書評
2022年6月号掲載
止まらない「本の話」
津村記久子『やりなおし世界文学』
対象書籍名:『やりなおし世界文学』
対象著者:津村記久子
対象書籍ISBN:978-4-10-331983-2
本書は小説家の津村記久子さんが、数年にわたり、世界の文学九十二冊を読んだ記録である。と言っても、その数の多さに構えることは無用。気のおけない先輩が楽しそうに熱をこめ、時には毒も吐きながら語ってくれた、「最近読んだ本の話」といった趣がある。ストーリーや登場人物の性格は具体的に語られ、興奮、汗、ドン引き等々、読んでいるときの体温がそのまま伝わってくるような文章。しかしその中に、作品の本質をぴしゃりと言い当てながらも笑いをとるといったあざやかな一文が差し挟まれ、その技にしびれてしまうのだ。
たとえば津村さんによれば、アンブローズ・ビアスの『新編 悪魔の辞典』は、「最初は、おもしろそう、と軽い気持ちで話しかけたおっさんが、思った以上に絡んできてしまってやばい帰りたいとなるけれども、かなりの高確率で的を射たことを言うので、帰るに帰れない」本となるし、カフカの『城』にいたっては、「仕事が進まない。非常にシンプルでありがちなそのことに関するカフカの一家言が、恐ろしく長い尺を使って全力で書き込まれている」といった具合。付箋を貼り貼り、本を読む習慣のある人にとって、本書はやばい付箋を貼る手が止まらないといった本になるのではないか。
とり上げられた本は、純文学の古典から、SFやミステリー、少し硬めの人文書、児童文学まで多岐にわたる。その偏りのない、でも微妙に偏っているとも思える散らばりかたを見ていると、専門家とは異なるひとりの読書家の本棚を覗くようで、わたしなどは勝手な親しみを感じてしまった。
新聞や雑誌の書評では、どうしても紹介された一冊に目がいくが、それがこうして連なると、今度はその連なり自体が、勝手に何事かを語りはじめる。綿密に記された本の記録を続けざまに読むことで、ひとつの〈個〉に端を発する、世界の見取り図に触れた気がした。
それを特徴づけるのは「ニュートラルなあかるさ」とでも呼びたくなるような姿勢。それぞれの本の世界観を認めつつ、感嘆すべき点は感嘆し、異を唱えるところではそうするという、本や人間に対する開かれた態度が心地よい。一章読むごとに、何か一つずつ気の晴れていくような読み心地だったが、そうした爽快感は本書特有のものだろう。
どの章も、それぞれの読みどころを押さえた面白いものであったが(面白いがゆえにその本を読んだ気になってしまうという問題はさておく)、作家の語り口は『ボヴァリー夫人』や『リア王』といった古典を語るときほど、その輝きを増すように思える。それは古典に出てくる登場人物が、いまの人にも身に覚えのあるような、俗物、ヘタレといったひどさのオンパレード、「思いつく限りの人間の小悪」のカタログだからだろう(もちろんそこには大きな悪も存在するが、小悪のほうがより身につまされる)。
そして津村さんが登場人物の俗悪ぶりを、面白おかしく語れば語るほど、それはいまも起こっていることとして、読者の脳内にはリアルに想起される。なんだ、難しそうな顔しているけど、あなたたちみんな下世話な人だったのね――遠くのほうで近寄りがたく見えた古典は、実はわたしたちの住む世界とドッコイドッコイの、身近なものであったのだ。これなら読んでみたくなる! 小説を読んだり書いたりすることは、この世界を生きることと地続きであると、本書は図らずも教えてくれるのである。
津村さんがあとがきで書いたように「本書で取り上げた数十冊のうち、誰かはおそらくあなたの気持ちをわかってくれる」だろう。自分でも読んだことのある本は、そうそう、わたしもそう思ってたんだよね(でもそんなふうには言い表せなかったけど……)といった気持ちになるし、名前は知っていても読んだことのなかった本については、どれも読んでみたくなるに違いない(ちなみにわたしは『ねじの回転』『ハイ・ライズ』を読みたくなったし、時間はかかっても『カラマーゾフの兄弟』は再読したくなった)。いくつになっても、本はあなたの友だち。ぜひ本書を読んで、その友情を再確認してください。
(つじやま・よしお 書店「Title」店主)