書評

2020年3月号掲載

小説によって生かされる

黒川創『暗い林を抜けて』

平松洋子

対象書籍名:『暗い林を抜けて』
対象著者:黒川創
対象書籍ISBN:978-4-10-444410-6

 宙吊りにされた気分になることが、ときどきある。こうしていま自分は生の時間を刻んでいるけれど、死ぬまで生きて、死んで消えたら、それだけのこと。ただそれだけのこと――。
『暗い林を抜けて』は、ひとりの日本人の男が"ただそれだけのこと"を生きるありさまと意味を正面から問う長編小説である。歴史の時間のなかで、星の数ほど無数に交差する人間の営み。その痕跡が、黒川創にしか成し得ない小説手法によって肌理細かに描き出されてゆく。
 主人公、有馬章は大手通信社の文化部に勤務する記者。一九六五年生まれ、五二歳。五年前に早期大腸がんの診断を受け、開腹手術ののち復帰。会社に訴えかけて古巣の文化部に戻り、ベテラン記者として現場にしがみついている。三人家族で、再婚した弓子とのあいだに生まれた息子、太郎は育ち盛りの小学生だ。しかし、彼の目前には、がんの再発や転移の兆候がちらちらと見え隠れしている。
 現役生活の幕切れを射程に入れた有馬章は、入魂の試みを用意する。みずから企画した単独執筆の長期連載、タイトル「『戦争』の輪郭線」。一テーマを上・中・下に分けて三日間配信し、五カ月単位の続きものとする。まず第一部であつかうのは第二次世界大戦。戦争をテーマに据えた背景には、かねがね抱えていた忸怩たる思いがある――戦争を、日本人は自分の問題として受け止めないまま戦後社会を作ってきたのではないか。たとえば、警察官僚だった自分の父親にしろ、わかったふうな言葉は、しょせん神棚に祀られた借り物に過ぎない。翻って自分は、時間の層に潜む人間のおこないを見落としてこなかったか。
 小説中に、配信記事がそのまま登場する。戦争にあらたな輪郭をあたえようと試みる内容は、同時に、「ごく普通の人間」にまつわることを書き続けてきたひとりの記者の内面を照らしだす。第一回目は、外交伝書使(クーリエ)としてソ連に向かった若き経済学者、都留重人に端を発する事件について。第二回目は、戦時下の駐ポルトガル公使、千葉蓁一の知られざる消息について。第五回目は、周知のゾルゲ事件にたいする新たな見方について。これらの記事の奥底に蠢いているのは、家族や会社から距離を取りながら自身の立脚点を模索してきたもがきの跡。「書く」「問う」ことによって歴史と個人の接合点を見出そうとする、有馬章の懸命な姿を小説は描きだす。
 いっそ痛々しいほど、彼の半生は精確に、露わに描かれるのだが、複数の女たちの実在感がとてもふくよかだ。大学時代の同級生だった最初の妻、ゆかりと暮らした長崎での日々は、苦いのに、初々しい生の輝きをまとう。十一年間の結婚生活ののち離婚した彼女と、がんを患った有馬章がただ一度、邂逅する場面がある。そのせつなさと残酷。全編の行間から、ぷつぷつと絶え間なく湧く泡の音のように男女のエロスの気配が聞こえてくる。男と女の交差は、そもそもせつなさと残酷さを孕むものなのだろう。
 いっぽう、さまざまな歴史の断片が、海中から鉤で引き上げられるようにして提示される。老画家が体験したシベリアでの過酷な抑留生活。物理学者、湯川秀樹が書きつけた敗戦期の日記の一部。イギリスの宇宙物理学者、S・ホーキング博士のきわめて個人的な背景。長崎、雲仙普賢岳の噴火。京都の岩倉の土地で引き継がれてきた、ひそやかな習い。あるいは、足利十二代将軍義晴が都落ちして行き着いた滋賀の朽木で、寺の住職から聞いた十八歳の礼宮の孤独な言葉......歴史の断片の大小のあれこれは、小説のなかで、一方向に向かって収束されたりはしない。私は、しきりに小説の声に耳を澄ませる。これらの痕跡がなにか強烈なものとしてこころの深い場所を抉るのは、生身の有馬章が忘れてはならない確かなものとして記憶に留めたから。人間の生きた証しを見出そうと格闘しているから。
 暗い林のなか、いよいよ有馬章の輪郭は淡く滲み始める。しかし、生きていても、そうでなくても、ただそれだけのことであっても、ひとりの男が生きた実在の痕跡は確かなものとして誰かに繋がってゆくだろう。
 小説によって生かされるということを、読み終わってなおずっと考え続けている。

 (ひらまつ・ようこ エッセイスト)

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