書評・エッセイ

2021年10月号掲載

生活の光

綿矢りさ『あのころなにしてた?』

加藤千恵

対象書籍名:『あのころなにしてた?』
対象著者:綿矢りさ
対象書籍ISBN:978-4-10-332624-3

 綿矢りさちゃんに初めてお目にかかったのは、もう十年ほど前になるかと思う。それがどこだったか、何を話したかは忘れてしまったのだが、抱いた印象はなんとなくおぼえている。
「え、こんなに柔らかい雰囲気の人なの!?」
 それまでに彼女の作品をいくつも読んでいた。そして、張りつめている印象を受けていた。印象的な冒頭、詩のような一節、よく知りながらも掬いあげることができずにいた感情。そこには彼女しか書くことのできない鋭さと緊張感があった。
 けれど、目の前で笑ったり話したりする彼女は、とてもほのぼのとしていて、抱いていたイメージとの間にギャップがあった。それまでも数多くのメディアで話す姿なども目にしていたはずだが、実際に向き合って話すと、それ以上の柔らかさを感じた。
 共通の友人宅でのホームパーティーで、日にちを一日間違えていたのも強く記憶に残っている。「りさちゃんが一日遅れてやってきた」という内容の連絡を、その共通の友人からもらい、暇だったわたしがお邪魔したところ、同じように連絡をもらって、既に来ていた数名の友人たちに囲まれ、恥ずかしそうに笑うりさちゃんの姿があった。
 その後何度か会う機会を重ね、数人で海外旅行に出かけたりもする仲となった。会っていても小説の話などはせずに、すぐに忘れてしまうようなくだらない話をしているのがほとんどだ。名作ゲーム「ときめきメモリアル ガールズサイド」について熱く語り合えるというのも、わたしの中で、とてもありがたい存在になっている。また、彼女は気配りが細やかだ。こちらが送ったものに対し、素敵なハガキで直筆のお礼状を返してくれたり、会ったときにちょっとしたお菓子などをプレゼントしてくれたり。見習わなければ、と思う場面が多数ある。
 前置きがすっかり長くなってしまったが、本書『あのころなにしてた?』は、日記であり、彼女の初めてのエッセイ集でもある。二〇二〇年の日記。それはつまり、世の中が、未知の感染症であるコロナに直面し、右往左往していた時期のものということだ。
 本書にもコロナに関する描写が多く登場する。というか、日々を書くためには、避けて通れないものとなっているのだ。タイトルにもさりげなく「ころな」が入っている。外出を控えるようにお達しがあり、マスク装着が当たり前のものとなっていく。期せずして、そうした世の中の変化を書き綴っている。
 読み終えたときに、わたしはこういう本が読みたかったのだ、とわかった。
 書籍であれ、新聞であれ、ネットニュースであれ、コロナ関連のものは数多く出ている。そこには、世界中のデータに基づいて冷静に分析されたものもあれば、明らかにデマではないかと眉をひそめたくなるものもある。いずれにしても、これからもものすごい勢いで増えつづけていくのだろう。
 本書はコロナを研究したり分析したりしたものではまったくない。そこにあるのは、コロナ禍の生活だ。小説家であり、幼児の親でもある彼女の、毎日の暮らし。それがどんなふうに変化したのか、どう感じているのかが綴られている。
 ただの生活。それがどんなに尊いものか、わたしたちはこの一年で思い知らされている。どこかで誰かが生活している記録が、ひどく胸を打つ。自分と同じ部分を見つけて共感し、自分と異なる見方に感心する。本書では、戸惑いや不安といったものは多く書かれているが、怒りはほぼなかったのも印象的だった。そして、そのことで安心した。SNS等で多く目にする、コロナにまつわる怒り(もちろんまっとうなものも多いが)に、自分がいかに疲れているのか、自覚させられた。
 小説にくらべて、ふんだんに、本人のもつ柔らかさに満ちている本だと思う。時おり挟みこまれる作者によるイラストも、ふふっ、と笑いそうになるものばかりだ。そしてもちろん柔らかさだけではなく、小説でみせるような鋭さもここには存在していて、不意に心を揺さぶられる。スティーブン・キングと谷崎潤一郎を比較するくだりなど、とても興味深かった。柔らかさも鋭さも同居しうるもので、どちらも彼女の中に存在するのだと、改めて気づく。
 あとがきに書かれている、「くつろいで」の言葉は大きい。くつろぐために、ぴったりの一冊だと思う。

 (かとう・ちえ 歌人/作家)

最新の書評・エッセイ

ページの先頭へ