でも「戦車」と書いたり口にしたりする機会など間違ってもあるまい。その語彙をあえてここで書きつけて見せるのだから、いつの間にか『今度は異性愛』を書きあげてしまった松浦理英子は、まったくもって「狡い!」作家だというほかはない。

(はすみ・しげひこ 映画批評・文芸批評・作家)

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