書評

2021年4月号掲載

一筋縄ではいかない「感情のミステリ」

十市社『亜シンメトリー』

長江俊和

対象書籍名:『亜シンメトリー』
対象著者:十市社
対象書籍ISBN:978-4-10-353931-5

 再読を重ねる度に面白くなる小説だった。私が本作を読んで抱いた感想である。
『亜シンメトリー』は、十市社(とおちのやしろ)の四作の小説から成る短編集だ。それらの作品は「感情のミステリ」というか、繊細な人間関係のベクトルに注視されたもので、全く先が読めず、一筋縄ではいかない。洗練された文章と相まって、心をざわつかせるような独特の感情にとらわれる。
 とくに印象に残るのが、表題作の「亜シンメトリー」である。大学講師の亜樹は、通勤途中の路線バスのなかで、花田早由里という女性に出会う。早由里は「六十の境はまだ越えていない」ほどの年齢で、不思議な雰囲気を漂わせている。そんな彼女に、亜樹は興味を抱くようになり、会話を重ねるうちに、また早由里から持ちかけられた奇妙なゲームによって、秘められた過去が明らかとなってゆく......。
 のだが、正直に言うと、この作品を一読したとき、途方に暮れてしまった。一体、ここに書かれた物語は何だったのか? その全体像が読み取れなかったのである。
 作中には、ヒントや伏線が意味深にちりばめられている。決して真相にたどり着けないわけではないのだろうが、それでも難易度はかなり高い方だと思った。というわけで、血が騒いだのだ。
 自分のことで恐縮であるが、私もそういった作品を好んで書く。真相を明示しないミステリだ。同じような趣向でリドルストーリーというジャンルもあるが、それは結末を提示しないで読者の判断に解決を委ねるといったものだ。私の作品は、真相が明言されていないだけで、丁寧に伏線を拾っていけば、隠された事実が明らかになるといった仕掛けである。
 だから、自らの力で真相にたどり着いたときには、脳内は得も言えぬような「快感」で満たされるのだという読者の声を聞く。時に結末を明示した作品を書くと、「物足りない」と言われたり、「まだ何か裏があるのではないか」と勘ぐられることもある。やはり、真相が閃いたときの「麻薬のような快感」を得たいのだ。きっとこの「亜シンメトリー」も、そんなタイプの作品なのであろう。ならば本作に挑めば、そういった快感を体験できるのではないか? 自らの力で隠された物語の真相を繙き、「快感」を享受したい。そう思った。
 作中には、ある一つの謎めいた言葉が登場する。結局、その意味は明かされず終わるのだが、まずはその解明に取り組むことにした。意外とすんなり、その謎は解けた。だが、言葉の意味が分かっただけで、やはり物語の全体像は見えてこない。
 そこで、それを手がかりにして、自分なりにある一つのストーリーを組み立てた。その推理を確かめるために、再び最初から読み始める。だが......。
 うまく繋がってこない。どうやらその推測は違っているようなのだ。焦ったまま再読を終える。再び途方に暮れた。何かヒントはないか、改めて本書の頁をパラパラと捲っていく。すると、ある一つの違和感に気がついた。
 もしや......。その違和感から、先ほど思い描いた物語とは全く別の真相を推測する。そして、その想像をもとにして、また最初から目を通すことにした。これで三度目である。すると......。
 文中にちりばめられた伏線、早由里の謎めいた言葉、そして彼女の感情やしぐさまでもが共鳴するかのように、見事に繋がっていったのである。
 これがいわゆる「快感」というものなのか。確かに私の脳内は、感動と興奮で満たされている。これぞ「真相を明示しないミステリ」の醍醐味だと感じた。
 そんなわけで、再読を重ねる度に面白くなっていったという次第なのだ。たどり着いた真相は「感情のミステリ」として極めて奥深いものである。刺激的な読書体験と、身震いするような「快感」を享受させてくれた作者には、賛辞を贈りたい。

 (ながえ・としかず 小説家/映像作家)

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