書評・エッセイ

2018年9月号掲載

私の心に『宇宙人の目』を開かせるのは

――村田沙耶香『地球星人』

小林エリカ

対象書籍名:『地球星人』
対象著者:村田沙耶香
対象書籍ISBN:978-4-10-125713-6

 村田沙耶香さんが次々と凄い作品を発表してゆくなかで、果たして「コンビニ人間」にまで辿り着いた後、いったいどんな作品が続くのだろう? というのは私だけでなく、おそらく多くの人たちも気にかかって仕方のなかったことではなかろうか。とはいえその新作を待つのは、あたかも銃弾が放たれるのを待つような気持ちでもあるのだけれど。なぜなら、村田さんの作品は、私の、私たちの、心の奥底にしまわれているおどろおどろしいものさえ、平気でまばゆい光の中にとりだしてみせるのだから。しかも、それはいつも、はい、どうぞ、と食べ物の皿を差し出すような、軽やかな調子なのだから。
 というわけで、私は「地球星人」を、息を呑んで捲ったのであった(そもそも、そのタイトルからして、人間の次に星人の規模できたか! なのだけれど)。
 おじいちゃんとおばあちゃんが住む、秋級(あきしな)の山を訪れるところから話ははじまる。毎年、夏のお盆の時を一緒に過ごす、奈月(なつき)といとこの由宇(ゆう)。奈月は小学三年生の時、自分が魔法少女であることを、由宇は自分が宇宙船から捨てられた宇宙人かもしれないことを告白し、正式な恋人になる約束を交わすのだ。田んぼの前に流れる小さな川で泳ぎ、すいこという食べられる草を千切って食べ、蚕の部屋を覗きこむ。
 一見ごくあたりまえの夏の日々を過ごす少女と少年が、それぞれの家族に抱く違和感や、その理由を見つけたいと願う気持ちは、まっすぐで切実だ。ただ、そんな気持ちを大人になってまで突き詰め続けたならば、私たちが生きるこの社会では、それは狂気そのものになる。
〈ここは巣の羅列であり、人間を作る工場でもある。私はこの街で、二種類の意味で道具だ。
 一つは、お勉強を頑張って、働く道具になること。
 一つは、女の子を頑張って、この街のための生殖器になること。
 私は多分、どちらの意味でも落ちこぼれなのだと思う。〉
 しかし、この物語では徹底的に、奈月の視点で、この現実の世界が描かれ続けるのだ。心の奥底では違和感を抱きながらも、私が、私たちが蓋をして、見ようとしないようにしてきた事柄が、次々、目の前に晒されてゆく。
 私たちのこの社会やこの生活が、「地球」とそこに暮らす「地球星人」の生態として描写されると、実のところ、私たちのあたりまえの方が、悉く滑稽でいびつで、狂気じみて見えてくる。
 けれど、この不条理を目の当たりにしながら、奈月は言うのだ。
〈「はやく、『地球星人の目』を手に入れたい。そうしたら、きっとすごく楽になれるのに」〉
 実際、私たちの社会では、違和感や疑問を抱いたりせずに、ただやりすごす方が、ずっと楽なのだ。この私たちの「工場」で役に立つ存在になり、「地球星人」としての成功を手に入れるために、努力し、競い合い、生きるほうが、ずっと簡単なのだ。
 だから、それを根本から問い、生きようとすることは、それを作品として描こうとすることは、あまりにも苛酷だ。
 奈月と由宇がその子供時代、結婚の約束をしながら誓った言葉が、胸に迫る。
〈なにがあってもいきのびること。〉
 けれど、その問いは、私たちひとりひとりの心の中に『宇宙人の目』を開かせる。それは、私の中に存在するあらゆる境界、あたりまえのこととして疑うことさえなかった因習や呪縛を、ひとつひとつ打ち砕いてくれる。だから、イナゴを食べて、さくさくとして甘い、というのと同じ調子で、人間の肉を味噌で茹でて食べようか、と話し合うことに、私は、恐怖しながらも、清々しささえ感じるのだ。
 魔法のステッキや昆虫食は、これまでの村田さんの作品にも登場するモチーフだ。それは、これまで掴んだものをしっかりと手に握りつつ、また新たなステージへと飛躍し、ふたたび作品をはじめてゆこうとする決意のように、私には見える。
「宇宙と同じ色」の「真っ暗な闇」にどこまでも果敢にその手を伸ばそうとするこの挑戦的な作品に、私は完全に心を撃ち抜かれた。

 (こばやし・えりか 作家)

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