書評

2018年9月号掲載

私が『出版禁止 死刑囚の歌』を編纂した理由

――長江俊和『出版禁止 死刑囚の歌』

伊尾木誉

対象書籍名:『出版禁止 死刑囚の歌』
対象著者:長江俊和
対象書籍ISBN:978-4-10-120743-8

 犯罪とは川の流れのようである。人と人とが無限につながりあう社会のなかで、犯罪も無数に発生し、複雑に連鎖している。一つの犯行を事件として切り取るのは容易(たやす)いが、それでは決して、その本質までとらえることはできまい。どんな事件でも背後には、人間によって生み出された、犯罪という名の大河が流れているのだ。
『出版禁止 死刑囚の歌』は、実際にあった事件を取材した記事やルポルタージュを編纂したものである。それらは、時代や書き手、テーマが異なっており、一見独立したものであるかのように思えるのだが、意外なところで関連していた。そこで、関係各所の承諾を得て、一冊の本として纏めさせてもらった。
 まず最初に取り上げたルポルタージュは、『流路』という総合月刊誌に掲載された、ある誘拐事件についての記事(「鬼畜の森――柏市・姉弟誘拐殺人事件――」2002年8月号)だ。今から二十五年前に起きた事件なので、覚えておられる方は少ないと思う。
 1993年2月7日、千葉県柏市に住む小椋克司(おぐら・かつじ)さんの長女、須美奈(すみな)ちゃん(当時六歳)と長男の亘(わたる)くん(当時四歳)の行方が分からなくなった。二人が失踪した翌日、望月辰郎(もちづき・たつろう)(当時四十三歳)というホームレスの男が派出所に出頭する。望月は、公園で遊んでいた須美奈ちゃんと亘くんを連れ出し、近くの雑木林で二人を殺害、遺体を雑木林の土中に埋めたと供述。「被告人には反省の様子もなく、人間性の片鱗すら感じることができない」として死刑が確定、2011年に執行された。
 ルポルタージュは、残酷な犯罪を行った望月辰郎元死刑囚の「見えない動機」に迫ったものだ。幼い姉弟を毒牙にかけた望月。彼は被害者家族とは縁もゆかりもないホームレスである。身代金の要求もなく、誘拐は金目的でもなかった。一体なぜ彼は、見ず知らずの幼い姉弟を殺害するに至ったのか? このルポは、その真相に肉薄した、迫真のドキュメントである。
 次に取り上げた記事は、短歌雑誌『季刊和歌』2012年春号に掲載されたものだ。「罪を詠む」と題されたその記事には、望月辰郎元死刑囚が詠んだという、六首の獄中歌が紹介されている。
血反吐吹く 雌雄(しゆう)果てたり 森の奥 白に滲むな 死色(しいろ)の赤よ
鬼と化す 経(へ)ては暗闇(くらやみ) 今もなお 割った鏡に 地獄うつりて
川面(かわも)浮く 衣(い)はなき花冠(かかん) 生(せい)の地を 発(た)つ子咎(とが)なき 流れては消え
耳すまし 三途(さんず)渡しの 音(ね)が愛(いと)し 真綿(まわた)死の色(しょく) 在世(ざいせ)死の毒(どく)
姉が伏(ふ)す 身鳴き身は息 蝋(ろう)少女 命に怒(おこ)れ 手よ烏(う)や雲に
暮れゆくも 薄く立つ霧 闇深き 妖花(ようか)に和(あ)える 呪い草(ぐさ)かな
 犯行の過程を、克明に描写した恐ろしい和歌である。雑誌が発売されるとすぐに、遺族が販売の中止を要請、回収騒ぎにまで発展した。『季刊和歌』2012年春号は、事実上の出版禁止処分となっている。
 さらに本書では、今から三年前に、向島で起こった一家殺傷事件についての記事も取り上げた。2015年4月、東京都墨田区向島のマンションの一室で起こった惨劇。何者かに家族が襲撃され、両親は死亡、一人娘も瀕死の状態で見つかった。三人の口のなかに押し込まれていた、くしゃくしゃに潰れた紙。それは、望月辰郎の鬼畜の和歌が書かれた短歌雑誌の記事だった。二十二年前の事件との符合。一家を襲ったのは誰なのか?
 複雑に絡み合う数々の事件。臨床心理学の研究者である私は、ある事情からこれらの事件に取り組むことになった。そして、全容を理解するために、事件について調査し、記事やルポを編纂したのである。
 最後に、本書を編纂して感じたことを述べる。二つの事件は氷山の一角に過ぎなかった。事件の背後にはやはり、人間のどす黒い悪意の奔流が、渦巻いていたのだ。私はその事実を知り、戦慄する。「悪魔」という言葉は人類の最大の発明だ。人の悪行を全て悪魔のせいにできるなら、これほど便利な言葉はない。
 (2018年8月11日記)

 (いおぎ・ほまれ 国立大学准教授/編纂者)

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