書評

2021年8月号掲載

日本文学史の穴ボコを埋める

宇能鴻一郎『姫君を喰う話 宇能鴻一郎傑作短編集』

鵜飼哲夫

対象書籍名:『姫君を喰う話 宇能鴻一郎傑作短編集』(新潮文庫)
対象著者:宇能鴻一郎
対象書籍ISBN:978-4-10-103051-7

姫君を喰う話書影

 芥川賞作家で、思いもよらないジャンルを開拓した二大巨頭といえば、松本清張とこの宇能鴻一郎だろう。昭和二十八年「或る『小倉日記』伝」で賞を受けた清張は三十三年に「点と線」で一躍脚光を浴び、社会派推理小説の旗手となった。一方、三十七年に「鯨神」で芥川賞を受けた宇能の転身は、はるかに衝撃的だった。
「あたし、濡れるんです」――。今の言葉でいえばエロカワイイ文体のポルノ小説で四十年代後半以降、一世を風靡。おじさまの絶大な人気を誇り、かわりに文壇からは見事に消えた。
 選考委員の坂口安吾は、「或る『小倉日記』伝」について〈この文章は実は殺人犯人をも追跡しうる〉と、清張の未来を見事に予見し、「鯨神」については、選考委員の丹羽文雄が〈豊かな描写力は、ひとを驚かすに足る〉と評価しつつも、〈宇能君はどんな風になっていくのか、私達とあんまり縁のないところへとび出していくような気がする〉と、これまた転身を予見していたことも文学史の一コマとして残る。
 受賞当時の宇能は、東大大学院博士課程に在籍する二十七歳。文化人類学の手法を国文学に取り入れて古代日本文化を研究する学徒でもあった。「鯨神」は魔神のような巨大クジラに、祖父、父の命を奪われた若者が、仇をとるまでを描く壮大な海洋小説で、受賞会見では「血の匂いにみちた文学、野蛮な文学、オスの文学を書きたい」と抱負を語っている。
 本書『姫君を喰う話』は、「鯨神」にはじまり、宇能が本格的にポルノを書き始めるまでの昭和三十年代から四十年代に書いた短編六作を収録する。まさに血の匂いと人肌の感触が濃厚な野蛮な文学の集大成で、日本文学史の穴ボコを埋める、筆者待望の短編集である。
 鵜のように首を長くして待っていたのには訳がある。昨年三月、あるイベントでご一緒した直木賞作家篠田節子さんから、「宇能さんが官能小説を書くまでの小説は抜群に面白い」と力説され、『お菓子の家の魔女』(講談社、昭和四十五年刊)を古本で購入、一読三嘆していたからである。
 その冒頭収録の「姫君を喰う話」は、モツ焼き、しかもまだピクピク動いていそうな新鮮な動物の内臓を食わせる店で、汁液をすすりほおばり、なめ、しゃぶるうちに、愛する女体を舌で愛撫する妄想を愉しむ男が、店で隣り合った虚無僧から聞いた、古代の王朝時代の悲劇譚である。それは、男が遠い昔、武士であった時代に、ある高貴な姫君の脚を口で愛でたことに始まる惨劇であり、清涼感もある王朝幻想譚でもあった。むせかえるような匂いと肉感があふれる怪作の余韻は舌先に残り、もっと読みたいと思っていたら、この文庫が出た。
「西洋祈りの女」ではウナギ、「リソペディオンの呪い」では母胎内を思わせる鍾乳洞が肉感的に、克明に、グロテスクに描かれ、生と性、食と触という人間存在の根本への執着的な関心が綴られ、文章が体にからみつくような猟奇文学が並ぶ。
 そのあからさまな描写は、ある意味、すでにポルノ的だったと言える。文芸作品では性愛はさりげなく書き、行間で読者の想像力をかき立てるのが上品とされる。たとえば、和泉式部の代表作のひとつに数えられる〈黒髪のみだれもしらず打ち伏せばまづかきやりし人ぞ恋しき〉では、房事の激しさそのものは表現せず、それを物語る黒髪の乱れについてのみ記し、乱れも知らず陶然とする女性の黒髪をかきやってくれる男を恋しい……と歌う。これに対して、本書収録の「西洋祈りの女」では、宇能は、衆人環視のもとで、女性が白い脂の乗った尻をあからさまにして、男とからみあう姿を描いた。それゆえ宇能作品は初期から、「ゲテモノ調」と純文学評論では嫌われたが、宇能は我が道を行き、官能の凱歌をあげた。
 平成二十三年には、「オール讀物」で、エッセイスト平松洋子さんが、公の場に姿を見せない謎多き作家に会い、「官能と食べもの、この両方がないと僕のなかではバランスがとれないんです。やっぱり生命力というか、根源的な生命への憧れでしょう」という証言を得ている。
 八十代の今も、孤高に新作長編を構想中という宇能の異色短編集では、篠田節子さんが解説を書いている。
 ようこそ、裏バージョンの文学の世界へ!

 (うかい・てつお 読売新聞編集委員)

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