書評・エッセイ

2019年8月号掲載

「説明家橋本治」の真骨頂

橋本治『もう少し浄瑠璃を読もう』

内田樹

対象書籍名:『もう少し浄瑠璃を読もう』
対象著者:橋本治
対象書籍ISBN:978-4-10-406116-7

 橋本治さんが亡くなって半年になる。最初に『桃尻娘』を読んだ時に「この人についていこう」と決意して、以後全作品をフォローする気でいたのだが、途中で橋本さんの創作ペースに追いつけなくなってしまった。亡くなった後に、自宅の書棚に橋本さんの本が何冊あるか数えてみたら、125冊あった。それでも橋本さんが書かれた全著作の半分にも及ばない。ただ、自慢できるのは橋本ファンでもあまり読んでいる人のいない「分類不能」系著作(『アストロモモンガ』とか『シネマほらセット』とか)がちゃんと配架されていることである。
 浄瑠璃本は以前橋本さんからお送り頂いたけれど、読まずにいた。私は上方の人間のくせに、文楽劇場に行ったことが一度しかないという不調法ものなので敬遠していたのである。言い訳すると、それは文楽のせいではなく、私が「病的な出無精」だからである。映画にも演劇にも音楽会にもほとんど行かない。「ちょっと楽しい時間を過ごすためにふらっと外に出る」ということがどうしてもできないのである。一大勇気を奮い起こさないと外に出られない。
 でも、文楽とか歌舞伎とか能とかは、本来、そういうものであってはならないのではないかと思うのである。「雨の日曜だとすることないなあ。どや文楽行って、帰りに西天満で河豚でも食べよか」というような『細雪』的なカジュアルさにおいて鑑賞されるべきものであって、「よっしゃ」と気合を入れて行くようなものではないのではないか......と私は勝手に思い込んでいた。
 でも、この本を読んで「それでいいのだ」と思った。というのは、これはまさに私のような文楽劇場や歌舞伎座や能楽堂に行く暇や意欲には乏しいが、できれば古典芸能を理解し、それを享受できるようになりたいと願っている横着な読者のために書かれた本だったからである。そして、こういう仕事をさせたら橋本さんの右に出る人はいない。
 橋本さんはものごとを説明するのが本当に上手である。「橋本治って、要するにどういうところがすごいんですか?」と没後に橋本さんのことをあまりよく知らない人たちから何度か質問された。その時に「天才的に説明が上手い人です」と言ったら、だいたいの人は「はあ、そうですか」と納得してくれた。編み物の本も、三島由紀夫や小林秀雄についての評論も、浄瑠璃の本でも、橋本さんのスタンスは一貫して揺るがない。それは「よくわかっていない人にわからせてあげる」ということである。橋本さんがあれほど大量にものを書き続けたのは「どうして、世間のもの知りたちの説明は素人に対してあんなに不親切なんだろう」という苛立ちがあったからだと思う。自分にうまく説明できることがあれば、身を削っても、自分で説明するということを橋本さんは自分の「ミッション」として引き受けたのである。
 だから、例えば、並木宗輔作『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)』の説明において橋本さんは鮮やかな「説明の力業(tour de force)」を読者に披露してくれる。それはこの物語があまりに「変」だからである。どういう物語なのか「あらすじ」を書かないとどれくらい「変」であるのかはお伝えできないのだが、そこを飛ばして、無理を承知で橋本さんの文章だけを再録するとこんな具合である。
「どう考えても無茶な話で、すべての無茶の元凶は、平然とした顔で『敦盛を討たずに息子を身代わりに殺せ』という無茶な命令を下してしまう御大将源義経にあるのです。だから時として私は、『熊谷陣屋』を見ている内に、『なんだこいつは?』と思って義経が憎くなってしまうことがあります。
 どう考えても、義経の命令は無茶なのです。しかし『一谷嫩軍記』のドラマがこの義経の無茶な命令を前提にして出来上がっているのは、動かしようのない事実です。だから、『熊谷陣屋は名作だって言うけれど、一体どこが名作なの?』という疑問も生まれてしまうのです。
 一体どこが『名作』なのか? これを書いた並木宗輔のどこが『すごい』のか?
 並木宗輔のすごさは、実は『これこれしかじかの理由で』という説明をしないところにあります。」(強調は橋本)
 わかりにくい引用で申し訳ない。でも、橋本治のすごさは、その並木宗輔が「説明しない理由」をわれわれのような浄瑠璃のことなんか何にも知らない読者にも「なるほど」と膝を打ってしまうくらい鮮やかに説明し尽くしてしまうところにあるのである。「説明家橋本治」の真骨頂を本書でぜひ堪能して頂きたい。

 (うちだ・たつる 思想家)

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