書評

2018年5月号掲載

ほんとうのプロが作る料理とは

――須藤靖貴『満点レシピ 新総高校食物調理科』(新潮文庫)

上田淳子

対象書籍名:『満点レシピ 新総高校食物調理科』(新潮文庫)
対象著者:須藤靖貴
対象書籍ISBN:978-4-10-121391-0

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 この本は、埼玉県立新居山(にいやま)総合技術高校食物調理科の生徒すなわち、料理界の卵たち30人の1年間を描いた小説だ。モデルがあるのかどうかは知らないが、まるでほんとうの成長記録のように生徒たちの日々がリアルに描かれていく。
 人間関係のもつれも多少は見え隠れするものの、青春小説にありがちな恋の話も、大きな挫折も見当たらない。彼ら、彼女たちは料理に実直に向き合い、学び、成長していく。その日々は、きらきらと実に眩しく輝き、その姿は、じんわりと私たちの心の深いところにひびく。そんな小説なのだ。
 たとえば主人公の米崎君。いくら頑張っても包丁の技術テストでは毎回クラス最下位だ。くさる彼に担任は「苦手、不器用は言い訳。とことんやってどうしてもうまくできないときにしか使ってはいけない」という厳しい言葉を投げかける。
 そのほかにもクラス全員で取り組むレストラン授業。米崎君たちグループは、発注ミスからはじまる計画総崩れの中、料理を出すために、奔走する。周りの機転でなんとか大惨事は免れたものの、自分たちのふがいなさに涙をこぼす。
 そうそう、かつて私にも、そんな時代があったことを思い出す。料理界に身を置きたい一心で、足を踏み入れた調理師学校。今でこそ料理研究家として歩んでいるものの、どのように将来を描くのか、も見えないままに、一心不乱に目の前の課題に向き合った。ひたすら包丁を研ぐ。材料を寸分狂わず切る。フライパンに落とした油の動きで温度を感じ取る。時間と闘いながら仕上げる。何より毎日ピカピカに仕事場を掃除する。地味でストイックなのが料理の世界なのだと体で覚えつつも、華やかな表舞台とはほど遠い日々への不満がこぼれおち、当然叱られふてくされ、時に自分をふがいなく思い、でも毎日料理のそばに居られることが幸せだった。
 この小説に出会い、あの頃を思い出し、ふと思った。こんなにも迷わず進めるこの気持ちの原動力はなんなのだろう。やはり「好き」という思いなのだろう。でも、「好きだから」ですべて解決できるわけではない。思い通りにいかないときは気持ちが揺れる。それを乗り越えるために幾度となく本当に好きなのかと自問自答し、悩みぬき、そして気持ちを奮い立てまた前に進む。そんな、がっつり組み合ってとことん付き合う「好き」という思いこそ、丁寧に育んでいかねばならないとあらためて彼らに気づかされる。
 でもそれは考えてみると、道は違えど多くの大人が若かりしころ通ってきた道だ。だからたいていの大人は我が身に引きつけてこの小説をたまらなくいとおしく感じるだろう。
 本書は主人公たちの物語に沿いながら、食に携わる人たちの思いを垣間見ることができるのも楽しいところだ。今や、ネットでいくらでもレシピやその動画が手に入る時代である。料理は、きれいで目を引くことが必須要素となっている。そして誰かの真似をすれば、それなりの料理は出来上がる。言い方を変えれば、レシピさえあれば修業なしでもすぐに料理人や料理研究家になれる時代である。でも食物調理科の生徒たちが学び実践していることはそんな風潮とは真反対だ。配合でもない、手順でもないことこそが料理には必要不可欠であるということを彼らは伝えてくれている。ほんとうのプロが作る料理は、素材の力を100%引き出し、美味しくする技術と知恵を駆使するだけではない。何より、食べ手へのもてなしの気持ちと愛情あふれる一皿にしようとする決意がこもっているということ。志を持つ料理人は、日々この思いを胸に、包丁を握っているということを再確認させられる。
 出来上がった皿の上だけしか見えなくなっている昨今、料理の向こう側にいる作り手の姿を想像し、出来上がった一皿を心より楽しみたいと改めて思った。
 そう、この一冊は、青春小説である以上に、料理人の卵たちを通して、生き方の選択、仕事への向き合い方、味わいの生み出され方、などが楽しめる読み物なのだ。
 読み終えてふと思った。あの頃の自分がこの本を手に取っていたら、どんな感想を語るのだろう? 時間がたちすぎて当の本人でもその答えは見えない。ただ、もしあの頃に出会っていたなら、今この年になっても、心の友となる一冊になっていたに違いない。

 (うえだ・じゅんこ 料理研究家)

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